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随筆41 「徳島城に天守閣を」
どこの国どこの地域にも、その国、その地域ならではの”顔”がある。象徴といおうか、味といおうか、お国ぶりを濃縮した形で示してくれる建造物が必ずあるものだ。
中国なら万里の長城。かつて毛沢東が「長城に至らずんば汝好漢にあらず」と歌ったこの長城に私も訪れたことがあるが、まさに百聞は一見にしかずで、中国民衆の母なる大地の如き悠久さに圧倒される思いがした。月から見える地上最大の建造物といわれる長城を一つ一つレンガを重ねて手づくりで作っていくというこの構想の雄大さは、一体何と表現すればよいのだろうか。まして、実際に作りあげた人々の血と汗と涙の労苦を何と表現すればよいのか。私は言葉を失ったものである。
この悠久さにははるかに及ばないが、日本にも日本でなければ見られない建造物がある。その建造物の代表が城であろう。城はご承知の通り封建時代の権力の象徴でもあるが、大阪城には大阪城のよさが姫路城には姫路城の個性がある。幸い私は15年間の記者生活を通して、日本全国を訪問させていただいたが、熊本城や松本城そして名古屋城など名城といわれる各地の城の姿は今も記憶に鮮明である。
さて、そうした認識の上に立ってわが徳島城を眺めてみると、少々恥ずかしくなる。徳島城は蜂須賀氏が270年にわたって阿淡両国二十五万七千五百石の土地と人民を支配してきた拠点である。今は、かつての面影をしのぶものとしては石垣と堀、そして藩主の庭園だった旧徳島城表御殿庭園くらいのものである。
天守閣を再現する計画があると聞くが、大いに結構。徳島の顔となるにふさわしいものをぜひお願いしたいものである。とともに、ぜひ行ってもらいたいことは、城山を含む徳島公園全域の総合的な再開発である。
市では中央公園として整備を進めてきたが、いささか総合的な観点からの取り組みが欠如しているように思う。私は金沢に6年間住み、しばしば兼六園に遊んだ。四季のおりおりに見せる兼六園の情緒は、さすがに百万石文化の奥行きの深さを感じさせるものがあったが、市民がこの公園を何よりの誇りとして、チリ一つ落とさぬほど心を配っている姿に深く感動したことを憶えている。
とともに兼六園の周囲には美術館や能楽堂などが静かなたたずまいと調和するかのように配置されており、公園そのものが総合的な文化の森として機能していることにも感心したものである。
「徳島城博物館」が完成し、いつでも、蜂須賀時代に思いをはせることができるのはうれしい。もっとうれしいのは、徳島市出身の篤志家が私財でプレゼントして下さった「鷲の門」である。
阿波踊りの季節となると、この門の前で人々は乱舞する。それは庶民の喜びの表現でもある。
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