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随筆8 「陸の孤島・木屋平村に救援物資を運ぶ」
剣山の山ふところに抱かれた木屋平村を初めて訪れたのは、昭和51年10月。台風17号で穴吹川がはんらん、穴吹町古宮地区に大規模な土砂崩れがあった直後のことである。
この台風17号は県下各地に大きな被害のツメ後を残した。私達は大型トラック10数台分の救援物資を県下各地の被災地に送り届ける大救援活動を実施し、私は陸の孤島となった木屋平村へ飛んだ。
脇町の中学校のグラウンドからは、緊急出動していただいた自衛隊のヘリコプターで木屋平村の役場下の中学校グラウンドまで運んだ。救援物資は、米、ミソ、しょうゆ、ラーメンなどの食料から、毛布や衣類、タオル、トイレットペーパーなどの雑貨に、赤ちゃんのオシメや粉ミルクまで、大型トラツク二台分である。ヘリコプターでの輸送は20数往復に及んだ。
眼下に山全体が崩れ落ちたかのような古宮地区を見おろしながら、ヘリコプターは山と山に囲まれたすりばちのような木屋平村に到着した。
グラウンドには村の自家用車が出迎えに来てくれていた。早速、村役場へ。作業衣に身を固め目を真っ赤にして飛び出してきた人がいる。村長の藤田巌夫さんだ。「助かります。本当にありがとうございました」私の手を固く固く握りしめて喜ばれる村長の姿に、私は夜も眠れぬほど村民のことを心配し続けてきた責任者の心にふれる思いがした。
またたくまに救援物資は役場の前に山のように積まれていった。「一軒一軒の御家庭にまで運ばれていくのは大変でしょうね。」と尋ねると、村長さんは「何をおっしゃいます。あとは私達でやります。きょうは遠いところを本当にありがとうございました。こんなときでございますから、お茶も出ませんが、お帰りになりましたら、皆様にくれぐれもよろしくお伝え下さい」とていねいな返事が返ってきた。帰途のヘリコプターから役場を眺めると、村長さんはいつまでも手を振り続けておられた。
後日談だが、村長さんは役場の人達とともに重い救援物資をときには背中に背負いながら山道を一軒一軒配って歩かれたという。
木屋平村へはその後何度もおじゃました。神山から川井峠を超えて入ると、左手に剣山が峰々を従えながら、くっきりとその雄姿を見せてくれる。標高1955メートル。四国山脈の背骨に位置する県下第一の高山ながら、その全容が車中から眺望できるのは、この国道第439号くらいなものだろう。晴れた日なら頂上の測候所まで判別できる。
山の人々は純朴である。どこの家庭を訪問しても、「まあ、おつけなして」とお茶が入る。救援物資のこともきのうのことのように憶えておられて、台風17号のときの思い出話に花が咲く。窓辺に真っ赤に熟した柿。その向こうに、はるかかなたまで見はるかせる山々。時の過ぎゆくのも忘れ心と心の対話が続く。私はそんな木屋平村のゆったりした風景がこよなく好きだ。
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