随筆35 「徳工機械科と中西芳男先生

 質実剛健は、私の学んだ徳島工業高校の当時の校風でもあった。工業立国の時代に、学力検査は勿論、身体検査も受けて、入学してきた生徒は、心身共に優れ、機械科は特に難関であった。
 昭和37年3月に卒業した私達50名は、機械科の第14回卒業生である。どのクラスメートも学力優秀で、精神的にも一本筋の通った重厚さを備えた人ばかりである。
 残念にもただ一人早くして世を去った惜しむべき友がいる。高校時代は陸上部のホープとして、また卒業後は新日鉄の中堅社員として、将来を嘱望されていた大島博至君が、昭和55年11月19日出張先のユーゴスラビアで、思いがけない交通事故で殉職された。この突然の出来事は私達を深い悲しみに沈ませた。
 北九州市に住んでおられる奥様は、子供達のために力強く生き抜いてまいりますと、気丈夫に語っておられたが、幸い新日鉄に就職も決定し、再出発されることになった。鳴門市に住んでおられるご両親や肉親の方々にもお会いしたが、ご家族は悲しみを胸に秘めて、同級生の私達に、博至の分まで頑張って下さいと、逆に励まされるほどであった。
 ご家族の皆様の悲しみはいかばかりであったろうか。その悲しみを乗り越え、私達のわずかばかりの心遣いにも、心からのねぎらいを寄せて下さった。ご一族の強い信念に裏打ちされた暖かい心に、私達はまたしても泣かされたものであった。
  そんなことがあった翌年、昭和56年7月3日、私達は有馬温泉の兵衛・向陽閣で同窓会を行った。おりから東京都議選の真っ最中で、私も東京へ応援に行った帰路、立ち寄った。
 懐かしい顔が全国各地から集まってきた。石山康弘君、櫟原健二君、芋谷暢重君、小川功君、河村晴美君、北井勝好君、幸田賢一君、佐藤憲司君、妹尾安修君、田村大三郎君、新見務君、西英勝君、山口真君ら壮々たるメンバーである。
 十年一昔と言うから、卒業してもう二昔にもなる。それでも会った瞬間、高校時代の面影がほうふつとする。夕方の6時から始まった同窓会は深夜になっても話の途切れることがない。それぞれに話したいことが山ほどあるのだ。
 大きく言えば、日本の工業の発展を支え、経済の高度成長期に青春を投げ打って働いてきた自負がある。それでなくても働き盛りの38歳。職場のこと家庭のこと全てにエネルギーが満ちあふれている年齢である。愚痴というものがない。何事にも挑戦していこうという気概にあふれた話は、いつ聞いても気持ちのよいものである。
 翌朝は、ポートピアの見学。高校時代にかえったかのような雰囲気で行楽の一日を楽しんだものだった。
 ところで同窓生を語るとき、忘れられないのは、私達を3年間、担任して下さった中西芳男先生である。先生は苦学の人で、両親を早く亡くされたせいか、何事にも心暖かく接してくれる人であった。頭脳は明晰で、数学(代数)と機械製図、原動機、そして自動制御を教わったが、サラ回しやコマの綱渡りの理論解析をされるなど、ユニークな仕事ぶりが新聞紙上をにぎわしたこともあった。
 いつお会いしても、昔と同じ姿でちっとも年をとられていない不思議な方である。庶民的で気さくな性格は、県工の多くの同窓生から慕われている。そして、私達50名のメンバーの消息にくわしいのには感心させられる。
 同窓会はその後も名古屋、鳴門、伊豆で行った。伊豆の時も先生にお越しいただいたが、お世話して下さった旅館の方々が、「だれが先生で、だれが生徒か、全くわかりませんね。」と言っていた。ふさふさした黒髪にメガネのよく似合う万年青年なのである。