随筆58 「寒風に干柿のスダレ」

 貞光町から真っ暗な山道を車は走り続けた。曲がりくねった道、道幅も狭い。車は一層スピードを上げる。「大丈夫ですか」思わず声をかける。「任しといて。ここは自分の庭みたいなもんですきに」。 車が止まったのは、一宇村大佐古。剣山はもう、すぐそこだ。村議会議員の大森利香さんが「皆待っとるでよ。早よう入りなさい」と自宅に案内してくれる。会場は、はちきれんばかりの人だ。拍手と歓声そして候補者の私を励ます歌声が、夜空にこだましたー。
 衆議院選挙のたびに、私は大森さん一家にお世話になった。いつも自宅を個人演説会場に提供して下さったばかりか村中の皆さんを支持者の皆さんとともに集めてもくださった。時には遊説隊一行を宿泊もさせていただき、早朝からマイクで応援演説していただいたこともある。
 選挙が終わると、私はよく泊まり込みで、一宇村の方々に御礼に回った。そのときも大森さんが案内してくれた。あの谷この谷に点在する支持者の皆さんのお宅を一軒一軒たずねた。いつも秋から冬にかけての季節が多かったように思う。
 ちょこんと屋根のついたハゼに干柿のスダレが垂れ下がっていた。雨にぬれぬように、そして風通しのよいように工夫されている。寒風にそよぐ干柿のスダレは一宇村の初冬の風物詩でもあった。
 夜は、大森さんのお父さんはじめ奥様もまじえて、夜の更けるまで、語り合った。外は凍るほどの寒さだが、家の中はいつも暖かかった。私は特に、土地の人が作った大きな固い豆腐が大好きで、味噌をつけて焼いた田楽は最高だった。
 政治が大好きで「もうこの辺にしませんか」といわない限り、いつまでも話し続けた大森さんのお父さんは、その後、逝去されたと聞いた。心からご冥福を祈りたい。
 大森宅には、5、6年前、訪問したが、その折も近所の人達と心ゆくまで話し合うことができた。一宇村の干柿は今も有名だが、この干柿が出回るころになると、いつも一宇村とスダレ風景が瞼に浮かぶ。