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随筆69 「「虹をつかむ男」の舞台に」
正月映画といえば御存知「男はつらいよ」。ふうてんのとらさんとまわりの人達がぶつけ合う赤裸々な人間味とちょっぴり悲しいロマンスが毎年日本人の心を暖かくした。
名優・渥美清さんが亡くなった。山田洋次監督は、さぞかし「ガックリ」されたことだろう。その監督に再び創作への意欲をかきたたせたのが、脇町という土地とここに住む人々の持つ素朴な暖かさだったようだ。
映画「虹をつかむ男」では脇町は光町として登場する。封切りの日、私も子供のころよく通った懐かしい蔵本の映画館に妻と一緒に並んで切符を買った。
古い壊れかかった映画館で映画の大好きな主人公の西田敏行さんが、町の人達を集めて名画をたて続けに上映する場面、雨に唄えばの曲に合わせて踊る場面、小さな小学校の分校で映画会をする場面、今も鮮やかに目に浮かぶ。
ところでボロボロで廃館寸前だった脇町の映画館は、この作品がきっかけとなり、その名も映画で登場した「オデオン座」の名前で見事に復元された。今やうだつの町並みとともに、全国にも知れわたり、観光の目玉となっている。
この「オデオン座」の前を流れるのが大谷川である。岸辺には大きな柳の木があり、町に灯がともるころともなると時代を感じさせる風情が漂う。町役場も近く、町の中心市街地を形成している。
私が初めて衆議院選挙に出馬したとき、ここの河原で大演説会をしたことがあった。当時は今のように広い会場がなく、この河原に遊説車を乗り入れて行った。脇町ばかりでなく美馬郡、三好郡全域から何時間もかかって駆けつけて下さった。私は全員の方々と握手させていただいたが、全身、汗でずぶぬれになったことをおぼえている。そして、お一人お一人の表情まで思い出す。
脇町には、その後何百回も通った。夏子から農免道路で平帽子まで行ったこともあった。平帽子の人達は高原野菜を作っていた。どこの家庭からも、おみやげに、トレトレの野菜をいただいたことが懐かしい。
ランづくりで有名な河野メリクロンの社長・河野通郎さんも脇町の人だ。いつも世界を相手に事業を展開している。研究室で働く若い人達の仕事に対する意気込みには圧倒される。東京は後楽園のドームでランの展示会があり、私も鑑賞したことがあるが、河野さんが出品したものが一番、豪華だった。同じ徳島県人としてうれしかった。脇町から「虹をつかむ男」が一杯出てほしい。
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