随筆5 「計算尺と久保駿一郎先生

 県工といえば重量挙げにテニスと計算尺といわれた時代があった。いずれも全国優勝の経験がある。
 私は計算尺で2回、同級の河村晴美君、幸田賢一君、佐藤憲司君らとともに全国大会に出場した。計算尺は対数尺を用いて掛け算をたし算、割り算を引き算の形でできる便利なものである。乗除のほか三角関数、べき計算なども即座にできるのでかつては機械や建築、土木の設計に従事する者にとっては必携の小道具であった。そんなことから当時は商業高校のそろばんと同じく、全国の工業高校では計算技術の習得に力を入れており、クラブ活動の一環として計算尺クラブが設置されているところが多かった。
 県工の計算尺クラブを創設されたのが久保駿一郎先生である。当時は県工土木科の先生であり、私達には直接授業はされなかったものの、計算尺を通して、人生のあり方を教えていただいた点では、ひときわ心に残る先生である。
 1にも練習、2にも練習、3、4がなくて5にも練習というのが久保先生の実践教育であった。1年生の時クラブに入部して以来、1日2時間の練習が1日として欠けることなくめんめんと続いた。夏休みや冬休みも先生自ら休暇を返上して、毎日登校され、私達の練習に立ち合われた。
 その練習も毎日が本番さながら、全国大会と同じ形式である。先生自らがガリ版印刷された問題が皆んなの手元に配られると、ストップウォッチを持った先生が「ようい、はじめ!」「やめ!」と大きなドスのきいた声で合図される。  問題の配り方から間の取り方、さらには読み上げ算の読み方まで、何度か東京の全国大会に足を運ばれて研究されているだけに、私達は練習を繰り返しているうちに知らず知らず全国大会の雰囲気を体で覚えていた。今思えばそんな気持ちのする先生の練習方法であったように思う。
 人生と同じように計算尺にもスランプがある。ある程度、技術が上達してくるとそれ以上に伸びない。あせればあせるほど泥沼にのめり込んでいく。そんな時期が必ずあるものだ。そんなとき、その壁にどう対処していくかで人生の成否が決まるといってもよいだろう。  そんなとき久保先生はいつもいわれた。「おまえには、おまえでなければ出せない力があるんだ。それを信じろ。計算尺は技術じゃない。根性だ」と。スランプを破るのは練習に次ぐ練習以外にないというのが先生の信条でもあった。
 前途に立ちはだかる壁が厚ければ厚いほど、ともすればたじろぎがちなのが私達である。しかし壁が厚ければ厚いほど壁を突破した喜びは大きいこともまた真実だ。わが国に「点滴石を穿つ」、中国に「愚公山を移す」との例えもある。同じことの繰り返しのように思えるかもしれないが、同じことを繰り返すことほど強いものはない。人生の前途に立ちはだかる壮大な絶壁も挑戦の姿勢でぶつかり続けていくうち、ある日突然、崩れ落ち、新たな人生の沃野が眼前に広けゆく思いがするものだ。私はその後の人生でそんな経験を何度かした。そのたびに久保先生と計算尺の思い出を懐かしく思い出したものだ。
 全国大会には、私達は2回出場したものの、優勝は逸し、2回とも団体では2位、個人では3位に甘んじた。しかし1年後輩の須原英夫君が頑張ってくれ、私達が卒業した翌年、いよいよ母校が団体でも個人でも全国優勝に輝いたのであった。当時、浜松にいた私は一般の部で出場していたため、会場で久保先生と出会い、優勝の感激をともにさせていただいた。鬼の目に涙とでもいうのだろうか。練習につぐ練習で鬼のように思えたあのひげ面の久保先生も、この日ばかりは目がいかにも柔和でとめどもなく涙があふれていたことを昨日のように思い起こす。