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随筆16 「開発か自然保護か 揺れた橘湾」
橘湾というと、小学校の遠足で津之峰に登った日のことを思い出す。春先の暑い日だった。石灰質の白い岩膚に「サンキラ」の緑が印象的だった。徳島では「かしわ餅」にこの「サンキラ」の葉を使う。
汗をふきふき登った頂上から、橘湾が眠ったように見えた。「阿波の松島」と呼ばれる美しいリアス式海岸には、大小の島々が浮かび、まるで一幅の名画のようだった。
その海岸の一部が埋めたてられ、四国電力の火力発電所が操業を開始した。続いて、日本電工徳島工場が建設された。工場から出る排水で海は次第によごれていった。そんな時代があった。
昭和57年4月、その橘湾でタンカーが衝突する事故がおきた。重油が海面一杯に流失した。公明党ではただちに調査団を派遣した。メンバーは私と国久嘉計県議、中川徳芳、湯浅優、地元阿南市議である。地元党員の福田勇さんが出してくれた漁船に乗り込み、衝突現場へ。なごやかな海面に黒い重油の帯がひろがっている。重油が漂着した海岸では、必死の回収作業が続けられていた。
「気をつけて下さいよ。すべりますからね」船が接岸すると作業をしていた方々が、私達の手をとってくれた。「さすがは公明党ですね。一番乗りですよ」ヘルメットに染めた公明党の文字とマークを目ざとく見つけたのだろう。責任者の方が被害の概況と、回収作業の進渉具合をていねいに説明してくれた。
それにしても全くひどい。白砂青松の海岸線は真っ黒な重油がべっとりとこびりついている。湾内を回遊する魚は逃げられるとしても、この海岸でとれる貝や海草はおそらく全滅だろう。漁業補償は保険会社との話し合いに持ち込めるが、漁業権を持たない一般市民の被害はいったい誰が補償してくれるのだろうか。
重油がいったん海岸の砂に吸収されると、元に戻るには5年も10年もかかるという。日曜日など家族総出で貝ひろいを楽しむ。そんな庶民のささやかな喜びは、何の補償もなく、無残に奪いとられてしまうのだろうか。
橘湾の開発が進めば進むほど、こうした事故の起こる可能性はますます大きくなる。現在、電源開発と四国電力が火力発電所の建設を進めているが、自然保護には慎重なうえにも慎重な配慮をお願いしたい。
開発か自然保護かを考えるにあたって、いたずらに経済効果を追求する論議や、イデオロギーのみで突っ走る論議は、真に住民の側に立つ論議とはなりえない。砂をかむような意見の対立を生むばかりである。
活力あるふるさとを建設するために開発による産業政策の展開は避けて通れない本県の課題である。自然保護もまた人々の生存権に基づく基本的な課題である。双方の接点をどこに求めていくか。その選択権は第一に地元住民の意思にあると私は思う。そのためにも関係者は開発に着手する前に全ての情報を判断材料として市民に提供すべきだろう。そして住民の方々もまた自己の利害にとらわれるのでなくより高い視点に立って、一つのコンセンサスにまとめていく努力をすべきである。ベンサムのいった「最大多数の最大幸福」という最大公約数がどこにあるか、賢明な判断が主権者である住民の手で行われることを心から期待したい。
開発か自然保護かで揺れた橘湾だが、関係者の粘り強い努力が実を結び、住民の皆様の御協力も得て火力発電所の建設が着々と進んでいることを今は心から喜びたい。願わくは、環境への負荷が最少となる操業を切望してやまない。
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