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随筆77 「組合の皆さんと一緒に“朝立ち”」
北島町には繊維・化学などの工場が多い。どの工場にも母校の先輩や同級生あるいは後輩がいて、いつも親しいお付き合いをさせていただいている。ことに組合の皆さんには私の初出馬以来、御推薦をいただいている関係もあり、いつも暖かい御支援に感謝している。
私が衆議院選挙に初出馬したのは昭和55年6月のことで、内閣不信任案が可決し、突然衆参同時選挙となった。衆議院はわずか7ヶ月での解散であり、誰も予期した人がなかったほどで、私などもまさか私自身が候補者になるなど夢にも考えたことがなかった。あまりにも突然のことで何もかもが生まれて初めての経験だった。
うれしかったのは、公明党公認とともに民社党からも推薦をいただいたことだった。民社党からは当時の委員長だった佐々木良作さんが、わざわざ徳島まで駆けつけて下さった。私とともに街頭演説に立ち、若い私に「必ず勝ちましょう」と握手して下さり、集まった人々に熱っぽく、すばらしい演説をして下さった。ゼンセン同盟からは宇佐美会長が来て下さり、組合の幹部の人達を集めてゲキを飛ばして下さった。「遠藤さん、組合の幹部の皆さんはあなたの高校の卒業生が多い。あなた自身が訴えていけば、みんな動いてくれますよ」と激励して下さった。
私は百万の味方を得た気持ちがした。工場の前を通るとき必ず組合に寄るようにした。皆さん、大きな拍手で迎えてくれた。2回目に通るときは組合員の皆さんを集めて下さり、挨拶させていただくこともあった。選挙の終盤戦になると、朝、工場の玄関の前に私とともに立って下さり、出勤する人達に訴えて下さる組合幹部の人達も出てきた。私達はこれを“朝立ち”と呼んだ。
初めての選挙はそんな御苦労をいただきながらも次点に泣いた。「本当に申し訳ありませんでした。」とおわびすると「次回は必ず勝ちましょう」と激励してくださった。私は2回目の選挙以来連続5期、組合の皆さんの暖かい御支援で当選させていただいている。ありがたいことである。今も工場の前を通るたびに選挙のとき組合の皆さんと一緒に“朝立ち”した姿を思い出す。
ところで、最近の北島町は、早咲きチューリップの産地形成に力を入れていて、毎年4月にはチューリップ祭りも開催される。県下で一番新しい県立北高校も誕生し、1年中温水プールが楽しめる施設もオープンした。大型のショッピングセンター開設も目白押しだ。工場の町から健康と活力にあふれる地方都市へと大きく変化しつつある。
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