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随筆15 「牟岐へ雨中サイクリング」
今はJR・牟岐線も阿佐海岸鉄道で高知県甲浦駅まで延長されたが、高校生のころは牟岐駅が終着駅だった。
駅前に大きなソテツの木があった。この駅は徳島市の私達から見れば遠い遠い南の果ての駅だった。今でこそ、国道は立派に舗装が行き届き、車で一時間半の近いところになったが、そのころは山また山をくぐり抜ける狭いデコボコ道が果てしなく続いていた。
そんな道を自転車で走ったことがある。高校3年生の夏休みだった。同行したのは河村晴美君、西英勝君、幸田賢一君、新見務君ら県工の同級生達。サイクリングといっても、今のようにギアが何段にも切り換えられる専用車ではなく、ごく普通の、いつも我々が通学していた愛車である。
荷台に、西の丸の市営グランドから借りてきたテントをくくりつけ、私達は意気揚々と徳島市を出発した。
牟岐町までは誰も行ったことがない。“まあ!何とかなるわ”で走り始めたものの、行けども行けども山の中。しかも雨が降り始め、ランニングシャツはおろかパンツまでびっしょり。牟岐の海岸に到着したときは疲労こんぱいしてテントを張る元気もなかった。
その夜は牟岐町から通学していた同級生の芋谷暢重君や沢田勉君が、公民館を借りてくれようやく一息ついた。翌日もどしゃ降り。またしてもバケツをひっくり返したかのような雨の中、ペタルを踏んで徳島まで帰ったのだが、1人として風邪をひく者もなかった。おかげで牟岐の町には、ただ足を踏み入れただけで終わってしまったが、この小旅行は私達に根性と勇気の大切さを教えてくれたように思う。
そんな思い出も、38年の歳月を越すと、ひたすらに懐かしい。今も目を閉じると、雨に煙る芒々たる牟岐の海がまぶたに浮かぶ。 あまりにも坂が急なため、泥んこになりながら自転車を押して越えた山道もあった。そんな牟岐への道をその後、私はもう何百回も通った。牟岐の町をくまなく歩く機会にも恵まれた。
東と西の漁港を中心に、狭い路地をはさんで家々が軒を並べる牟岐の町は、古くから栄えた漁業の町である。この港で水揚げされる魚は春は、はも・甘鯛、夏は、はも・しび、秋はめじろ・はまち・甘鯛・鉄ふぐ・するめいか、冬はするめいか・鉄ふぐなどであるが、ここ数年「漁獲量」はジリ貧状態が続いているという。特に高級魚はめっきり数が減っており、せっかく生きたまま関西方面へ出荷する体制を組んでいても、魚がとれないために休んでしまう日もあるという。
こうした沿岸漁業の不振は牟岐ばかりではなく、県南の漁村では共通の悩みでもある。県では、「獲る漁業から育てる漁業へ」と海南町に「栽培漁業センター」を設立した。ここでは鯛やハマチ、アワビ、アユなどの稚魚が卵から育てられ、県内の河川や沿岸海域に放流されている。その効果は序々に現れているとはいえ、漁業振興のきめ手となるには、まだ前途は遠い。十和田湖にヒメマスを養殖した和井内貞行翁や、お隣りの香川県引田町の安戸池にハマチを放流した野網和三郎翁の先例を待つまでもなく、その道のパイオニアと呼ばれる人達は、だれしも筆舌に尽くせぬ辛酸をなめているものだ。
厳しい現状に挑戦し、沿岸漁業のあすを拓こうとする人々に心から拍手を送りたい。そしてその地道な努力の結晶がやがて見事な勝利の花を咲かせることを祈ってやまない。
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