随筆66 「ワサビ出荷組合と三木申三さん」

 車が通る道がない。だから歩く。おとなも子供も、おじいちゃんもおばあちゃんもみんな歩く。買い物も全部自分で運ぶ。テレビや冷蔵庫は背負って運ぶ。平らなところはまだいい。立木につかまりながら下りる急傾斜地は大変だ。
「生命がけですね」といったら「ずっとこんな生活ですきに、私達は慣れています。でも若い人は皆出て行きますね」そんな返事がかえってきた。
 半田町樫尾。曲がりくねった山道を上り下りしながらたどり着くとパッと視界が開けた。一番近くの農家に集落中の人達が集まってくれていた。
 早速、座談会が始まる。話題の中心はやはり道を作ってほしいということだった。「わかりました。必らずつくります」私が即答するとびっくりするほど大きな拍手がわいた。
 私は道を作ることには自信があった。しかし道を作っても働く場所を作らなければ若い人達は出ていってしまうのではないだろうか。そんな不安があった。
 過疎地に道を作ると、引っ越し荷物を積んだトラックが下りてくるだけ。道はできても人はいなくなる。そんな笑うに笑えない話を何度聞かされたことだろうか。
「ところで道ができたあとの話ですけど、道を利用する地場産業はありますか」おそるおそる私がたずねると「タバコもあかん」、「蚕もあかん」といったきり皆、だまってしまった。
「まあ、ゆっくりみんなで考えてみましょう」私達は気分転換のため、すぐ下を流れる谷川におりてみた。
 澄みきった水。そのせせらぎのなかに緑の植物が群生していた。「これは何ですか」と聞くと「ワサビです。天然のワサビです。このへんはいっぱいありますよ」と別に気もとめない様子なのである。「これだ!」思わず私は叫んだ。「ワサビを栽培したらどうですか。生ワサビは町で買ったら一本1,000円しますよ。」こんなことがきっかけで半田町樫尾ワサビ出荷組合が誕生した。県の助成を受けて、ワサビ畑も完成した。
 そして昭和61年4月28日、私は当時の三木申三徳島県知事とともに再び樫尾を訪問した。前々日には明石海峡大橋の起工式があり、何かと忙しい時期だったが「私が案内します」というと三木申三さんは二つ返事で「私も行きましょう」と同行して下さった。
 樫尾の人達は大喜びだった。新しい道も完成し、樫尾は見違えるばかりに活気づいていた。豆腐とジャガ芋の味噌田楽をいただきながら知事を囲んで「村おこし」の話ははずみにはずんだ。
 あれからもう13年。十年一昔というが、私にとってはまるで昨日のことのように感じられる懐かしい思い出である。