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随筆71 「蛙の子は蛙」
私の手元に衆議院議長をつとめた秋田清さんと、副議長をされた秋田大助さん父子二代の政治記録を綴った立派な写真集がある。
平成7年4月、秋田大助顕彰会が出版されたもので、顕彰会会長の真鍋晃三好町長は写真集を「蛙の子は蛙」と題した理由を、秋田大助さんが生前からよく使っていたこと、大助さんが衆議院議員に初当選した直後、父の親友だった衆議院議員の葬儀に参列したおり、奥様から「蛙の子はやはり蛙の子に育ったのネ」とご挨拶されたことに深い感銘を受けたといつも語っていたことによる、と述べている。
今、三好町には父子2代の墓があり、私も墓参させていただいたことがある。清さんの銅像は池田町の三好大橋のたもとにあり、大助さんの銅像は三好町にある。大助さんの銅像除幕式は平成7年5月20日行われ、私も出席し、挨拶させていただいた。
秋田大助さんと私は、昭和55年と58年の2回、選挙戦を戦った。55年は初出馬の私が落選し、58年は、秋田大助さんが落選された。当選すれば、父子2代の衆議院議長は確実といわれていただけに、私は申し訳ない気持ちで一杯だった。
「私が当選したもんで、先生が当選できませんでした。すんません」私は率直に話した。すると「いや、あなたのせいではありません。私のせいですから」と語られた。誠実そのもののお人柄がにじみ出ていて私は感動した。
選挙の時、いつもすれ違うたびに白い背広の秋田大助さんから「頑張りなさいよ」と声をかけていただいた。東祖谷山村の役場の前で握手してもらったときの柔らかく温かかった感触は今も忘れない。
秋田大助さんが逝去されたのは昭和63年11月29日、公明党全国大会の日だった。私はとるものもとりあえず通夜に駆けつけ、葬儀にも出席した。祭壇には、にこやかないつも通りの秋田大助さんの笑顔が、参列者を暖かく見守っていた。
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