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随筆12 「鳴門の海に描く徳島の未来図」
阿波と淡路の はざまの海は
これぞ名に負う 鳴門の潮路
八重の潮時 かちどきあげて
小学校の唱歌にも歌われ続けてきた鳴門海峡には今、全長1629メートルの大鳴門橋がかかっている。淡路島の向こうには、全長3910メートル世界一のつり橋である明石海峡大橋も完成し、神戸と鳴門は高速道路で直結。バスで1時間半という時代になった。
私が鳴門の海を初めて見たのは小学生のときだった。当時は小鳴門橋もなく、土佐泊まで連絡船で渡り、歩いて千畳敷まで行ったことを記憶している。千畳敷から、眺観する鳴門の海は、かの吉川英治が「鳴門秘帖」で書いているように、感動的であった。
淡路の山々が目の前に見え、ひとまたぎできそうな狭い海峡には、潮流が渦を巻いていた。真っ青な海と白い潮流、そして緑の松が日の光に映えてひときわ美しかった。
四国は四方を海に囲まれた島国である。しかもその中央部には高い山々が峰を連ねており、本土の人々からは“四国の山ざる”と呼ばれたこともあった。時には島国根性などといわれる。ともすれば狭い視野でものを見がちな県民性は、こうした環境によるところが大きいのであろう。
本土と四国を結ぶ掛け橋は、神戸ー鳴門ルートに加え、児島と坂出を結ぶ瀬戸大橋、そして尾道と今治を結ぶ「しまなみ海道」の三架橋が全て開通した。私は幸せにも三架橋全ての開通式に出席しテープカットさせていただいた。支持者の皆様に心から感謝せずにはおられない。
陸続きになるということは確かに便利なことである。天候に関係なくいつでも自由に往来できる。四国の私達にとってそれは大変にうれしいことだが、本土からも容赦なく人と物と金が入ってくるということでもある。良いものもくるが悪いものだってくる。公害や大気汚染をはじめ教育の荒廃や人間不信、そして広域な犯罪などが直接間接に、このふるさとの緑の大地をおおっていくかも知れないのだ。
考えなければならないことは、東京や大阪と同じようになることが、四国のそして徳島の未来像ではないことである。むしろ、東京や大阪などの大都市が引き返そうにも引き返すことのできない「真っ白いキャンバス」を、わが四国なかんずく徳島県は持っていることに強い強い自信を持つことだ。
その「白いキャンバス」にどんな未来像を描いていくか。それが私達の仕事である。その第一の視点は、世界の中で日本は何をなしうるか、日本の中で徳島は何をなしうるか、といった問題意識を持つことである。
私は教育であると思う。“教育立県・徳島 ”これが私の夢見る徳島の未来構想だ。四国三架橋時代は大交流、大競争時代の幕開けでもある。日本の全国から優秀な学生が四国へ、そして徳島へと学問にくる。そんな郷土を築きたいと願う。
かつて「田舎の学問より、京の昼寝」といった人がいた。今は時代が違う。情報化が進み、世界のニュースがどこにいても一瞬のうちに伝わってくる。そして、どこにいても世界に発信できるインターネットの時代なのである。そんな時代に、政治も経済も文化も教育も全てが超過密の大都市に集中しなくてもよいはずだ。都市の機能を分化し、現実の問題は都市で消化するとしても未来を見すえた人材の育成は、青い空と緑の大地に恵まれた地方で担ってもよいのではないだろうか。
わが徳島がその先べんをつけたいものだ。──鳴門の海を眺めな がら、そんなことを考えてみた。
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