随筆34 「南海に浮かぶ伊島の心暖かき人々

 徳島県の東端・蒲生田岬のその先にポツンと浮かんでいるのがササユリで知られる伊島である。戸数は約百戸。ほとんどが漁師である。太平洋の黒潮を真っ正面から受けるこの島では、港の近辺に家々が集まり、土地にへばりつくように軒を寄せ合っている。
 私がこの島を初めて訪問したのは、昭和55年6月、衆議院の選挙に初出馬した折りのことである。解散の日に出馬を決意するというあわただしい選挙戦であった。投票日まで40日しかない。名もない一介の青年がいきなり衆議院の選挙に出たのだから、世間の常識からはとても考えられないことだったに違いない。テレビのビデオ撮りから、遊説、街頭演説、立会演説と、生まれて初めて経験することばかりであった。
 そんななかで一つだけ頼りになることがあった。体力である。37歳の私には、これだけが選挙戦を戦い抜く唯一の取り得だった。厳しい選挙戦だけに遊説のスケジュールは過酷を極めた。20日間の選挙期間中、自宅で休めるのはせいぜい2、3日。あとは全部、山深い上勝町や、木屋平村、東祖谷山村、由岐町伊座利、宍喰町などでの宿泊である。それも平均4、5時間、ひどいときには2時間の睡眠時間しか許されなかった。
 伊島に行った日のスケジュールは、朝5時阿南市のホテルを出発、中林の漁港から支持者の方が用意してくださった高速船で伊島へ渡り、7時から7時30分まで島内を遊説、その後、船で椿泊へ。阿南市を回ったあと丹生谷へ。木頭村の北川で折り返し、個人演説会が3会場と立会演説会一会場に出席し、川口から赤松を経て日和佐町、由岐町伊座利に至るという走行距離にして約400キロメートルのコースだったと記憶している。
 青い海の向こうに浮かぶ伊島は、戸数が少ないせいもあってか、全県一区という広い選挙区を回らなければならない衆議院選挙になると、ともすれば遊説コースから外されがちである。  事実、選挙期間中に衆議院の候補者が島を訪問したことは一度もないという話も聞いた。それだけに“ぜひ行きたい”と私は無理矢理頼み込んだものだった。その希望が実現して目の前に伊島の岸壁が見えてきたとき、それだけで私の心はときめいた。
 岸壁にはすでに支持者の方々が待ち構えていてくださった。その方々の案内で島内をくまなく歩く。標識とハンドマイクのあとに候補者のタスキがけの姿。桃太郎さながらの風景に島の人達は大きな声援の拍手を送ってくださった。
 お年寄りの方々が家から飛び出して来てくださり、私のタスキをさすりながら“本当に候補者本人ですか”と何度も何度も念を押されることもあった。選挙期間中はいつもポスターだけで、候補者本人を見たことがないという人々の節くれだった手を堅く握りしめながら、私は心から決意した。“政治の光はどこの地域、どこの人々にもまんべんなく行き届かなければならない。力の強い方、数の多い方へ押し流されている今の政治は根本的に間違っている。政治という巨大な権力を民衆の側に取り戻すのが、公明党の使命であり、私自身の責務である”―そのために、この一生をささげるのは男児の本懐であるという熱い決意をである。
 伊島には、その後も5度ばかりおじゃまさせていただいた。  衆議院議員に二期目の当選をした翌年の昭和62年12月24日、私は伊島で移動市民相談を行い、島の人達と夜を徹して語り合ったことがある。
 このとき中学校の新築、保育所の整備、診療所への医師派遣などの陳情を受けたが、のちに全て実現し島の人達に喜んでいただいたのは今も記憶に新しい。
 はるかに遠い南の海に浮かぶ伊島の皆さんの御健在を祈る。