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随筆22 「大歩危小歩危への旅」
ドライブイン「まんなか」から遊覧船が出ている。右に左に見事な舵さばきを見せながら船頭さんが、「大歩危小歩危」の見どころを語ってくれる。なかなかの名調子。私は東京や大阪からのお客さんには、きまってこの遊覧船を案内することにしている。
春はつつじの薄紫、夏はみずみずしい緑、そして秋は赤や黄の紅葉が燃え立つばかりに美しい。満山をおおう天然の色彩が岩と水に調和して日本を代表する渓谷の美をかもし出す。そんな大歩危小歩危の船下りは、いつ訪れても心踊るものがある。
私は中学校の遠足で「大歩危小歩危」を訪れて以来、その美しさに魅了されてしまった。「大歩危小歩危」の名前の由来は「大きな歩幅で歩いても小さな歩幅で歩いても危ない」ほど谷が深く道が狭いということにあると聞く。
その昔、ここを旅する人達は、現在の国道32号線より、はるかに高い山の尾根道を歩いたそうだ。現在もその街道は山中にひっそりと残っているが、参勤交代する土佐の殿様も、ここでは馬や篭を下りて、自ら歩かれたという。かの坂本竜馬が土佐藩を脱藩して京大阪に出たときも、おそらくこの街道を抜けていったことであろう。街道から眺める大歩危小歩危の渓谷は、それこそ、千尋の谷底に思えたに違いない。
そんな「大歩危小歩危」を思うとき、私がいつも連想するのは「親不知子不知」の海岸である。新潟県糸魚川市にあるこの海岸を私は数回訪れたことがある。日本海に重い雲が足れ込んだ冬の季節であった。この時期の日本海は強い季節風の影響を受け、絶えず荒れている。荒涼たる海にこれまた、海岸線を削り取るようにしてそそり立つ断崖絶壁。白く波立つ海にカモメが乱れ飛ぶ。心寒々とした思いのする風景だった。
そんな海岸線を一本の街道が通っている。それが、「親不知子不知」と呼ばれる細道である。「親不知子不知」という名前の由来は、「親が子を、子が親を心配するひまもないほど危険な海岸沿いの街道」というほどの意味でもあろうか。
「大歩危小歩危」といい「親不知子不知」といい、越さねばならぬ旅路の街道であったという点では共通している。しかしながら、これは南海道と北陸道の差でもあろうか。「大歩危小歩危」には暗さというものがない。
空も水も山も空気もとりまく全てのものが、あふれんばかりの光を浴びて、底抜けに明るいのである。この明るさが私を魅了させるのかも知れない。
大歩危の船下りと、祖谷のかずら橋をセットした観光ルートが都会の人々の人気を集めている。
四国三架橋時代になっていよいよ観光客は増加していると聞く。人気の秘密は、単に人里離れたひなびた風景にあるのではなく、底抜けに大らかで明るい天然自然の美と、素朴で暖かい土地の人の人情味にあるのではないかと私は思う。
商業主義にほんろうされる観光開発でなく土地のぬくもりを失わない観光資源の再開発を、関係者にお願いしたい。「また、来たい」観光客にそう言わせることができるかどうか、それを徳島の魅力を語るキーワードとしたい。
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