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随筆36 「徳島大学に法文学部を」
随筆36 「徳島大学に法文学部を」
キャンパスを市民に開放した大学祭が今年も行われた。私は毎年のように出席させていただいてきたが、常々思うことがある。それは徳島大学に法文学部あるいは政治経済学部をぜひ開設してほしいということである。
現在の徳島大学は、医学部、薬学部、歯学部、工学部、総合科学の学部があるが、いまだに旧医専、工専、師範学校の延長上にあり総合大学というものの、寄り合い所帯の感が強い。
大学祭になるとこの色彩が一段と顕著になる。校舎が常三島と蔵本に分かれているせいもあるが、バラバラの感がして総合的な迫力に欠ける。展示物や催し物の一つ一つにも、世の中の文化や文明に対する全体観にたった問いかけといったものが少なく、実利的、末梢的、部分的かつ興味本位の出し物が散乱している感をぬぐいきれない。
この大学祭の地盤沈下は全国の大学に共通している現象のようであるが、現代学生気質を象徴する出来事でもあろう。大学祭の期間中は授業が行われないので、この期間を利用して帰省や小旅行をする学生が八割を超えるという。大学祭に参加するのはごく一部の人達であり、"人生いかに生きるべきか"など真面目な議論をすればするほど白けた雰囲気になるとも語っていた。
かつて大学は時代の思潮にどこよりも敏感に反応し、民衆を一歩リードしゆく新時代建設の揺籃の地でもあった。ところが現代の技術文明の社会にあっては、大学は実利性の侍女になり下がってしまい、未来を担う指導者を育成するという役割は衰退してしまっている。少々辛口だがそんな感を一段と深くするのである。
現代の大学教育が実利主義に陥ってしまった結果、二つの大きな弊害がもたらされていると識者は指摘している。すなわち、その一つは、学問が政治や経済の道具と化して、その本来持つべき主体性や尊厳性を失ってしまったこと。もう一つは、実利的な知識や技術に価値が偏っているために、学問が知識や技術の奴隷に成り下がってしまった、というのである。
こうした指摘が現在の徳島大学にも当てはまることが私の気掛かりなのである。これではとても視界ゼロと言われる現代社会を切り開いていくことの出来る骨格の太い人材を輩出することは不可能ではないだろうか。
そのためにも、この際、徳島大学に総合科学部を改組して法文学部あるいは政治経済学部を新設することを私は提案したい。総合大学の要の存在として、大学の再生と復権をお願いしたいのである。私は常々、徳島県の未来構想は教育立県にあるべきだと主張してきた。今もこの気持ちは変わらないし、ますますその確信を深めている。
日本の地図を広げてみると、日本の大都市というのは東京、大阪、福岡を結ぶ東海道ならびに山陽道の一本の線の上に集中している。新幹線や高速道路に代表される交通や情報のネットワークをはじめ人口も政治も経済も文化も一切がこの線の上に集まっているのである。
徳島はこの線の上からやや離れたところにあって、東京も名古屋も大阪も広島も福岡も全部が見渡せる位置を占めている。これを地の利としていかねばなるまい。
今日、明日をどうするかは大都会に任せて、十年二十年いや百年後の日本や世界のために徳島があると考えよう。日々のことに神経を集中しなければならない大都会では、その慌しさの中で未来を展望することは至難のことである。未来を担う人材の育成に専念するとなると時間的にも空間的にもゆとりがなければならない。そのゆとりが徳島にはある。これこそ日本や世界における徳島県の存在意義ではなかろうか。徳島から、次の時代を担いゆく骨格太き人材を日本はもちろん世界に送り出す。考えただけで夢のふくらむ徳島の役割ではないだろうか。
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