随筆82 「淡路へ救援物資を」と埴渕一さん

 羽ノ浦町はキョーエイ代表取締役会長、埴渕一さんの出生地である。昭和3年11月13日、この町に生まれた埴渕一さんは、父・朝夫さんが創業した家業の呉服屋を県下最大のスーパーに仕上げた。
 私自身、大変親しくさせていただいているが、いつも純粋無垢で情熱にあふれた語り口に圧倒される。猛烈な勉強家で広く世間に知識を求めるとともにそれを実践し、血肉とされている。話をお聞きしているといつの間にか、2時間も3時間も経っていることが多い。
 何事もあやふやにすることが大嫌いで、誰にでも正論を真っ正面からぶつける。「そんなにはっきり物を言うと商売に影響があるのでは」などと心配する人もいるが、本人は全くおかまいなしで、いつもきっぱり断言する。しかも決断がまことに速い。迷うということがないのである。何故、迷わないのか私なりに分析してみると、この人の場合、判断の基準がいつも損か得かではなく、正か邪かにある。というより、正しいことを行っていれば必ず得をする。それが社会の法則であるという確かな経験則を、この人は持っておられるのだと私は思う。
 平成7年1月17日阪神・淡路大地震が起きた。翌日、私は海部俊樹元総理とともに淡路の被災地をお見舞いした。このとき救援物資を車に満載して「被災者の方々に届けて下さい」と申し出てこられたのが埴渕一さんだった。
 社員の方々に直接指揮され、車も運転手も救援物資も全て自ら用意して下さった。被災地に着き、海部さんにこのことを話すると「本当にありがたいことです。私から直接、兵庫県知事にお渡しします。埴渕さんにくれぐれもよろしくお伝え下さい」と大変に喜ばれた。救援物資は災害対策本部となった北淡町役場の玄関に積み上げられ、いあわせた兵庫県知事と北淡町長に直接手渡された。知事も町長も大変に感謝し、早速、役場の職員によって直接、被災者に届けられた。
 大震災のあと、私は2度ばかり北淡町を訪問した。さらに衆議院建設委員長として建設委員会のメンバーとともに阪神・淡路大震災の被災地を視察し、兵庫県知事や神戸市長をはじめ淡路島の町長さんたちから国への要望をお聞きした。どの方々からも「今回は民間の皆様から熱心な救援活動をいただき本当にありがとうございました」と感謝されたことを思い出す。
 被災した翌日という埴渕一さんの救援活動は誰よりも速かった。このことがきっかけとなり、多くの人々が大鳴門橋を渡って淡路の被災者に救援の手を差しのべたのだ。「困ったときはお互いさまですよ。人間として当たり前のことをしただけです」感謝の言葉を伝えると子供のように、はにかんだ埴渕さんの笑顔が今も忘れられない。