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随筆27 「塩田跡に美しい学園都市」
鳴門といえば渦潮と塩田を思い出す。渦潮は昔のままだが、塩田はすっかり姿をかくしてしまった。今の小鳴門橋のたもとには見事な入浜式の塩田が広がっていた。小鳴門橋を渡った高島あたりも見渡す限り塩田だった。
塩田の作業というのは途方もない重労働であった。重い海水を海から汲んできては、砂浜に撒き散らし、何度も何度もこれを繰り返して濃い塩水を含んだ砂をつくる。それを大きなカマで煮詰めて塩を作るというものである。
塩は人々の汗と涙の結晶であった。従って、一握りの塩も粗末にしてはならないと教えられてきたものである。
何人の人々が炎天の下で汗をしたたらせてきただろうか。そんな塩田跡が、今では、見事な市街地に変身している。整備された道路が縦横に走り、商店や住宅が建ち並ぶありさまは新しい鳴門の姿を象徴しているかのようである。
ことに高島は、見違えるばかりの変身ぶりだ。一昔前までは、人影もまばらな湿地で、塩田ばかりが広がっていた寂しいところだったが、塩田跡に鳴門教育大学が開校して以来、一躍人々の注目を集めたのである。
教育大学はすでに開校17年を迎え、整備が一段と進んでいる。青い空と緑の山々を背景にした広大なキャンパスに、全国から集まった若い力があふれている。大学を中心に、付近の土地も次々に開拓され、活気づいてきた。塩田跡は美しい学園都市に生まれ変わったのである。
こんな話を思い出す。
九州は阿蘇での話である。ここにはとてつもなく広い大平原がある。草千里などとよばれる牧草地でゆうゆうと放牧されている牛の姿はよく知られているところである。
ここに大学を作ろうという話が持ち上がった。大学には広いキャンパスが必要だ。過密化の進む都会で大学の用地を確保することはなかなか難しい。土地を安く提供するということで大学側も喜んだ。町はそんな大学に一つだけ条件をつけた。寄宿舎を作らないで。学生は全員、付近の農家に下宿させること。そして下宿代はできるだけ安くするから、農繁期は大学を休みにして学生に農作業を手伝わせることというのである。
この提案に農家の人達も喜んだ。過疎化の進む農村では若い働き手が都会に出てしまって農作業にも支障をきたしている。学生が下宿してくれることは心強いし、農繁期には、学生達が我が子のように耕運機を運転してくれる。学生や学生達の父兄も喜んだ。遠い都会に子供達を送り出せば、何かと心配だ。第一、下宿代からはじまって生活費の仕送りだけでも大変だ。それが、農家に下宿し、農作業も手伝うということになれば下宿代も安くてすむし、何よりも健康的でいい。
こんなわけで誕生したのが東海大学阿蘇分校である。町としても、若い人達が集まることで活況を呈し、牛と馬しかいなかった大平原に粋なコーヒー店やブティックができたという。ここでも学園都市が誕生したのである。今はどうなっていることだろう。発展していることを心から祈りたい。
大学を一つ誘置することによって、町は大きく変わる。大学を公害のない第四次産業という人もいるほどだ。波及効果の大きさは第一次産業をはるかにしのぐものがある。徳島発展の一つのポイントとして大学を中心にした町づくりをを考えてはいかがなものであろうか。
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