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随筆39 「藍住町歴史館になった奥村家」
青は藍より出でて藍より青し。 藍なしでは徳島の歴史は語れない。私が衆議院選挙に当選した直後、初当選させていただいた御挨拶に奥村家を訪問したことがある。
芝生の敷き詰められた広い前庭から壮大な奥村家藍屋敷が、夕日に輝いて見えた。ここだけは歴史の歯車が止まっていて、江戸時代に逆転したかのような錯覚をおぼえた。
大きな門を抜けると広い中庭があり、その向こうに母屋があった。「奥村武夫」と歴史を刻む表札がかかっていた。
声をかけると、大きな返事がして、母屋の隣の離れから「よく来てくださいました。どうぞ、どうぞ。お待ちしていました。ゆっくりしていって下さい」と笑顔で迎えて下さった。その人が、奥村武夫さんだった。
奥様もまじえて、話がはずんだ。藍の歴史はそのまま徳島の歴史だった。もうお年も80歳を越えていたと思われるが、子供のころの話を昨日のように生き生きと語って下さった。
奥村家は藍商人のなかでも豪商と呼ばれ、5本の指に入る商いを京・大阪はもちろん、江戸や長崎などの日本全国で展開されていた。奥村家の商人は全国に飛び、その時代のその地域の経済状況を手紙で奥村家に送っている。今もその古文書は大切に保管されていて、時間をかけて調査を進めていけば、当時の日本各地の状況を知る貴重な資料になる。そんな話をあとで郷土史家として奥村家の調査をした三好昭一郎氏にうかがったことがある。
それはさておき、奥村武夫さんは長い話のあと、ぽつりと言われた。「こうした歴史のある屋敷を維持していくのは、結構、大変なんですよ」私は瞬間的に思った。「この藍屋敷は奥村家個人の財産であるとともに徳島県の財産でもあるはず。これは何とかしなければ」と。
その後、私は衆議院の予算委員会で文化財を保護する観点から奥村家の保存をとりあげた。それがきっかけとなり文化庁の方々が調査にこられ「国の文化財となる前に県の文化財としてまず指定を」ということで今度は県にお願いして、県の文化財に指定していただくことができた。
奥村さんは喜ばれ、町長さんとも相談された結果、藍屋敷は藍住町に寄贈し、藍住町の歴史館「藍の館」として整備していくことになった。オープンのテープカットには私も御招待をいただいたが、「藍の館」の前庭では、奥村家の人々が、現代風に工夫された藍の商品の数々を店頭に並べておられた。
藍屋敷とともに藍の商品も現代に蘇生した。それはうれしい光景だった。現在の「藍の館」は観光バスのコースともなり、観光客がひきもきらない。若い人達にも藍のよさが見直されているようでうれしい限りだ。
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