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随筆63 「少年剣道と稲木紀一さん」
国会の私の事務所は初当選以来、ずっと変わらない。東京都千代田区永田町2−1−2、衆議院第二議員会館の734号室である。
部屋には、私の好きな吉野川の絵や人形浄瑠璃の藍染めがかかっている。ランドサットが撮影した四国全図も目を引く。阿波踊りの竹人形もある。
「徳島のにおいがしますね」訪問客からそういわれると正直いってうれしい。
国会開会中は、四、六時中、来客がある。いつもあわただしくて申し訳なく思っているが、徳島県人がくると「まあ、お茶でもどうぞ」と知らず知らずのうちに長話になってしまう。
とりわけ、うれしかったのは少年剣道の子供達が大勢で国会見学に来て下さった時であった。「あす全国大会に出場します」という子供達と国会見学のあと一緒に昼ごはんを食べた。
少年剣道といっても半分くらいは女の子である。しかも女の子の方が体格がよい。お父さんお母さんも一緒の食事はまことににぎやかだった。
「女の子の方が強そうやね」「残念やけど、その通り」「ホンマホンマ」「でも、その方が世の中うまくいくんと違う」「ホヤホヤ」「うちでもお母さんがお父さんより強いもん」「うちもや」「やっぱしなあ」。
「きょうだけは鉄砲を持たずビデオを持ってきた」という警察官のお父さんもニコニコ笑いながら子供達の会話に耳を傾けていた。
この少年剣道の一団を引率してこられたのが稲木紀一さんであった。稲木さんは、大正6年2月11日徳島市に生まれ、私と同じ徳島工業高校を卒業のあと、栄青写真とトクジムという二つの会社を創立。徳島県ビルマ会会長としてまた徳島県剣道連盟や、徳島眉山ライオンズクラブでも活躍されたが、子供達の人間形成を剣道を通して行うことに熱い情熱を注がれた方であった。剣道教士六段。私も一度だけ稲木さんが竹刀(しない)を振る姿を拝見したが、正眼の構えから上下に振りおろす竹刀に毛筋ほどの揺れもなく、呼吸も全く乱れていないことに心から感動したものである。
ところで稲木さんは私にとってはいくら感謝しても感謝し尽くせぬ大恩人でもある。衆議院選挙に二度目の挑戦をした時、私は母校の大先輩である稲木さんにすがりつく思いで相談した。「わかりました。私から同窓会の推薦がいただけるよう努力してみましょう」。そればかりか「徳工から国会議員を出す会」を結成して下さり、自ら会長を引き受けて下さったのである。「バッチをつけて、母校の創立80周年の記念式典に来なさい」それが稲木さんの口グセだった。
厳しい選挙戦だった。稲木さんは毎日のように選挙事務所に駆けつけて下さった。どこへ行っても「稲木さんから聞いています。母校の代表として頑張って下さい」と暖かい声援を受けた。そして初当選。「お約束通り、バッチをつけて創立80周年のお祝いに来ることができました」。記念式典でお会いした稲木さんの目には光るものがあった。
残念ながら稲木さんはもういない。最後にお目にかかったのは亡くなる二週間ほど前、病院にお見舞した時であった。その時も「次の選挙も必らず勝ちなさいよ」と心からの激励をいただいた。
稲木さんが働きかけて下さって以来母校の同窓会からは、選挙のたびに推薦をいただいている。そして「徳工から国会議員を出す会」は松田海三会長、西英勝事務局長に引き継がれ、一層力強い御支援をいただいている。
私は稲木紀一さんをはじめとする母校の皆様に、いつも心からの感謝をせずにはいられない。
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