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随筆78 「レタスづくりにかける夢」
米や麦を中心とした水田酪農地帯から、露地野菜を中心とする園芸農業地帯へ。吉野町の農村はその姿を大きく変えてきた。
そのきっかけとなったのが、30年前、9戸のタバコ栽培農家がレタスづくりに挑戦したこと。新聞をみて、レタスのことを知った人たちが「人にできるものが、俺たちにできないわけはない。もっとよいものをつくってみせる。」とチャレンジしたのだ。
何度も失敗した。けれどもくじけなかった。昭和47年には冬レタスが、昭和52年には春レタスが農水省の産地指定を受けるまでになった。現在では栽培農家も250戸に増え、栽培面積も230ヘクタール、生産額は年間12億円に達している。県下一の生産量である。京阪神市場では「吉野レタス」の名で好評を博している。レタスづくりに挑戦して30年。今や高品質のブランド品にまで成長したのである。
ところで農業政策は、土地改良事業に象徴される構造改善事業がまずあげられるが、それにも増して大切なのが営農政策、つまり整備された土地で何をつくるか、何をつくって収入を得るかである。
農作物は市場で取り引きされるから、良いもの、希少価値のあるものでなければ高値がつかない。工業製品のようにコストの上に利益を乗せて定価をつけるわけにはいかないのだ。戦後の日本の農業を概観してみると、営農指導はなかなか難しく、成功例はあまり多くなかったのではないかと思わざるを得ない。営農指導を専門とする農業改良普及事務所の方々とお話しする機会も多いが、普及員の皆さんの献身的な御努力にもかかわらず、容易でないのが実情のようである。
ある地域で成功すると、他の地域でも同じことをする。同じものをたくさん作ると価格は下がってしまう。この堂々めぐりが繰り返される。結局は、その地域でなければつくれないブランド品を創作していく以外にない。そうなると結局は地元の人たちの熱意に頼るしかない。他の地域ではいくらまねしてもできないものに仕上げること。これが農作物の個別化、つまりブランド品となるのだ。
最近、漁業でも「関サバ」「関アジ」のように個別化されたブランド品が出回り始めた。釣り上げた漁師の名前や日時も入った商品まであるそうだ。
農作物もコメの自由化以来、そんな傾向が出始めている。「吉野レタス」が今後も徳島県を代表するブランド品として、日本中で好評を博しつづけて欲しい。
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