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随筆42 「剣山山頂から見たふるさとの山河」
私が剣山に初めて登ったのは中学3年生の夏休みであった。級友の粟飯原清治君ら3人で出かけたのだが、運動靴にナップザック一つという軽装だった。当時の私は山といえば眉山を連想するくらいで、剣山がどれほど高い山であるか、想像もできなかった。
標高1955メートル。県下で一番高い山であるということは知っていた。その山に登るというだけで心はずむものがあった。蔵本駅から汽車で穴吹駅へ。そこからバスで木屋平村に入り、山道を4時間くらい歩いたように思う。
とにかく急な山道だった。四ッんばいになって登らねばならないような岩場もあった。あえぎあえぎ登りつめると急に視野が開け、熊笹の茂る尾根道に出た。稜線を渡る風が汗の流れる膚に心地よかった。立ったまま枯れつきた古木がそこかしこに白い地膚を見せていた。
頂上は、熊笹が敷き詰められたような大平原だった。周囲360度、見渡す限り、山また山の大海原である。屏風のようにそそりたつ山々の間を深い渓谷が走る。その渓谷沿いに白く光るのは、点在する民家なのであろうか。まさしく四国は山また山の国であり、この山また山の大自然をわが天地として、たくましく生きゆくわが徳島県人はなんと幸せなことか。そんな気持ちが湧いてくる光景だった。今もなおその眺望は鮮明に脳裏に焼きついている。
剣山登頂を契機に山に魅せられた私は、その後、北アルプスの穂高や乗鞍をはじめ白馬や浅間などにも登ったが、最も印象に残ったのは富山県の立山である。立山へは黒部から宇奈月へ入り、いわゆる黒部・立山アルペンルートで弥陀ヶ原高原へ。初夏というのにバスの背をはるかに越える積雪が残っている。山荘風の弥陀ヶ原ホテルから眺めた眺望がまたすばらしいものだった。はるかかなたに加賀の白山がそびえ立ち、一面に白雪の大平原が広がっていた。この雄大な景観が今ではサンダルばきで見られるようになった。
観光ルートの開発によって、秘境が秘境でなくなり、ごく一部の人々しか見られなかった景観が、だれにでも楽しめるようになったことは確かに一つの進歩であろう。しかし、それによって失ったものも大きいことも知らなければならない。すでに立山では、名物だった天然記念物のライチョウが絶滅の危機にさらされている。もともと高山にしか生息しないライチョウは無菌状態に近い環境の中で一生を過ごしてきただけに、菌に対する抵抗力が極度に弱い。その体を登山者達の食べ残す食料を通して、入った雑菌がむしばんでいるというのだ。
子供を守るために、みずからが傷を負っているかのように見せて、敵の注意を引きつけるというこの悲しくも愛らしい母鳥達が、人間のまき散らす残飯によって生命を絶たれようとしているのだ。まことに残酷なことを人間はしているといわざるをえない。
わが剣山も最近では、道が整備され、リフトを活用すれば頂上近くまで簡単に登れるようになっている。私も家族で登ったことがあるが、昔と比べると“こんな深山にまで開発が進んだのか”と眉をひそめた。それでも頂上からの眺めは昔と変わらず、ジロウギュウや三嶺をはじめふるさとの山河を目のあたりにした感動はひとしおのものがあった。子供達の心にも強く焼き付いたに違いない。自然保護か開発かの論議はなかなかむつかしいものであるが、この大自然は人間だけの私有物ではないことに思いを至す心暖かな視点の確立を忘れてはならない。
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