随筆13 「懐かしき藍水苑の出会い」

  ここに一枚の写真がある。昭和53年8月13日、加茂名中学校の同窓生が卒業20周年を記念して集まった写真である。場所は徳島市名東町の藍水苑。眉山の緑をバックに懐かしい顔が並んでいる。 私達の時代の加茂名は小学校と中学校が同一学区という事情もあって、同級生の全員が小学校以来、9年間、どこかで同じクラスとなっている。そんなわけでクラス別の同窓会というものはない。300人足らずの卒業生は互いによく顔を知り合っている関係から、同窓会には1組から6組まで全員が昭和33年度卒業生という形でつどい合うことにしている。
 ところで卒業して20年も経つと一人一人の消息は容易につかめるものではない。ことに姓の変わっている女性の場合はなおさらである。一人一人の消息をつかみ、案内状を出す労作業を自ら買って出てくださったのが岡山清治君、竹内孝夫君、遠藤高士君、西卓男君、吉田勝一君、川先専一君、藤田祥君、喜多正昭君、鈴江一輝君、大久保英明君、見須(旧姓・斎藤)潔君、佐藤英一君、松原(旧姓・浅野)京子さん、山田(旧姓・坂田)敦子さん、淡井(旧姓・武市)昭子さん、細井(旧姓・図子)寿美恵さん、中窪〔旧姓・中野)真弓さん、久積キヌエさん、小川洋子さん、藤田(旧姓・菊川)洋子さん、藤原(旧姓・西森)美恵子さん、塩本(旧姓・乾)千鶴さん、日下善江さんら、こよなく加茂名を愛する人達であった。
 この方々の1年にも及ぶ汗と涙の結晶で、卒業生の6割の消息が判明。当日は4人の恩師もご招待し56人が集ったのである。遠く東京から駆けつけた浜田耕作君(今は徳島で活躍している)をはじめ、香川や愛媛県からも懐かしい友が馳せ参じた。
 同窓生とはうれしいものである。会った瞬間、誰もが20年も前の中学生に帰ってしまう。「お前」「俺」で話が通じ合う。裸になって話し合える。20年間の空白を一度に埋めるかのように私達は話すことに熱中した。少年時代の共通の思い出を持つ者の話がこんなにも楽しいものであることを知ったのは、15年間も故郷を離れていた私にとってうれしい再発見だった。
 その後も同窓会は岡山清治君、藤田祥君、鈴江一輝君らのお世話で、小規模ながら、継続して開かれている。私もできるだけ都合をつけて参加させていただいている。この同窓会に必ず出席してくださるのが森宮九十男先生と岸田義市先生であった。両先生とものちに母校の校長をつとめられ、人望の厚い方々だったが、岸田先生は残念ながら逝去された。私の衆議院選挙初出馬のとき、テレビで応援の弁をふるっていただいたことをはっきりと思い出す。心から御冥福を祈りたい。
 加茂名中学校の時代。私は生徒会長を務めていたが、立候補の挨拶に各教室を回ったり、全校生の前で立会演説を行ったことなど懐かしい選挙の思い出もある。それとともに生徒会の最終議題にはいつも、校舎内外の清掃問題をとりあげ、生徒会終了後役員が率先して全校の掃除を引き受けたことなども思い出す。
 陸軍の練兵場を仮整備して作られた運動場や校舎だけに、運動場からは、ときたま不発弾が発見されるなど、ぶっそうきわまりなかった。それでも、自分達の学校は自分達の力で、整備していこうという意識が誰の心にもあったのだろう。「役員全員で掃除しよう」という生徒会長のツルの一声に、異論を唱える役員は一人もいなかった。
 現在は校舎も運動場も全てが面目を一新している。私達の卒業式の日に完成した体育館も老朽化が進み、数年前に新築された。学校の隣にある蔵本公園や西部公園では、今年も私達が中学生のころと同じように桜が満開に咲き競った。卒業してもう四十年。同窓の友の髪にも白いものが見立ち始めたが、この桜のように、いついつまでも青年の気概を持ち続け、はつらつたる人生を歩まれんことを祈りたい。