随筆28 「四国東門も今は昔

 その昔、淡路島は“阿波路島”と書き、京阪神から、阿波の国、つまり徳島県へ行く道しるべだったという。明石海峡大橋の開通で便数が減ったとはいえ、今も淡路島沿いの海路では、1日に何回もフェリーや高速船などが関西と徳島を直結している。
 関西と徳島のつながりは古くかつ太い。そして古くから、関西と結ぶ徳島県の海の玄関として県民に親しまれてきたのが小松島港であった。
 私がこの港から初めて大阪に出たのは、小学校1年生の時であった。当時は阿摂航路といい、あきつ丸などが就航していたが、子供心にもその船の大きさには圧倒される思いがしたものである。
 船は昼夜の2便だった。それを私達は昼航海、夜航海などと呼んだが、夜航海では午後十時ごろ小松島を出航し、翌朝の5時ごろ、神戸についたように思う。神戸につくと、船内は急にあわただしくなる。神戸の港から、「ちくわ」や「するめ」を背負ったおばさんが「いらんかえ、買わんかえ」と船内にまで入ってくる。制服に身を固めたいかついおじさん達がドヤドヤと入り込んでくる時もあった。ヤミ米の摘発にである。大阪から徳島へ買い出しに来ていたのであろうか。大きな荷物をもったおばさんから「ぼん、もっとってよ」と小さな袋を預かったことがある。  米が二升ほども入っていたのだろうか。おばさんのあまりにも真剣な顔つきに圧倒され、私は身の縮む思いで、その袋を抱えていた。体中に冷や汗がじわっと吹き出た。幸い、子供の私には目もくれないでおじさん達は通り過ぎ、私は袋をおばさんに無事返すことができた。何度も子供の私にお礼をいうおばさんを前に私は思った。食べるためとはいえ、こんな危険をおかしてまで商いをしなければならぬおばさん達も不幸だ。しかし、食べるものさえない社会。これほど暗く不幸なことはない。戦争をにくむとともに一日も早く経済を建て直し自由にみんながのびのびと生活できる社会を作らなければ・・・。子供心にもそんな決意をしたことを私は今もはっきり憶えている。
 さて、現在の小松島港は関西への便を徳島港に譲ってしまったため、ひっそりと静まりかえっている。しかし名物の「ちくわ」は今も健在で、竹の棒が入った正真正銘の「竹輪」は小松島を代表するおみやげ品として各地で販売されている。
 小松島市民の悩みは、かつては四国の東門として栄えたものの今はこれといった地場産業もなく、経済活動も緩慢で、立派なバイパスが開通したものの単に人々の通過点にすぎない存在へと市勢が地盤沈下していることであろう。もう一度、にぎわいを取り戻すのはどうすればよいか。柔軟な発想が待たれる。