2012年

2012年12月24日

 

 徳島市で没したポルトガルの文人モラエスの半生を描いた故新田次郎さんの未完小説「孤愁ーサウダーデ」を、新田次郎さんの次男で作家の藤原正彦さんが書き継いで完成させました。

 

 7日には徳島日本ポルトガル協会の主催で出版記念祝賀会があり、「モラエス、父、私」と題した藤原正彦さんの講演会も盛大に開かれました。

 

 私は藤原正彦さんには何度かお会いしたことがありますが、いつも物事の本質をとらえて正論をはっきりと述べられる姿に感動しています。

 

 その講演の後、お伺いすると少年のように少しはにかみながら謙虚にご自身のことを語られる姿がとても印象に残っています。

 

 今回の出版記念祝賀会では幸運にも藤原正彦さんご夫妻と同じテーブルでお話をお伺いすることができました。

 

 昭和56年2月、心筋梗塞で突然倒れた新田次郎さんは駆けつけた藤原正彦さんの腕の中で息を引き取られたそうです。

 

 亡くなられた直後は悲しさより、怒りに震えたそうです。父が「孤愁」に全精力を傾けていたことを知っていただけに、志半ばで父の命を奪った死という自然の摂理に対して激しい怒りを感じたと言っておられました。

 

 翌日、父の無念を晴らすと誓った藤原正彦さんは以来32年間、父の訪れた所は全て訪れ、父の読んだ文献は全て読み、徳島には十数回通われたそうです。

 

 ポルトガルには3度訪問し、父が書いたように書くために、父と全く同じルートをたどり、同じ人に会い、同じホテルに泊まり、同じ料理を食べ、同じ酒に酔い、父の追体験をされたそうです。

 

 全6000ページに及ぶ膨大な資料を読み解くのにもかなりの時間を要し、ようやく書き始めたのが67歳。気がつけば父が亡くなった歳になっていたと語っておられました。

 

 2012年は新田次郎生誕100周年。この年に父の未完小説を完成させて上梓した藤原正彦さん。父の無念を晴らした安堵とともに父の珠玉の作品を凡庸な筆で汚したかもしれない若干の危惧が胸にあると語られていた謙虚なお姿が心に残りました。

 

 私は出版記念祝賀会の席上いただいた署名入りの「孤愁」を1ページ1ページ味わいながら読み進め、昨日、読了させていただきました。

 

 新田次郎さんが書かれた部分も藤原正彦さんが書かれた部分も見事に融合し、一つの小説として完成していました。全編をこの小説のテーマである「孤愁(サウダーデ)」が貫く父子一体の見事な小説になっていました。

2012年12月19日

 

 16日に投開票された衆議院議員総選挙の結果は自民党と公明党が両党で衆議院議員総定数の3分の2を越える325議席を得て、圧勝しました。

 

 民主党は歴史的大敗となり、失政続きの民主党政権に国民の厳しい審判が下りました。また、第三局と言われる政党の主張は不明確で国民の理解を得られなかったようです。

 

 民主党政権の失敗によって、国民は国益の損失という高いコストを払わされたわけですが、これを生きた教材として政治を見る目を磨いたと私は思います。

 

 それだからこそ選挙戦の間際になって理念や政策の共有がないままの新党の結成は、民主党と同じ轍を踏むと国民は予見したのです。

 

 選ばれる議員の側の選挙互助会的なご都合主義は国民から見透かされ、政権担当能力のない政党が数ばかり増やしても国の舵取りはできないことも国民は理解したのでした。

 

 年内には国会が召集され、新しい自民党と公明党との連立内閣が発足します。新内閣は直ちに大型の補正予算を編成し、強力な経済対策を実行していただきたい。東日本大震災の被災地復興の加速も喫緊の課題です。その他、課題は山積しています。

 

 両党は圧倒的多数を得たからと驕るのではなく、何処までも謙虚に着実に日本を再建する政治に取り組んで貰いたいと思います。

 

 それにしても今年中に新しい内閣が発足するのは嬉しいことです。国民の全員が新しい年を新しい気持ちで迎えられるような新内閣の発足と新しい政治のスタートにしてもらいたいと私は切望します。

2012年11月17日

 

 衆議院が16日解散しました。衆議院選挙は12月4日公示、同16日投票で行われることになりました。この選挙で問うべきものはまず第一に民主党政権への審判です。

 

 3年余り続いてきた民主党政権は選挙の時に国民に約束したマニフェストのほとんどを実行できませんでした。そればかりか、政治主導の失敗や震災対策の遅れ、外交・安全保障政策の迷走などの失政を重ねてきました。

 

 失政に次ぐ失政で、3年間で3人も首相が変り、決められない政治が続いてきたのです。こうした政治の停滞はわが国の重い足かせとなり、深刻な内憂外患を招いてしまいました。

 

 民主党は今や沈み行く船になっています。船が沈没しそうになると鼠がいち早く逃げ出すといいますが野田首相が14日の党首討論で16日の衆院解散を表明した後、民主党からは離党者が相次いでいます。

 

 離党議員らは日本維新の会やみんなの党への合流のほか、俄作りの新党を結成して苦戦必至の衆議院選挙に活路を見い出したいようですが、有権者を置き去りにした離合集散は情けない限りです。

 

 もはや自己崩壊しつつある民主党に日本の明日を担う力はありません。今回はこのような民主党政権に国民の側から明確な終止符を打つ選挙にしなければならないと私は思います。

 

 今回の選挙でもう一点注目されるのは、いわゆる「第三極」勢力の動向です。政策の擦り合わせのない、選挙のための単なる合従連衡では国民の失望を招くことは間違いありません。

 

 政権交代の名の下に政策の一致もなく野合し、財源の裏づけもないマニフェストを掲げて政権をとった民主党が見る影もなく沈没していった姿を国民の皆さんは目に焼き付けています。二度と同じ過ちは繰り返したくないのです。

 

 民主党に裏切られ、国民の皆さんの本物の政治を求める機運はかつてなく高まっています。研ぎ澄まされた感覚で本物の政治家と政党を選ぶ選挙にしたいものです。

2012年10月10日

 

 スウェーデンのカロリンスカ研究所は8日、2012年のノーベル医学生理学賞を山中伸弥京都大学教授に授与すると発表しました。

 

 山中教授は、さまざまな組織の細胞になる能力がある「人工多能性幹細胞(iPS細胞)」を開発したことで知られていますが、このことが受賞の理由となったようです。

 

 京都大学で開いた記者会見で山中教授は「喜びも非常に大きいが、同時に大きな責任を感じる。研究を続け、一日も早く応用、社会貢献を実現したい」と述べました。

 

 また、受賞できたことは多くの関係者のご支援とご協力のお陰であるとも語り、この受賞を大きな励みとして一日も早く難病に苦しむ患者さんに喜ばれる薬を開発したいとも語っていました。

 

 山中教授はまだ50歳。若さにあふれたさわやかなノーベル賞学者の誕生に私も心から拍手を送りたいと思います。

 

 私が特に感動したのは山中教授が、iPS細胞の研究はまだ一人の患者も助けていません。すべてはこれからなのです。ノーベル賞はこれからの長い戦いへの励みとしていただいたものと受け止めていますと謙虚に語っていたことです。

 

 iPS細胞の医療への応用を目指す研究は世界各国で進んでいます。全身の筋肉が徐々に動かなくなる難病「筋萎縮性側索硬化症(ALS)」やアルツハイマー病などの治療薬開発、失われた視力や歯の再生、不妊治療などへの期待が高まっています。

 

 目の網膜の病気である「加齢黄班変性」に対して、患者由来のiPS細胞から作った網膜の細胞を移植して治療する計画は来年度には1例目の治療に入るとも報道されています。

 

 今やiPS細胞の研究は世界中で行われ、研究開発競争は激化しています。私は山中教授の語るように一日も早くメイドインジャパンの新薬が難病で苦しむ世界中の患者に届けられることを心から期待しています。

2012年9月4日

 

 映画「人生、いろどり」を鑑賞してきました。この映画は徳島県の山間部にある人口2000人に満たない上勝町での実話から生まれた物語です。

 

 人口の48パーセントを高齢者が占め過疎化も進み、何をしてもだめだと落ち込んでいたところへ農協の若い職員が葉っぱを料理の「つまもの」として販売しようと提案するのです。そこからこの物語が始まります。

 

 だれもがバカにして見向きもしないのですが、女性たちがやってみようと立ち上がるのです。その女性たちの代表として3人の女性がこの映画では登場します。

 

 3人の女性を演じるのは、吉行和子、富司純子、中尾ミエの何れも円熟した役柄を演じ分ける実力派女優の皆さんです。

 

 人生の喜びとは何か、夫婦とは何か、これからの人生をどう生きるのか、と言う問いかけに3人は悪戦苦闘しながらも葉っぱビジネスを通して一つ一つに回答を見出していくのです。

 

 映画の舞台には上勝町をはじめ、徳島県各地のなじみの深い風景や建物がふんだんに出てきます。3人の女優が語る阿波弁もすっかり土地の人になりきっています。

 

 彼女たちは、多くの苦難を超えて、ついに売上高2億6000万円をあげる葉っぱビジネスを立ち上げます。そしてそれは日本中の過疎化や高齢化に悩む山村の人たちに大きな希望を与えるのです。

 

 この映画を見て感じたことは、この映画が単に葉っぱビジネスの成功体験を紹介したものにとどまらず、過疎の山村の人たちの人生そのものを描くことに成功していることです。

 

 久しぶりにいい映画を見ました。元気の出る映画を見ました。感動もしました。皆さんもぜひご覧いただきたいと思います。

2012年8月16日

 

 12日から始まった徳島市の阿波踊りが15日、閉幕しました。最終日に街に繰り出したのは27万人(阿波踊り実行委員会調べ)。12日からの人出は122万人と、雨などの影響で昨年を9万人下回りました。

 

 金7、銀14、銅17、計38というアテネ大会を上回るメダルラッシュに沸いたロンドンオリンピックも閉幕しました。

 

 16日からの街は何事もなかったかのように日常の生活に戻っていますが、太陽の光にも、吹く風にも秋の気配が感じられます。

 

 このまま平穏に実りの秋を迎えることができればいいのですが、この秋は国際的にも国内的にも近年にない熱い政治の季節になりそうです。

 

 まず国際的には、ともに日本の領土である島根県の竹島と沖縄県の尖閣諸島にそれぞれ韓国人と中国人による意図的な不法侵入事件が相次いで起こっていることです。

 

 韓国人は竹島を韓国の領土といい、中国人は尖閣諸島を中国の領土といっているのですから、これは明らかな政治問題であり、日本政府としては緊急に且つ厳格に対処すべき国際的案件である事は間違いありません。

 

 次に国内的に対処しなければならない課題は、いうまでもなく「近いうちに国民の信を問う」と野田総理が約束した解散・総選挙をいつ実行するかです。

 

 すでに巷では解散風が吹き荒れており、この総選挙を生き残るための軽挙妄動が国会議事堂のある永田町界隈では始まっています。

 

 言い古された格言ですが「政治屋は次の選挙を考え、政治家は次の世代を考える」をこの際もう一度思い返しましょう。

 

 国際的にも国内的にも私の目に留まるのは政治屋ばかりです。まともな政治家のあまりにも少ないことに情けなくなります。

 

 政治家を選ぶのは有権者の私たちなのですから、しっかりと眼を開けて真実の政治家を選びましょう。それが民主主義の土台なのですから。

2012年8月3日

 

 7月28日から31日まで3泊4日の日程で家内とともに沖縄に行ってきました。高松空港からの直行便で那覇空港に着くと元衆議院議員の白保台一さんが迎えにきてくれていました。

 

 国際通りから少し入った花笠食堂2号店で昼食をいただきました。花笠食堂1号店はもう20年ほど前から沖縄に行くたびにお世話になっていますが、2号店は初めてでした。

 

 私たちは「ふーちゃんぷる」と「沖縄そば」と「沖縄もずく」と「ごはん」の定食をいただきました。沖縄の家庭料理の名人と言われるおばさんの作る料理はその手際よさといい、色彩感覚にあふれた盛り付けといい、その味付けといい、まことに申し分のないものでした。

 

 昼食の後、白保さんに案内していただいて、つい先日、訃報を聞いたばかりの元公明党県議会議員・宮城清順さんのご自宅へ弔問に参りました。

 

 宮城さんが初めて県議会議員選挙に出馬したとき衆議院議員に当選したばかりの私は1ヶ月ほど沖縄に滞在して応援させていただいたことがあります。その選挙で当選を果たした宮城さんと私は同じ昭和18年生まれでもあり、格別に親しくさせていただいてきました。

 

 ご自宅では宮城さんの奥様から、死期を感じられていた宮城さんが古い写真を丁寧に整理されていたこと、その中に私と一緒に写した写真があったことなどをお聞きしました。

 

 沖縄の厳しい選挙戦を勝ち抜いてきた宮城さんには多くのファンがいました。花笠食堂の経営者であり、今も1号館で名物の沖縄の家庭料理を作っている石川フミ子さんも熱心な後援会員の一人でした。

 

 私は宮城さんの紹介で石川フミ子さんそしてご主人の石川清廉さんと親しくなり、もう20数年、家族ぐるみで親しくお付き合いさせていただいています。

 

 石川フミ子さんは心優しい沖縄のおばあで、困った人がいると料金も取らないで、朝ごはんも昼ごはんも夕ごはんもご馳走してしまいます。

 

 今年、石川さんは「学生時代に世話をしていただいた私の恩人として結婚式で紹介したいのでぜひ来て欲しい」といわれて、名古屋まで行ったそうです。

 

 石川さんを呼んだ学生も立派ですが、沖縄から名古屋まで出かけていった石川さんもすばらしいと私は思いました。花笠食堂は1号店も2号店も石川さんを中心にしたこのような人と人との絆で結ばれているのです。

 

 ご主人の石川清廉さんも奥様同様に人と人との絆を大切にされる方でした。私たちは元タクシーの運転手だったという清廉さんの車で本部半島の離島や水族館、南部の玉泉洞などを案内していただきました。お蔭さまですばらしい沖縄の旅になりました。本当にありがとうございました。

2012年7月26日

 

 阿南市に住む小泉隆一さんから「次男が書いたものです」と発刊されたばかりの書籍が贈られてきました。小泉隆一さんはかつて那賀川町の公明党の議員として活躍され、議長を務めた後、町民から推されて町長としても活躍された方です。

 

 小泉隆一さんのご長男夫妻は私どもが結婚式の媒酌人を務めた関係でよく知っていましたが、ご次男については創価大学からメキシコのグアダラハラ大学に留学された後、国際機関で働かれているくらいのことしか私は知りませんでした。

 

 贈られた本は「平和を目指す君に」のタイトルに「ネパールとアフガニスタンで考えた抑止力と平和構築」のサブタイトルがついていました。

 

 著者の小泉尊聖(こいずみたかきよ)さんは1960年徳島生まれ。創価大法学部卒業、メキシコ・グアダラハラ大学経営学修士。10年余のメキシコ滞在後、国際平和協力に身を投じ、国連、外務省、JICA、NGO、民間企業など所属を変えながら20年のキャリアを築く。とプロフィールが紹介されていました。

 

 また、2007年から2011年までアフガニスタンにおいて日本人として初めてNATO(北大西洋条約機構)文民代表部に在籍する。現在はJICA平和構築専門家としてネパールに在住。とも紹介されていました。

 

 本の内容は「象牙の塔や快適なオフィスに閉じこもることなく、過酷な戦場や国際協力、平和構築の現場で身の危険を感じながら自ら汗をかいて体験し、考えたことだけを本書に収めた」とまえがきに書かれたとおり、読み応えのあるものでした。

 

 私が感動したのはムハンマドという仮名で紹介されているアフガニスタンの庶民の生き様です。ムハンマドは紛争のために全財産を3度失い、家族を地雷で殺され、難民生活を2度に渡って経験し、タリバンの拷問にも遭いながら、国連地雷除去プロジェクトの通訳として働き、毎日、著者に笑顔と挨拶を投げかけてくるのです。

 

 アフガニスタン内戦に翻弄され、一時は復讐心に燃えながらも、復讐の連鎖の無意味さを確認して、それを自ら拒否して前向きに生きていこうとするムハンマド。そんな庶民のたくましい姿に著者はユネスコ憲章の謳う「心の中に平和の砦を築いた」本物に出合った気持ちになるのです。

 

 そして著者は「21世紀の世界を変える力があるのは、真実のリーダーシップを発揮できるのは、核兵器発射ボタンを押せる一握りの権力者でなく、あのムハンマドのような真っ当な生き方ができる人間群である」と確信するのです。

 

 久しぶりに中身の重厚な読み応えのある本を読みましたが、爽やかな後味を感じる本でもありました。小泉隆一さんに早速お礼の電話を入れると「父の私が知らなかったこともたくさん書かれていて、びっくりしています」とおっしゃっていました。

 

2012年7月5日

 

 フィリピンのマニラに行ってきました。私の高校時代の同級生である石山康弘さんから現地のロータリークラブの会長に就任するのでその式典で同級生としてスピーチして欲しいと依頼されたからです。

 

 同じ高校の同級生である西英勝さんも、この式典で日本舞踊を披露して欲しいと依頼された奥様とともに式典に出席されました。

 

 式典は6月30日、マニラ市でも一番格式の高いマニラホテルで行われました。このホテルは太平洋戦争の時、マッカーサーが長期宿泊して指揮を執ったことでも有名です。

 

 現地のロータリークラブの会長に日本人が就任するのは初めてであり、マニラ新聞では翌日の朝刊で大きく報道していました。

 

 その報道によると石山さんは1985年にフィリピンに来て以来、ミンダナオ地方や首都圏を中心に、マンゴー農園やミネラルウオーターの会社を経営するとともに2002年にはロータリークラブの会員になり、活動してきたようです。

 

 5年ほど前から、他の会員から会長就任の要請がありましたが、多忙を理由に断り続けてきたようです。

 

 その一方、石山さんはこの国の子供たちのために何かを残したいと2007年ごろから学校を寄贈するなど子供たちの教育のための支援活動や日本と関係のある新日系人二世の子供たちへの支援活動を続けてきました。

 

 その支援の輪をさらに広げたいという思いやその他のボランティア活動にも力を入れたいという考えから、石山さんは会長就任を引き受けたとマニラ新聞は報道しています。

 

 そして「学校建設などを通じて、恵まれない子供たちの支援に取り組みたい」と抱負を語ったともマニラ新聞は報道しています。

 

 私のマニラ滞在は5泊6日になりましたが、その間、石山さんは自らのロータリークラブ会長就任式という大切な行事のあるなかにもかかわらず、つきっきりでマニラを中心にフィリピンの各地を精力的に案内してくれました。

 

 高校時代の石山さんはバレーボールクラブを一人で立ち上げ、弁論大会では高校生としてどうあるべきかを語るとともに戦後の日本の復興への道まで堂々と語っていました。その雄姿は今も私の瞼に焼きついています。

 

 現在の石山さんは人生を締めくくるご奉公をフィリピンの人たちのためにしたいと行動されているように私には見えました。今回の旅行でその私の親友がフィリピンの人たちから厚く信頼されている姿を拝見して本当に嬉しく思いました。

 

2012年6月14日 

 

 私事でまことに恐縮ですが、このたび6月の定時株主総会を持ちまして、大塚製薬株式会社監査役を退任いたしました。

 

 2期8年の在任中は公私に渡って格別のご厚情を賜り、まことにありがとうございました。ここに謹んで心より厚く御礼申し上げます。

 

 振り返ってみますと衆議院議員として6期20年を勤めさせていただきました後、引き続いて8年もの長きに渡って社会の第一線で活動させていただきました。

 

 お世話になりました皆様への思いは絶ちがたいものがありますが、今後は市井の中で一市民として健康に気をつけ、報恩感謝の日々を送らせていただきたく思っています。

 

 退任にあたって社長はじめ沢山の方々から大きな花束をいただきました。今、私の自宅の玄関はそんな花々に埋め尽くされています。

 

 薔薇の花や向日葵の花、紫陽花、蘭、カーネーション、そして名も知らない西洋の花々も大きな花をつけています。

 

 ・薔薇を抱き込み上げてくるものを抱き。これは蔦三郎さんの句です。「ホトトギス」昭和56年7月号雑詠巻頭の句です。

 

 この句はお子様の結婚披露宴で新郎新婦より花束をいただいたとき詠まれた句とお聞きしています。「抱き」を繰り返すことによって父親の心情を見事に表現されています。

 

 私の場合は、結婚披露宴ではなく退任にあったって花束をいただいたのですが、この句を真っ先に思い浮かべる心境になりました。

 

 大塚製薬株式会社は、私の郷里である徳島県に誕生した会社ですが、本当にいい会社でした。いい社員の方々ばかりでした。

 

 私はそんな方々に囲まれて、すばらしい8年間を過ごすことができました。皆様ありがとうございました。皆様のご健勝と会社のますますのご繁栄を心から祈っています。

 

 

2012年5月19日

 

 放鳥したトキの雛が孵ったことで沸き返る新潟から嬉しい電話をいただきました。電話の主は元公明党新潟市会議員の土屋利信さんです。

 

 土屋さんは市議会議員を7期お勤めになられた後、10年ほど前に後進にバトンタッチされたそうですが、74歳の今もお元気に市民のために活動されているようです。

 

 「電話をおかけしたのは、一時は全滅した佐渡のトキをこのように復元していただいたお礼を申し上げたかったからです」と土屋さんは今から24年前の1988年(昭和63年)10月28日と29日に行った公明党ジャパングリーン会議の話をされました。

 

 当時の私の活動日誌を紐解きますと確かに10月28日新潟県佐渡でトキの保護状況を視察。10月29日佐渡でトキの保護をテーマにシンポジウム。とありました。

 

 「『公明党のあのシンポジウムは本当にありがたかった。行き詰まっていた私に一条の光が差し込んだ思いがした』と佐渡トキ保護センターの近辻宏帰さんが私に涙ながら話したことを思い出します」と土屋さんは当時を述壊されました。

 

 近辻宏帰さんは1967年、24歳のときに佐渡トキ保護センターの開設にあわせて絶滅が危惧されるトキを守るため東京から見知らぬ佐渡にやってきたとのことです。

 

 当時はまだ野生のトキが10羽ほどいましたが、年々減り続け1981年には残った5羽を全部捕獲されます。この日から人工繁殖に向けた近辻さんの苦難の道が始まったのです。

 

 人工繁殖は失敗に継ぐ失敗。次々に死んで行くトキ。近辻さんに対しても非難の声が高まってきます。公明党のジャパングリーン会議の視察とシンポジウムはそんなときに行われました。このシンポジウムをきっかけに公明党では国会での質問をはじめ多角的にトキの問題を取り上げたのです。

 

 1999年、近辻さんはついに苦難を乗り越えるときを迎えます。中国から番のトキを迎え、その5月、国内初のトキの人工繁殖に成功するのです。そして2008年9月25日、皇室や大臣を迎えて試験放鳥が行われ、近辻さんの手から2羽のトキが佐渡の空へ飛び立ったのです。

 

 近辻さんは2009年5月5日、66歳で逝去されましが、その後も本格的なトキの放鳥が回を重ねて行われ、2012年には待望の雛が自然界で相次いで誕生したのです。

 

 私も近辻さんとは何度もお会いして言葉を交わしましたが、今も餌を入れたバケツを持ってトキの世話をしていた近辻さんの作業着姿と柔和なお顔は忘れることができません。今は亡き近辻さんですが、佐渡のトキを今も守り続けてくれているように私には思えるのです。

 

2012年4月29日
 
 讃岐の春を彩る「四国こんぴら歌舞伎大芝居」が今年も盛大に開催されました。私は年に一回、4月に開催されるこの歌舞伎を家族で見ることを年頭からの楽しみにしています。今年も早くから予約して、徳島や東京の方々と誘い合わせて、ともどもに家族で鑑賞してきました。
 
 「四国こんぴら歌舞伎大芝居」は昭和60年の第1回公演から、本年をもって28回を数えることになります。最近は全国から歌舞伎ファンが駆けつける歌舞伎界の年中行事の一つとして定着してきました。
 
 4百年を超える歴史と伝統を誇る歌舞伎が、日本最古の芝居小屋である金丸座で演じられるこの「四国こんぴら歌舞伎大芝居」は歌舞伎の原点に迫る感動を見る人に与えてくれる思いがします。
 
 金丸座は江戸時代そのままの小さな芝居小屋ですから、演ずる役者の表情や息遣いまでわかるほどの距離で歌舞伎を鑑賞することができるのです。役者の皆さんも誤魔化しが効かないから真剣勝負で演ずるといわれています。
 
 今年は、金丸座が芝居小屋として復活した第1回の公演に出演された中村吉右衛門さんが第21回の公演以来7年ぶりにお目見えになり、円熟した演技を披露されました。
 
 私たちは午前11時開演の第一部を鑑賞しましたので、中村吉右衛門さんの演ずる「一本刀土俵入」を鑑賞することができました。
 
 この作品の作者は「股旅物」を得意とした長谷川伸。昭和6年に東京劇場で初演されて以来、義理人情の世界を人情こまやかに描いた味わい深い新歌舞伎の名作として今に伝えられています。
 
 中村吉右衛門さんはこの「一本刀土俵入」をはじめはのんびりと、また何気ないやりとりの中にも、それぞれの人生や境遇を思う心の動きを細やかに丁寧に描いていきます。
 
 そして後半では横綱にはなれず、博徒となった中村吉右衛門さん演ずる茂兵衛は10年前に恩義を受け、そのとき横綱になることを約束したたお蔦さんと再会するのです。
 
 フィナーレではお蔦さん一家の難儀を救うために取り囲む土地の博徒の中に一人で入っていく茂兵衛。そして博徒からお蔦さん一家を救い出し、一家の旅立ちを見送るとき「これがお蔦さんに見てもらう、しがねえ姿の土俵入りです」と呟くのです。そして桜吹雪の中、その後姿ををいつまでも見送るのです。
 
 中村吉右衛門さんは、現代の歌舞伎界を代表するスターであり、人間国宝でもありますが、金丸座での公演を特に大事にされているとのことでした。そんな中村吉右衛門さんの人間味あふれる名演技を手の届きそうな至近距離で見られたのは本当に幸せでした。

2012年3月19日


 「子ども手当」は民主党の看板政策でしたが、4月から支給される新手当の名称は「児童手当」に戻ることになりました。


 「子ども手当は民主党政権の看板政策だっただけに、民主党としても『子ども』という言葉にこだわったが、自民、公明両党に押し切られ、自公時代の名称に戻ることなった」と、解説した新聞もありました。

 実際はどうでしょうか。私は自民、公明両党に押し切られて自公時代の名称に戻ることになったのではなく、民主党の看板政策だった「子ども手当」は自ら名実ともに崩壊し、もとの「児童手当」に戻ったのではないかと思います。

 民主党は2009年の衆院選で2011年度から「中学卒業までの子ども1人当たり月額2万6000円を支給する」(2010年度は半額)とマニフェスト(政権公約)に掲げ、財源も「全額国費」で賄うと大見得を切りました。

 ところが2010年度の「子ども手当て」は財源不足から、自治体や企業も負担する児童手当の枠組みを活用してスタートしました。

 さらに2011年度分でも恒久的な制度設計ができず、早々と満額支給を断念しました。そこで助け舟を出した自公両党は2012年度以降の手当については「児童手当法の改正」で対応することで民主党と合意。子ども手当てが廃止され、児童手当が復活することで落ち着くはずになっていたのです。

 にもかかわらず、民主党は面子を保つために昨年12月、名称を「子どものための手当」にとしたいと言い出し、自公が3党合意に反すると拒否すると、それを無視して政府は一方的に改正案を国会に提出してしまったのです。

 今月再開された3党協議会でも「児童手当」にしたくない民主党は「児童成育手当」「児童のための手当」などの新名称を相次ぎ提案する始末でした。そんな悪あがきが通ずるはずもなく、結局はもとの「児童手当」に落ち着いたのでした。

 民主党の往生際の悪さは今に始まったことではありませんが、マニフェストの破綻を破綻と素直に認め、国民に深々とお詫びする勇気を持つことこそ今のこの党に必要なことではないでしょうか。

2012年2月24日


 今年は梅の開花が遅いようです。徳島地方気象台によりますと、徳島県内で梅の開花の平年日は2月6日ですが、今年は23日現在も気象台の標本木は開花していないようです。


 各地の1月の平均気温は平年より0.1から0.7度低く、2月も1.3から2.6度下回るなど寒い日が続いたことが原因と見られます。

 2月5日に「明谷梅林まつり」が開幕した阿南市長生町の明谷梅林では、約4千本の梅の大半がつぼみのまま。例年は観光客でにぎわう時季ですが、閑散としています。

 大阪城の梅林には約1270本の梅が植えられていますが、私が訪問した2月5日には早咲きの梅がようやく咲き始めたばかりでした。梅の開花は例年より3週間ほど遅れそうだと のことでした。

 東京の皇居東御苑の梅林坂の梅は江戸城を作った太田道灌が植えたと伝えられていますが、私が訪問した2月21日はまだ早咲きの梅が咲いているだけで、本格的な開花は3月になってからのように思われました。

 俳句では早梅、寒梅、探梅は1月の季語。梅、梅見、盆梅、紅梅は2月の季語です。3月になると平年なら梅を詠む人は少なくなり、俳人の関心は桃に移っていきます。

 ところが今年は梅の開花が遅いので例年とは違って3月まで梅見が楽しめそうです。梅が咲き、桃が咲くと次は桜の開花が待ち遠しくなります。

 3月中旬には早咲きの桜で有名な蜂須賀桜を鑑賞しながらの恒例の茶会が今年もNPO法人「蜂須賀桜と武家屋敷の会」の人たちによって開催されると聞き及んでいます。

 梅の開花が遅れたお陰で、今年の3月は梅も桃も桜のお花見も楽しめることになりそうです。雪国では春を待ちかねるようにして色々な花が一斉に咲くそうですが、そんな風景が今年は徳島でも見られそうです。

2012年1月23日


 野田首相は消費税の増税に政治生命をかけると意気込んでいるようです。野田首相のいう「社会保障と税の一体改革」はまさに看板倒れであることが次第にはっきりしてきました。

 この国の社会保障のあるべき姿を何ら示すこともできていません。年金制度のあるべき姿すら示すことができないでいます。

 また税のあるべき姿も示せないでいます。こんな体たらくでどうして「社会保障と税の一体改革」といえるのでしょうか。

 聞こえてくるのは消費税の増税の話ばかりです。「消費税の増額ができないと国際的に信頼されない国になってしまう」などといって国民を煽る閣僚までいます。

 野田首相は国民に消費税の増額をお願いする以上、まず国会から定数を削減して範を示すべきだと定数削減案を示しました。

 私は国会から経費削減の範を示すことには大賛成です。そのためには定数削減の前に歳費の削減を断行すべきです。

 定数を削減しただけでは、残った国会議員の懐は何の痛みも感じないのです。これでは国会議員から経費削減の範を示すことにならないのではないのでしょうか。

 経費削減の範を示すというのならまず大胆に歳費を削減することです。その上で定数も削減しては如何でしょうか。

 定数を削減するに当たっては野田首相のいうような場当たり的な削減方法でなく、選挙制度そのものを改正した抜本的な改正にすべきです。

 最高裁判所から衆議院も参議院も一票の格差是正が指摘されています。こんな指摘がされないような恒久的な選挙制度の改正に踏み込むべきです。

 とにかく場当たり的なことでお茶を濁すことは一国の宰相のすることではありません。この国のあるべき姿をきちんと示すことが野田首相あなたの仕事なのです。それができないのであれば一刻も早く退陣してください。

2012年1月5日


 新年明けましておめでとうございます。昨年は東日本大震災をはじめ多くの災害に見舞われた厳しい一年でした。


 今年はロシア、フランス、アメリカ、韓国で大統領選挙が行われ、中国でも新しい指導者への交代が予定されています。北朝鮮の安定的な政権継承も注目されます。

 通常国会の開幕は24日以降とも言われていますが、問責決議が可決された2人の閣僚がこのまま居座り続けるようでは国会は入り口から暗礁に乗り上げるでしょう。

 この国会の最大の課題は社会保障と税の一体改革だと総理は言っていますが、社会保障の全体像をいまだに示さないで、消費税の増税だけを声高に叫ぶ首相の態度は情けない限りです。

 年末のドタバタで政府・民主党はかろうじて『一体改革の大綱素案』なるものを決定しましたが、社会保障の全体像はおろか税制改革の全体像を示すことすらできませんでした。

 しかも「後ろから鉄砲が飛んでくる」と首相が言うように民主党内はばらばらです。こんな有様で野党の合意作りなどできるはずがないと私は思います。

 民主党が国民に約束したマニフェストはほとんど実現できていません。できていないのに謝ろうともしません。それどころか合意作りに参加しないのは無責任だといわんばかりの首相の態度には誠意も責任もないと痛感せざるを得ません。

 「消費税は4年間上げません」「16・8兆円の財源は予算を見直せば生み出せます」と大見得を切っていたのはどこの政党でしょうか。

 国民との約束を反故にして居座る民主党政権の本質がいよいよあらわになってきました。もうだまされてはなりません。この民主党の本質を見抜いて断罪しなければ、日本に明るい未来は来ないと私は思います。

 マニフェストは総崩れ、選挙を経ないで1年ごとに首相が変わる。こんな民主党に国民を代表する正当性があるでしょうか。一日も早く国民に信を問うべきです。