随筆11 「秘境に都会育ちの花嫁さん」

 西祖谷山村尾井ノ内。海抜700メートル。大歩危から祖谷に入るかつての有料道路のトンネルの上にある。今でこそきれいな道路が抜けたが、数年前までは、ウサギ道と呼ばれるほど曲がりくねった小道を上り下りしなければならなかった。
 村役場に勤める古井孝司さんの家はここにあった。私も何度か宿泊させていただいたが、もう20年ほど前のことになるだろうか、最初に泊めていただいた時はびっくりした。
 「まあ一風呂浴びてゆっくりしてください」といわれるままに立ち上がると、玄関に、長靴と懐中電灯それにツエまでそろえてある。「いやあ、うちの風呂は遠いんでね。案内します」と懐中電灯を照らしつつ、真っ暗な山道を降りていく。ツエと長靴は途中でマムシが出るための用心だそうだ。
 10メートルほど降りた谷沿いのところにめざす風呂があった。なかに入ってまたびっくり。見事な五右衛門風呂だが、下司板がない。「そこに下駄があるでしょう。それを履いて入ってください。それから、家に帰るまでに冷えたらいけませんから、十分にぬくもってきてくださいよ」呵々大笑される古井さんに、私も腹を決めて風呂桶に飛び込んだ。
 その湯の熱いこと。下駄をはいて風呂に入るのは生まれて初めての経験だが、まさに石川五右衛門同様、カマゆでにされる心境だった。「体がぬくもったところでまあ一杯」古井さんは接客上手だ。「うちは天然の冷蔵庫でね」と庭に放り出してあったビールを無造作に開ける。その冷たいこと。ノドにしみるあのうまさは忘れられない。
 いつのまにか奥さんの順子さんが、祖谷の名物でもある固いトウフで湯ドウフを作ってきてくれた。それをいただきながら話がはずむ。その話がまた感動的だった。
 2人が知り合ったのは、古井さんが20。順子さんが19のとき。舞台は大阪。結婚しようということになったおりもおり、古井さんの母が突然、病気になってしまった。農業を手伝わなければならない長男である。祖谷に帰らねばならぬことになった。
 古井さんは考えに考えた末、順子さんにこういった。「ワシはおまえが好きや。けど、大阪育ちのおまえに、とても祖谷での生活はでけん。ワシのことは忘れて、大阪でいい人見つけるんや。幸せにならなあかんで。」  男の純情というのだろうか。祖谷に帰ってしまった、そんな古井さんのことが順子さんにはとても忘れられない。ボストンバック一つ持って後を追ってきた。両親には勘当されたという。
 それから30数年が過ぎ、2人の間に生まれた3人のかわいい子供も、今は立派な成人となっている。順子さんもすっかり土地の人達に馴れ、地域の人や親せき中の人達から、「順子さん、順子さん」と何でも相談されるようになった。これには大阪の両親もすっかり感心し、今では祖谷に行ったことを心から喜んでいるという。
 ともかく女性はたくましい。都会で育った順子さんが、祖谷の山里をわがふるさととして活躍されている姿を見ると思わず心がはずむのである。
 上板町の山間部でも東京は日本橋で育ったという花嫁さんが、酪農に若い情熱を注いでおられる姿を見たことがあった。
 青い空がある。青い海がある。緑の大地がある。空気もうまい。この徳島を第二のふるさととして活躍される若い花嫁さんに心から拍手を送りたい。