随筆40 「森宮九十男先生と岸田義市先生

 加茂名を語るとき、忘れることができないのは森宮九十男先生と岸田義市先生である。両先生とも加茂名での奉職が長く、森宮先生は加茂名中学校の校長を最後に定年退職し、私立の名門・生光小学校の校長としても活躍された。岸田先生もまた加茂名小学校の校長を歴任され、助任小学校校長を最後に定年退職し、徳島市中央公民館に奉職されていたが、すでに故人になられた。
 私がお世話になったのは、もう40年前の加茂名中学校の生徒だったころの話であるが、森宮先生は理科の先生、岸田先生は社会科の先生だった。
 森宮先生には3年生のとき担任もしていただいたが、物事のけじめを大事にされる先生だった。授業は厳格で、よそ見でもしようものなら、容赦なく怒鳴りつけられたばかりか、授業の終わるまで廊下に立たされるほどであった。反面、一人一人をじつに細かいところまで知っておられ、家庭の事情なども全て把握されていた。
 先生にはよく昆虫採集や植物採集につれて行っていただいたが、小さな虫や名もない草に至るまでよく知っておられた。まぎらわしいものは一つ一つ図鑑を引いて調べ教えてくれたものだった。とにかく研究熱心で、何事もいいかげんには放しておかない性格であった。
 卒業後も毎年、年賀状と暑中見舞いをいただいた。それは私が高校を卒業して県外に出たあともずっと続いた。私も筆まめな方であるが、どういうわけか、つい返事を出しそびれてしまったことがある。先生はそのこともよく憶えておられ、後日、私がふるさとに帰ったとき、厳しくしかられたことがある。まさしく厳父の愛のムチのように私には思われ、そこまで思っていただけることに心から感謝したものである。  先生は私の両親にもずっと手紙を書いてくださり、激励を続けてくださったという。20数年間にわたる先生の年賀状を両親から見せてもらったとき、私はいい知れぬ感動をおぼえたものである。
 岸田先生には、誰がつけたのか“江戸っ子”というニックネームがあった。性格が明けっぴろげで、気前がよく、生徒に抜群の人気があった。
 授業もまた独特のムードがあり、教科書などはそっちのけで、授業が始まるや否や、黒板に凄い勢いで文章を綴っていく。私達はそれをノートするのに無我夢中。気がついてみると授業が終わっていたということがよくあった。あとでノートを読んでみると、教科書にのっていたことがじつに要領よくまとめられていることに感心したものであった。
 先生の授業を通して、私は、物事の本質を理解し、ポイントをおさえるというものの見方、考え方の基本を知らず知らずのうちに教わったような気持ちがする。先生はなかなかの達筆であった。当時、黒板に書き綴られたものと同じく流れるような書体で綴られた手紙が、今も私の手元にあるが、拝見するたびに懐かしさが込み上げてくる。衆議院議員に当選したあと、先生は国会まで激励に来て下さったことがある。議員宿舎の近くの「お好み焼き屋さん」で好きなお酒を飲みながら懇談して下さった先生。まことに庶民的な方であった。私は十分なおもてなしのできなかったことを今も後悔している。