名東郡

シャクナゲとミカンそして佐那河内米

 朝起きると眼下に雲海が広がっていた。夜来の雨もやみ山々を包んでいた霧が晴れていくと、そこには淡いピンク色をした花々が匂うように咲き誇っていた。石南花の花であった。

 

 もう五十年も昔のことになってしまったが、初めて徳島県名東郡佐那河内村で一泊した日の印象深い光景を私は今もはっきり憶えている。たしか徳島市立加茂名中学校の生徒会役員で一泊二日の研修会を行ったときのことである。

 

 担任の森宮九十男先生が佐那河内村出身であることから何かの縁を頼って研修会の会場に石南花で有名な佐那河内村の名刹・徳円寺を借りたのである。

 

 私達の多くが生まれて初めて訪問する佐那河内村であった。村内に足を踏み入れた途端、私達は歓声をあげた。山々の緑の濃さと深山から流れ下る水の美しさはまさに別天地を思わせるものであった。

 

 さらにその晩いただいた御飯のおいしかったこと。一つ一つの米粒がシャキッと立って見事な光沢を放っている。食べ盛りの私達は無我夢中で食べたものだった。かつては献上米として有名だった佐那河内米を私たちはおなか一杯いただいたのである。

 

 私は米作りの専門家ではないが、農家の人々の話によると「うまい米は夏でも冷たい谷の水で作られる米」だそうだ。板野郡などでも土の肥えた下板地方より、土の痩せた上板地方の山間地で収穫される米がうまいという。

 

 佐那河内村を歩くと今でも"耕して天に至る"といわれるほど、よく手入れされた田圃が高地まで続いている。耕運機も入らないような、猫の額のような土地 にも水が張られ稲が植えられる。

 

 こんな土地で米を作るのは平地の人から見ればたしかに重労働であるはずだ。農家の人々の貴重な汗の結晶が、おいしい佐那河 内米となっていることを、私達はけっして忘れてはなるまい。

 

 徳島市から佐那河内村、そして神山町から剣山、さらに高知県へと抜ける県道は国道に昇格され、迂回していたところはトンネルとなった。徳島市から車で三十分足らずになった佐那河内村は、都市型の近郊農村地域として熱い注目を集めている。

 

 一時、蜜柑の里として知られた佐那河内村だが蜜柑や酢橘がすでに生産過剰気味になった現在、これに代わる目玉商品を何にすべきか議論の分かれるところで ある。

 

 最近では桃ほどに甘く大きい苺ということから「桃苺」と名付けた苺がこの土地の特産品として京阪神の市場から人気を集めている。

 

 このほか農家では春になると野や山を豊かに彩る山菜類をはじめ電照菊などの花卉や水蕗の栽培など多角的な経営を試みている。

 

 私は考えるのだが、都市に住む人々にとって"ふるさとの味"は忘れられないものだ。佐那河内村という地の利を最大限に生かして、町の人々に新鮮な"ふるさとの味"を提供する。これこそ都市型の近郊農村地域としての活路を開く視点ではないだろうか。

 

 佐那河内村をくまなく回って感じることは、どこの山道や畦道にも春になると蕗の薹が芽を出し、山蕗が競い合うように群生している。土地の人々は見向きも しないが、町に住む私達にとってこれは間違いなく"ふるさとの味"である。蕗の薹や山蕗にも立派な商品価値があると私は思うのだが、いかがなものであろう か。

 

 最近、私の友人が佐那河内村で土地を購入した。自分でログハウスを建てるという。定年後の人生設計を語る友人の顔は新しい希望に溢れている。村長さんに 聞くと最近は余生を佐那河内村で過ごしたいと役場に問い合わせに来る人が増えているようである。実際に移住してきた人もいるそうだ。

 

 自然がそのままに残されていて交通も便利な佐那河内村の"ふるさとづくり"は新住民も参加して行われる時代に入ろうとしている。