随筆9 「山が動く!! 半田町大惣へ

 「山に亀裂が入っているんですよ」「杉の大木が根こそぎ倒れ ています」「山がゴォーッ、ゴォーッと動いているんです。この まま放っておいたらいつ大災害が起きるかわかりません」。── 公明党半田町議の林武次さんからそんな報告が県本部に入ったのは昭和57年7月のことだった。
 剣山山麓、とりわけその北斜面は、全国でも有数の地すべり地帯である。私はとっさにあの昭和51年の台風17号による穴吹町古宮地区の地すべりを思浮かべた。山がそのまま土石流となって谷を埋め、道路も民家も全てを一夜のうちに押し流してしまった。救護物質を運ぶヘリコプターから見たあの凄惨な光景を鮮やかに思い出していた。
 行動の人・林武次さんは、すでに地元住民1677人の署名を添えて、半田町長、並びに半田町議会議長に早急な対策を要請する請願書を提出したという。”よし、行こう ”私は即座に決意した。まず現場へ――これは十五年間の新聞記者生活で体に刻み込んだ私の体質でもある。中野明参議院議員にも連絡をとったところ「すぐ、行きましょう」と即座に返事が返ってきた。「調査なくして発言なし」これは公明党議員の鉄則だが、東京の国会議員が電話一本で飛 んでくる。── そんな公明党の気軽さと責任の強さが私は好きだ。
 7月3日、中野明参議院議員を団長とする公明党の調査団が早速、現場へ飛んだ。団員は私と、県議会議員の国久嘉計氏、それに地元の林武次町議だ。車の運転をかって出てくださったのは林議員の同僚で無所属の岡田清町議。若いが、地元の発展を思う情熱の人であった。
 町役場で内藤町長の出迎えを受けたあと、1677人の請願者代表でもある吉田光行氏の案内で山道を登る。「本当に国会議員の先生がわざわざ来てくださったのですね。本当に。こんな山奥まで。わたしゃあ、それだけで満足です」中野参議院議員に何度も何度も御礼を述べる吉田さんはいかにもうれしそうだった。鎌尾谷の上流では約1キロメートルにわたって亀裂の入った個所を視察した。亀裂の中に、持っていたツエを入れるとズズズーッと全部入ってしまう。その不気味さといったらなかった。ここで同行のテレビカメラマンと新聞記者に別れを告げ、私達はさらに山奥へ。かつては祖谷に通ずる街道だったというが、これが道と呼べるだろうか。いたるところ落石に削り取られ、夏草がおい茂っている。先頭の岡田議員が腰に差していた山刀を引き抜き、木や草をなぎ倒して進む。そのあとを私達が四つん這いになって登っていくのである。登り始めてもう2時間が過ぎている。全身汗びっしょり。それでも誰も引き返そうとはしない。私達に同行された脇町土木事務所や半田町役場の職員の皆さんも、汗をふきふきついてこられる。
  「あった。ここです」難行苦行の末、たどり着いた頂上付近の現場(東祖谷山村との境界付近)では約1Kmにわたって1mから5mの段差がついていた。まさに山全体がずり落ちているのである。緑の山膚が無残に削り取られ、赤茶けた土砂が露出している段差を見ていると、今にも立っている足場はおろか山全部がずり落ちていくのではないかという恐怖にかられた。  こうした実情調査をもとに、私達は、7月6日、県庁に三木申三知事を訪ね(1)大惣地区の地すべり危険区域について、県は正確な調査を行い、国に対して指定地域の拡大を早急に要請すること(2)抜本的な地すべり防止策を確立し、予算化を促進すること(3)台風、集中豪雨などに対する地元の避難体制を確立すること、の3点を特に申し入れ、1日も早く地元住民の不安を解消するよう要望した。
 台風がくるたびに私はヒャーッとする。大惣地区の住民の皆さんのご心配はいかばかりであろうかと。「避難場所までどうして行くか。それが問題なのです。危ないときは、安全そうなところにテントを張って身を縮めている以外にありません」そう語っていた吉田光行さんのことを私は忘れられない。