随筆74 「県南に高速道路をと森下元晴さん

 海部町靹浦。大敷網と呼ばれる大型定置網漁で有名な沿岸漁業の基地である。 最近は広域交流の拠点施設として整備された漁火の森,遊遊NASAに加え、大型定置網漁が体験できる体験学習船が誕生。靹浦近辺は新たな観光スポットとして人気を呼んでいる。
 靹浦には私もよく行ったが,狭い地域にびっしり風格のある格子戸の家が並んでいる。 豊かな漁村を象徴する家並みである。南町にあるとりわけ大きな家が森下元晴さんの御自宅である。いつも御母堂から親切に応対していただいたことを思い出す。
  森下元晴さんは大正11年4月12日生まれで東京農工大学(旧東京高農)を卒業し地元の町議会議員をしていたころ、中曽根康弘さんの目にとまり、昭和38年衆議院選挙に初出馬し、初当選した。
  この話はあまりにも有名だが、私は昭和55年、58年、61年、平成2年の4回,同じ選挙区で戦わせていただいた。定数5の中選挙区であったため私が初当選した昭和58年からはともに当選することができ、いつも「おめでとう、よかったね」と激励していただいたことを覚えている。
  本当にお人柄のよい人で私が初当選したときは、私の議員会館の部屋までお祝いに来て下さり「私も初当選の時はあなたと同じ40歳でした。なんでもわからんことがあったら、いつでも来て下さい。御相談に乗りますから」と兄のように親切にしてくださった。
 また「2回目の選挙が肝心ですよ。今から十分準備しておくことですよ」とそんなことまで心配していただいた。果たして2回目の選挙では1万票近くも減票し、私は支持者の皆様に本当に申し訳ないことをしてしまったのだが、今にして思えば森下さんの忠告を真剣に聞かなかった自身の不明を恥じるばかりである。
 森下元晴さんは自民党の国対委員長をしたり、厚生大臣をつとめられたが、まだこれからという時にあっさり政界を引退された。これには支持者も徳島県民もびっくりしたが、本人はひょうひょうとしたもので、その直後、東京便の飛行機に乗り合わせた私に「一つだけ心残りがあります。県南に高速道路をつくる。この構想をぜひ実現したかった」といわれた。
  私はとっさに思った。「確かにそうだ。森下さんはいつも言っていた。8の字構想では阿南から南が抜けてしまう。阿南から室戸、安芸を通り高知までつなぐ高速道路。これを作らなあかん」と。そして「わかりました。そのバトンを確かにお受けします」と私は心に誓った。
 地域高規格幹線道路の構想が発表され、徳島県南部と高知県東部の市町村長と議長さんが連係して建設促進期成同盟が結成された。私も進んで参加した。建設省の担当課長をしていた私の小学校時代の後輩から「たった今、阿南、安芸地域高規格幹線道路の指定が決定しました」の第一報が入ったとき、私は「これで森下さんの夢が実現する」と無性にうれしかった。
 県南の高速道路は現在日和佐町から着手されていて、夢が一歩一歩現実のものとなりつつある。と、ともに森下さんといつも話し合っていた「紀淡海峡大橋」も新しく策定された国土整備計画のなかに太平洋新国土軸として明記された。明石海峡大橋を超える世界第一の長大橋の完成が待ち遠しい。