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随筆7 「ああ国鉄・鍛冶屋原線」
今はJRとなったが、昔の国鉄に鍛冶屋原線というのがあった。当時は板西駅といったが、今の板野駅を起点に、犬伏ー羅漢ー神宅ー鍛冶屋原といった駅々をつないで走るローカル線中のローカル線だった。むろん単線で、はじめのころはデゴイチが走った。あとになってディーゼル車がいつも一両か二両編成で、のこのこ走っていたように記憶している。
阿讃山脈の山すそを広い桑畑を横切って走るそのひなびた味わいは、今も忘れられない。私は小学生や中学生の頃、毎年、夏休みになると鍛冶屋原のおばの家へ泊りがけで遊びに行ったものである。最初は父や母に連れられていったが、いつのまにか、1人で行くことが、私の夏休みの年中行事のようになっていた。
蔵本から乗ると佐古で乗り換え、板西で乗り換える。2時間くらいかかったのであろうか。ちょっとした小旅行気分であった。高徳線から鍛冶屋原線に乗り換えると車内の雰囲気がガラリと変わる。不思議なもので乗っている人々の顔つきまで違う。どことなく人の良さそうなのんびりした顔なのである。いつも満員だったためしはなく、三々五々乗り込んできた人々は四六時中、にぎやかに語り合っている。大きな荷物を持ったおばさんが乗り込んでくると、誰ともなく手を貸してあげる。ここにいると全く知らぬ者同士でもすぐ友達になってしまう。そんな人なつっこさが鍛冶屋原線の車内にはあった。
鍛冶屋原では、時には1ヶ月の夏休みのほとんどを過ごした。短いときでも1週間はいた。朝から晩までセミしぐれの中であった。オイチョウさんの下で1日中、真っ黒になって遊んだ。ツルベでくんだ井戸水のおいしかったことも忘れられない。
当時は桑畑のなかに、クヌギの林がいたるところにあった。クヌギ林はセミとカブトムシの宝庫である。セミは魚をすくうタモ網さえもっていけば面白いほどとれた。クヌギの木の下のやわらかい土をほじくり返すと、カブトムシがウヨウヨいた。いついっても虫カゴがすぐ一杯になってしまう。徳島の市内ではとてもこんなことは考えられない。眉山だと1日歩いてもカブトムシ1匹も見つけられない。私は宝の山にいるような気分だった。
あれは何という川だったのだろうか。鍛冶屋原ではおじさんに連れられて魚釣りに行くのも楽しみだった。あぜ道を自転車で走っていった。さほど大きくはない川だったが、フナやナマズが面白いほど釣れた。
こんな懐かしい思い出ももう40数年前のことになってしまった。すでに鍛冶屋原線は廃止され、線路跡に立派な県道が走っている。このあたりも宅地造成が進み、クヌギ林はほとんどが切り倒されてしまった。今ではセミやカブトムシの数もめっきり減ってしまった。鍛冶屋原のおばさんは90歳を超えても元気で、子供のころ遊んでもらった話をすると、「そうやった、そうやった。」といかにも懐かしそうにうなずいたが、今は故人になってしまった。時代の進展とともに、形あるものは必ず変わりゆくが、「鍛冶屋原線」は少年の日のままの姿でいつまでも私の心に刻み込まれていることだろう。
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