随筆45 「全力投球の美、池田高校の優勝

 もう一昔前の話になってしまったが、今も心に残る痛快事は池田高校の優勝であろう。甲子園を若人の熱と力で沸かせた池田の健闘は、あのさわやかイレブンの初印象を何百倍にもして再現してくれた。
 あの日、日本列島は池田の一挙手一投足に湧き返ったといってよい。日ごろは野球に関心のない主婦やおばあちゃんまで、テレビにかじりつきで黄色い声をはりあげた。そんな光景が県下のあちこちで見られたものだ。
 池田の魅力は何といっても、田舎まる出しの野性味である。小さくまとまらず、一人一人が思う存分に持てる力を発揮した。その思いっきりのよさにあるといってよい。どんな逆境にあっても順境にあっても、ひたすら勝利を信じ真一文字に突進する高校生ならではの青春の爆発があった。全力投球の美しさがあった。
 甲子園の記録を次々に塗り替えていった爆発力は見事というほかない。思わず胸のすく思いをした人も多かろう。政治も経済も行き詰まり、視界ゼロという万事に面白くないことの多い世の中である。それだけに、久方ぶりに心からの喝采を送った人は多い。
 大人ぶった理詰めの野球ほどつまらないものはない。その点、池田の野球には何が飛び出すかわからないゾクゾクするような痛快さがあった。このへんが日本列島を興奮のルツボと化した池田の最大の魅力でもあったろう。
 人生もまたしかりと私は思う。万事に計算づくの取り組みが目立つ世の中である。しかし考えてみれば計算どおり、シナリオ通りにこの人生が過ごせたらこれほど味気のないものはない。何が起こるかわからない。そこに興味もつのり、その時その一瞬に全力投球する意義も生まれてくる。不可能を可能とするようなドラマをこの人生で何度演ずることができるか。それが人生の意義ともいえるのではなかろうか。私は池田の健闘を通して、何事にも全力投球する美しさというものを再確認させていただいたような気がする。シラケムードの漂うこの世の中で、これは貴重な再発見だったように思う。私事で恐縮だが、私は青春時代から現代に至るまで“全力投球”を生活信条としてきた。特に思い出深いのは、昔の話で申しわけないが十五年間にわたる新聞記者生活である。
 入社して1年間はふとんの中で休んだことがなかった。ふとん袋を寮に送ったものの、取材と原稿書きに追われて、寮に帰るひまがない。当時の私の守備範囲は愛知、岐阜、三重、石川、富山、新潟、長野、山梨、静岡の中部九県下。“記事は足で書け”が鉄則の新聞記者はどこへでも飛んでいかねばならない。
 眠るのはいつも列車の中か支局の机の上だった。リノリュームの支局の床で新聞紙一枚かぶって寝たこともたびたびあった。新聞紙1枚でも結構、暖はとれるもので、そんな生活でも風邪などひいたこともない。
 1年たって、ようやく後輩が誕生。寮に帰ってふとん袋を明けてみたら、ふとんはグショグショでカビが生えていた。苦しくもあったが楽しいことも多かった1年生記者のころの思い出は、今となっては、全てが懐かしい。苦しかったことは全部忘れてしまって、楽しい思い出ばかりが記憶に残っているのも不思議なものである。
 15年間、無我夢中で過ごした記者生活を通してつかんだものは、数知れない人と人との出会いである。雪深い長野県は飯山市で、野沢菜のつけものをかじりながら、夜明けまで取材させていただいたこともあった。富山のイタイイタイ病が初めて公害病に認定された初判決の取材では原告の患者の皆さんと抱き合って勝訴を喜んだものだった。
 何につけ、全力投球した喜びというものは時間の経つにつれ、記憶が鮮明になり、懐かしさが込み上げてくるもののようである。