2013年

2013年12月5日

 

 昨日、衆議院議長公邸で衆議院議長の招待による前議員の懇親会があり、私も出席させていただきました。公明党からは神崎武法元代表をはじめ六人の前議員が出席しました。

 

 お互いに衆議院に席を置いたものとして、党派や年齢を超えて懐旧談に花を咲かせました。また現在の政治に対する率直な意見の交換もあり、有意義な懇親会となりました。

 

 久しぶりの上京の機会でありましたので、私は前日から上京して旧芝離宮恩賜庭園や神宮外苑の聖徳記念絵画館はじめ銀杏祭で賑わう銀杏並木と明治記念館にも立ち寄りました。

 

 また浅草にも足を運び、歳末の仲見世や吾妻橋からのスカイツリーの夜景も見てきました。さらに翌日の午前中には皇居東御苑や皇居外苑を散歩しながら都心の冬の風景を楽しんできました。

 

 旧芝離宮恩賜公園は江戸庭園の典型といえる潮入りの回遊式築山泉水庭で、潮の干満を利用して水辺に変化を持たせた池を中心に作られています。

 

 入り口で「櫨紅葉が綺麗ですよ」と声を掛けられましたが、そのとおりでした。真っ赤な櫨紅葉が池にも映り、池の中にある島の松には雪吊がされていました。

 

 聖徳記念絵画館は明治天皇と昭憲皇太后お二人の御事績を描いた壁画80枚が展示され近代化への大きな飛躍を遂げた明治という時代の政治や文化や風俗が偲ばれました。

 

 今回の旅でこんな句ができました。

 

・見えて来し南アルプス雪かぶり

・白雪の富士に気品のありにけり

・櫨紅葉ありて離宮の華やげる

・雪吊や松にそれぞれ個性あり

・雪吊の松それぞれの形かな

・銀杏散る学徒征きたる外苑に

・銀杏散る残る未練のなきごとく

・順番のありそでなさそ銀杏散る

・日当りの銀杏の色でありにけり

・仲見世は早正月の気分かな

・冬の夜のスカイツリーの青さかな

・東京は銀杏並木の似会ふ街

・山茶花のあたりに日差集りぬ

・寒椿清楚な赤の御苑かな

・冬桜これで満開かも知れず

・デモの声囲む国会銀杏散る

・大袈裟に見ゆる蘇鉄の雪囲

2013年11月20日

 

 日本伝統俳句協会の第24回四国支部俳句大会が15日に高知市で行われました。この大会に徳島県から16人が参加しました。私も一緒に参加させていただきました。

 

 徳島県から参加した私たちは大会前日には「いの町紙の博物館」と高知市の「牧野植物園」を吟行し、その夜は高知の新鮮な魚料理をいただき、句会も盛大に開催してきました。

 

 「いの町紙の博物館」はこの町で千年の歴史を刻む土佐和紙の歴史資料が展示されており、伝統的技法による手漉きの実演も見ることができました。

 

 伝統的工芸品としての土佐和紙の評価は年々高まっているとのことで、土佐和紙の魅力の全てを一堂に展示しているコーナーもありました。

 

 絵画や版画用の和紙、美術工芸用の和紙、書道用の和紙、表具用の和紙を始めさまざまな和紙加工品が即売されており、色紙や短冊、封筒や便箋の他、香りのするトイレットペーパーや絵の浮かんでくるティシュペーパーなども人気を集めていました。

 

 「牧野植物園」は高知が生んだ「日本植物分類学の父」牧野富太郎博士の業績を顕彰するため博士逝去の翌年高知市五台山に開園したものです。

 

 起伏を生かした園地には博士ゆかりの野生植物など約三千種類が四季を彩っています。私たちが訪問したときは菊花展が開催されており、さまざまな菊が見事に咲き競っていました。

 

 菊人形も展示されていましたが持統天皇や小野小町とともに高知県にゆかりの深い紀貫之の菊人形もあり、それぞれに和歌が添えられていて優雅な雰囲気を醸し出していました。

 

 大会当日は高知城と高知城のすぐ下で開かれている日曜市を吟行しました。2日間ともに暖かい冬晴れに恵まれた素晴らしい高知への旅となりました。

 

 今回の高知への旅でこんな句ができました。

 

・土佐なれや緑の中の冬紅葉

・トンネルや土佐は山国紅葉濃し

・千年の歴史を今に紙を漉く

・紙を漉く箐桁にリズム生まれけり

・紙を漉く箐桁引き寄す間合かな

・高貴とは牧野植物園の菊

・名園の菊花展なる雅かな

・それぞれの個性を咲かせ菊花展

・それぞれに違ふ色と香菊花展

・同じもの一つとてなき菊花展

・どれも皆盛りの色や菊花展

・此れやこの菊のご紋の菊に会へ

・菊人形一体ごとに和歌添へて

・城小春アイスクリンのよく売れて

・骨董の市にやさしき冬日かな

2013年10月28日

 

 行楽の秋です。今年は川越まつりを見た後、長野県の白骨温泉、上高地、新潟県の妙高高原、燕温泉で紅葉狩をしてきました。帰りには山梨県の白州や勝沼でウイスキーやワインの試飲も楽しんできました。

 

 川越まつりは国の重要無形民俗文化財に指定されています。江戸との交流が深かった川越は小江戸と呼ばれており、絢爛豪華な山車を町内ごとに曳き回す川越まつりはかつての江戸天下祭の様式や風潮を今に伝えていました。

 

 私たちは蔵造りの町並みで大勢の観光客とともにまつりを楽しみました。文化財に指定された山車が次々にやってきます。着飾った人たちに曳かれ、囃子を奏でながらやってくるのです。町中が祭り一色でした。

 

 川越まつりの後、白骨温泉に行く前に諏訪湖、松本城、開智学校に立ち寄りました。開智学校は明治9年に小学校として建築された白亜の擬洋風建築校舎ですが、今も大切に保存されていました。明治から昭和の教育資料も多数展示されていました。

 

 白骨温泉は中里介山の小説「大菩薩峠」で五彩絢爛たる絶景と謳われた湯の郷です。源泉100パーセントかけながしの白濁の湯はすばらしく、私は4回も入りました。

 

 上高地はマイカーが規制されていて専用のバスに乗りました。まず大正池に下車して焼岳や穂高連峰を眺望したあと、河童橋に向いました。河童橋からは穂高連峰が目の前に見えました。梓川の水は澄み切っていました。

 

 妙高高原の登山口にある燕温泉は標高1100メートルにあり、毎年燕の大群がやって来て巣をつくり、子育てをしたことから名付けられたと宿の主人が語ってくれました。今でも帰燕がこの温泉に大集合するそうです。

 

 妙高への登山道を少し登ると黄金の湯という露天湯があり、日本100名滝の一つである惣滝も見事な紅葉の中で展望することができました。燕温泉も源泉100パーセントかけながしの白濁の湯でこちらでも私は4回入って温泉を堪能しました。

 

 山梨県の白州にはサントリーの蒸留所があり、甲斐駒ヶ岳の麓に広がる82万平方メートルの森で多彩な原酒をつくり分けています。私たちはウイスキー博物館を見学した後、サントリーウイスキーをはじめ世界のウイスキーの試飲を楽しみました。

 

 山梨県は葡萄の産地としても有名です。勝沼ではワイナリーで各種のワインを試飲した後、道路に店を出している葡萄の直売所でお土産の葡萄を買いました。店先に大きなぶどう棚があり,そこから千切ったばかりの葡萄は瑞々しかったです。

 

 今回の旅行でこんな句ができました。

 

・小江戸なる粋のぶつかる祭かな

・文化財指定の山車の次々に

・男衆皆気風良き祭かな

・女集皆小粋なる祭かな

・全景の諏訪湖を前に初紅葉

・秋高し天守は五重六階と

・朝顔や明治の学舎白亜なる

・白骨の五彩絢爛たる紅葉

・秘境かな紅葉の色の燃え盛る

・水澄めり大正池の底までも

・爽やかや穂高連峰くっきりと

・河童橋紅葉の中に架かりをり

・紅葉を二つに割りて滝落つる

・紅葉の中に秘湯あり露天なる

・色彩の限りを尽くし紅葉山

・店先に葡萄実らせ葡萄売る

 20131014

 

 ホトトギス同人の丸川越司さんが逝去されました。享年80歳。米寿まで生きることを願って生涯の句より88句を選び、その句に関する思い出の文章を書き加えた句文集『俳句とともに』を上梓されたばかりの訃報でした。

 

 昭和27年から徳島県庁に勤められていた丸川越司さんは昭和61年から2年間、徳島県東京事務所長をされました。私は昭和58年から衆議院議員をさせていただきましたので、衆議院議員1期生と2期生のときに東京で何かとお世話になった思い出があります。

 

 いつお会いしても笑顔で対応していただき、徳島県の課題には真剣に取り組まれていたお姿を思い出します。

 

 私が20年間に渡る衆議院議員としての政治活動から引退して俳句雑誌「祖谷」を主宰されていた上崎暮潮先生のご紹介で俳句をはじめたときにも親切に声を掛けていただきました。以来、身をもって俳句を教えてくださる俳句の大先輩でもありました。

 

 とくに丸川越司さんを中心にして開かれる渭北句会は毎回出席することが楽しく、勉強になるものでした。丸川越司さんはいつも写生が出来ているかどうかを基本に選をされました。ときには添削してくださることもあり、見違えるばかりの佳句に生まれ変わる瞬間を私は何回も拝見しました。

 

 丸川越司さんはまた、読売新聞徳島版の俳句の選者もされていて、選をした紙面を自らコピーして参加者全員に配布してもくださいました。私の句も何回か選んでいただきましたが、その選評を感動しながら読んだことも懐かしい思い出となってしまいました。

 

 高校生の時代から俳句の本道を精進された丸川越司さんの話には無駄がなく、ホトトギスとしての筋金が通っていました。もっともっとお話が聞けるものと思っておりましたのに誠に残念です。心からご冥福をお祈り申し上げます。

2013年9月17日

 

 日本伝統俳句協会の全国大会が9月14日、15日の2日に渡って北海道の札幌市で行われました。私も徳島県の句友とともに参加してきました。

 

 徳島から札幌へは直行便がなくなってしまったので羽田で乗り換えです。時間もかかりますので前日の13日に徳島を発ち、小樽市に立ち寄りました。

 

 小樽駅のタクシー待合所でたまたま出会った個人タクシーの運転手は親切な人で、小樽貴賓館(旧青山別邸)、小樽市鰊御殿、小樽運河と手際よく案内してくれました。

 

 ことに小樽貴賓館は閉館間際であったにもかかわらず、直接、携帯電話で交渉していただき15分見学できる時間を延長していただきました。

 

 しかも見学のガイド役まで進んで引き受けてくれました。鰊漁で栄えた頃の大網元の別邸で、国の有形文化財に登録されているこの貴賓館は「日本海を見下ろす北の美術豪邸」の名にふさわしく見ごたえのあるものでした。

 

 小樽市鰊御殿は鰊漁が盛んな頃の番屋を当時のまま保存してあり、道内最大級の番屋といわれるだけあって大きな造りでした。

 

 小樽運河には今も瓦斯灯があり、夕暮れ時になると周辺の景色は一変します。運河に瓦斯灯の灯が映る風景には格別の風情がありました。

 

 14日は午前中にホテルの周辺を吟行した後、石狩灯台とはまなすの丘公園に全国俳句大会参加の皆さんと吟行しました。石狩川の河口にあるこの公園にははまなすの真っ赤な実が地面に撒き散らかされたように広がり、芒の原がどこまでも続いていました。

 

 15日は全国俳句大会に投句したあと、旭川市まで出かけて小学校時代の同級生ご夫妻と会食懇談しました。ミシュランの星をいただいた鮨屋さんの鮨はまことに上品なもので日本海ならではのすばらしい味をご馳走していただきました。

 

 その上に翌16日にはご自宅まで朝食に招かれ、奥様の手作りのイクラ丼をご馳走になりました。家庭菜園で採取した紫蘇の実をまぶしたイクラ丼は絶品でした。

 

 この日は台風18号の雨の中、美瑛町の花の丘や青い池を友人に自家用車で案内していただき、札幌周りでの帰路に着きました。台風のために空の便も大きく影響を受けましたが、なんとか徳島まで帰ってくることができました。

 

 今回の北海道の旅でこんな句ができました。

 

・コスモスや大網元の庭広し

・ダリア咲く鰊御殿は大番屋

・瓦斯灯の点る運河の風涼し

・暮れてゆく運河に映る灯の涼し

・邯鄲や石狩の風澄み渡る

・灯台は芒の丘の上に立ち

・地に撒ける浜茄子の実の真っ赤かな

・蝦夷の地の背高泡立草可憐

・蝦夷の地の赤のまんまの赤殊に

・ミシュランの鮨屋の鮨の気品かな

・紫蘇の実をまぶし手作りイクラ丼

・秋風に色増しにけり丘の花

・ななかまど満艦飾に赤であり

・水澄めり青の極まる青い池

2013年8月7日

 

 ドイツ、スイス、フランス、イギリスを旅してきました。お蔭さまで天候に恵まれましたが、事前の予想とは全く違った強い暑さに閉口しながらの旅となりました。

 

 ドイツではリューデスハイムからザンクトゴアハウゼンまでライン川クルーズを楽しみました。このあとゲーテが賞嘆した中世の橋が架かる大学の町・ハイデルベルクに参りました。

 

 ハイデルベルクは25年ぶりの訪問でしたが、その当時のままの落ち着いた風景が今も残されていました。ハイデルベルク城で売っているワインも変りがありませんでした。

 

 このあと、ロマンチック街道のハイライトとされるローデンブルクに参りました。ここも25年ぶりの訪問となりましたが、こちらの方はすっかり観光の都市に様変わりしていました。

 

 ローデンブルクには一泊しました。観光客のいない朝の町は静かでした。どこの家にも花が飾られ「中世の宝石箱」にふさわしい美しい家並みが心に残りました。

 

 ローデンブルクからフュッセンまでロマンチック街道をドライブして翌日はノイシュヴァンシュタイン城に登りました。

 

 その美しさからディズニーのシンデレラ城のモデルにされたというこの城は、丁度改装工事が終わったばかりで素晴らしい景観を楽しむことができました。

 

 スイスではインターラーケンからグリンデルワルトを経由して登山鉄道でユングフラウヨッホに登りました。アイガー、メンヒ、ユングフラウの山々もよく見えました。

 

 帰路はアイガーグレッチャーからクライネシャイデックまでハイキングもしました。今年は春が遅かったためか春、夏、秋の高山植物が一斉に花を開いていました。

 

 翌日はツェルマットから登山列車でゴルナーグラード展望台へ。氷雨が降る悪天候となり、マッターホーンは見えませんでしたが、モンテローザやゴルナー氷河はよく見えました。

 

 フランスではモンサンミッシェルに行ったほかヴェルサイユ宮殿やルーブル博物館を見学したあと、パリ市内を遊覧しました。

 

 イギリスではバッキンガム宮殿や大英博物館を見学した後、ウィンザー城に参りました。ウインザー城は3度目の訪問となりましたが、女王陛下の曾孫が誕生した慶事もあり今回はとくに賑わっていました。

 

 昨年11月、私は左足の半月板を損傷しました。今回の旅行はそんな私の足慣らしの旅でもありました。お蔭さまでスイスでのハイキングもモンサンミッシェルの石段の上り下りも無事に済ませることができ心から喜んでいます。

2013年7月22日

 

 第2次安倍内閣発足後、初の国政選挙となった第23回参議院選挙は昨21日、投開票され、自民党が65議席、公明党が11議席と与党が圧勝しました。

 

 非改選議席と合わせますと、自民党、公明党の与党は135議席となり、参議院の過半数122を越える安定多数を得ることができました。

 

 この結果、念願であった衆参両院のねじれ状態は解消され、第2次安倍内閣は衆議院が解散されない限り約3年、政権を運営できる安定した政治基盤を獲得することができました。

 

 ねじれの解消ができたのは与党の経済政策がより着実に、より速やかに実行されるためにも政治の安定が必要と考える民意の表れであると私は思います。

 

 与党はこの民意を真摯に受け止め、勝って驕らず謙虚に丁寧に経済政策を一つ一つ実行に移して、経済の再生が地方にも個人の家庭にも実感されるよう真剣に取り組まなければなりません。

 

 税と社会保障の改革も軌道に乗せなければなりません。財政規律をいかにして健全なものに回復させていくかという大きな問題も立ちはだかっています。

 

 外交も中韓両国との関係立て直しなどの課題がありますが、長期政権の足がかりが得られた今こそ中長期的な戦略を構築して取り組める好機ではないでしょうか。

 

 首相や幹事長など自民党の幹部の人たちは過去を教訓として自らを戒め、政権運営にも安全運転を心がけてこられたように思います。

 

 しかしながら、参議院選挙の圧勝でタガがゆるみ党の古い体質が頭をもたげたり、偏狭なナショナリズムが勢いづいたりするのではないかという懸念を多くの国民は払拭できないでいます。

 

 その時のブレーキ役を私は公明党に期待しています。与党の中に公明党がいる安心と公明党の候補者の方々は訴えていましたが、私も確かにそうだと信じて公明党を心から応援しました。

 

 自民党の幹事長は「自民党は暴走しません」と選挙戦で繰り返し訴えておられたと聞きました。私はその言葉を信じて選挙区では公明党が推薦する自民党候補を応援しました。

 

 与党の皆さんは国民が与党に期待する優先順位を正確に理解して、まず経済の再生から着実に政策を実行していただきたいと考えます。

 

 ねじれ状態が解消されたことによってどれだけ早く国民の心に届く経済政策を展開できるか。今こそ与党の実力が試されているのです。そのことを肝に銘じて与党の皆さんは頑張って欲しいと思います。

2013年6月21日

 

 第13回モラエス忌句会が7月4日に開催されることになりました。7月4日は100年前にモラエスが徳島に移り住んだ日と伝えられています。

 

 モラエスの徳島移住100周年記念事業としての句会となることから参加者も過去最大の100人を目指しています。

 

 モラエス忌句会はモラエスの知名度を全国的に高めるとともに「モラエス忌」を季語として認知してもらえるような句を発表しようと2001年に始まりました。

 

 今年は例年の俳誌「祖谷」と「航標」からの選者に加え、特別選者として阿南市出身の俳人・大高翔さんが初参加されます。

 

 大高翔さんはNHKの俳句王国の司会を務められたり、「全国高校俳句選手権大会」(俳句甲子園)のゲスト審査員を務められています。

 

 参加希望者は「モラエス忌」を季語とした俳句、または「モラエス」を詠み込んだ俳句を5句出句します。どんな句が出され、どんな句が選ばれるのか。今から楽しみです。

 

 私は3年前にリスボンにあるモラエスの生家を訪問したことがあります。ケーブルカーの停留所から近い坂道にありました。ジャカランタの花が帰り咲いていました。

 

 モラエスのことを書いた新田次郎さんの小説「孤愁」(サウダーデ)は新田次郎さんが執筆中に亡くなられたため未完の絶筆となっていました。

 

 新田次郎さんの次男である藤原正彦さんはお父さんが亡くなられた日に「父の作品を、父が書いたであろうように完成させたい」と決意されたそうです。

 

 以来32年間、父の訪れた所は全て訪れ、父の読んだ文献は全て読み、ポルトガルへは3度、父と同じルートで辿り、父と同じ人々に会い、父と同じ宿に泊まり、父と同じ料理を食べ、父と同じ酒に酔い、徳島にも10数回訪問し、父の亡くなった歳と同年齢になって書き始めたと藤原正彦さんは言います。

 

 小説「孤愁」(サウダーデ)は昨年11月、見事に完成しました。昨年は奇しくも新田次郎生誕100周年でもありました。私も徳島で行われた出版記念祝賀会に出席しましたが同じテーブルにおられた藤原正彦さんのお顔は大きな仕事をやり終えた安堵感に溢れていました。

 

 出版されたばかりの小説「孤愁」(サウダーデ)にはモラエスの徳島移住後の様子が藤原正彦さんの筆でいきいきと描き出されていました。

 

 モラエスが亡くなって84年になります。生前のモラエスを知る人は徳島にもほとんどいなくなりました。それだけに徳島でのモラエスをいきいきと描き出してくださった藤原正彦さんに心から感謝したいと思います。

2013年5月31日

 

 高校の同窓会で古希祝いの小旅行をしてきました。地元の四国を始め関東、中部、関西、中国の各方面から17人が集りました。

 

 最初に徳島市のお寺にある恩師の墓参りをした後、徳島県立科学技術高校となった母校を訪問しました。建物も校名も全く新しくなった母校ですが、校訓を刻んだ石碑は残っていましたのでそこで記念撮影しました。

 

 その後、鳴門市の大塚国際美術館に参りました。ここでは10年前からボランティアガイドをしている同窓生がガイドを引き受けてくれました。

 

 同窓生のガイドは誰もが絶賛するほど見事なものでした。絵画の一つ一つをよく勉強しており、どんな質問にもてきぱきと答えてくれました。

 

 小松島市に住むその同窓生は長く勤めていた会社を定年退職するとすぐにボランティアガイドを始めたそうです。今では月に2回ほどするボランティアガイドが生きがいになっていると言っていました。

 

 大塚国際美術館で世界の名画を鑑賞した後は、すぐ近くの鳴門グランドホテルに宿泊して古希の祝賀会をしました。鳴門鯛のフルコースに舌鼓しながらお互いに高校時代に帰ったかのような気分で夜の更けるのも忘れて語り合いました。

 

 翌日は所用のできた一人を見送った後、観光バスを借り切って大歩危峡と祖谷のかずら橋を訪問しました。大歩危峡にはたくさんの鯉のぼりが青空に泳いでいました。その鯉のぼりを見上げながら観光船に乗って川下りをしました。水は青く澄み切っていて吹く風も心地よかったです。

 

 祖谷のかずら橋の周辺は大きな駐車場もでき全く様変わりしていました。それでもかずら橋は昔のままで渡ると大きく揺れました。揺れる度にきゃあきゃあ歓声を上げながら渡る同窓生の姿は誰もが高校時代に帰ったかのようでした。

 

 大歩危峡と祖谷のかずら橋は高校時代にも遠足で行ったことがあります。今回は45年ぶりの遠足となりました。それにしても本当にみんな元気そのものでした。来年は長良川の鵜飼を見に行こうか。そんな話も出ました。元気に再会できることを楽しみに古希の同窓会は終わりました。

2013年5月11日

 

 伊豆半島を一周してきました。初日は箱根から十国峠を越えて熱海へ。そこから東海岸を南下して網代、宇佐美、伊東、伊豆高原を経由して熱川温泉に一泊しました。

 

 十国峠は相模、武蔵、上総、下総、安房、駿河、遠江、信濃、甲斐、伊豆の十国が眺望できるのでこの名がつけられたそうですが、世界遺産に登録される富士山をはじめ伊豆半島の島々までよく見えました。

 

 熱川温泉の宿は伊豆七島が遠望できる露天湯があり、鶯の声を聞きながら露天湯から眺める伊豆大島は格別の風情がありました。

 

 翌日は稲取漁港に立ち寄った後、河津桜で有名な河津の町を散策した後、伊豆半島の中央部を北上して川端康成の小説「伊豆の踊子」で有名な天城峠、浄蓮の滝、湯ヶ島温泉に向いました。

 

 浄蓮の滝では急な崖を手摺につかまりながら下りました。眼前に見る浄蓮の滝は伊豆半島最大の滝といわれるだけあって水量も多く、その迫力に圧倒されました。滝の前に碑が立っていましたが川端康成の「伊豆の踊子」ではなくて石川さゆりの「天城越え」でした。

 

 湯ヶ島温泉からは来た道を引き返して下田の宿に向いました。下田の宿は30年ほど前に下田に釣に来た人がこの土地が気に入って作ったという小さなペンションです。ここも海の見える高台にあり露天湯からの眺めは抜群でした。

 

 ペンションを建てるために青梅の工場を売り払って下田に住み着いたという72歳になるオーナーは面白い人で昔話を昨日のように話してくれました。

 

 オーナーからバトンを受けて経営を任されているイケメンの息子さんは二人のスタッフとともに心のこもった接待をしてくれました。

 

 料理も素晴らしく大舟盛りの後に出た金目鯛の煮付けは見事なものでした。宿を出るとき息子さんから名刺をいただきましたが、支店としてハワイ、ナポリ、アテネ、スイスに出店を計画中とありました。

 

 意欲満々の若い人の顔は輝いて見えました。日本も捨てたものではない。こんな山の中にこんなに大きな夢を持って生活している若人がいる。こんな若人に会えただけでも伊豆半島一周の旅に来てよかったと思いました。

 

 三日目は伊豆半島南端の石廊崎から太平洋を眺めたあと、伊豆半島の西海岸を北上して松崎、堂ヶ島、恋人岬を経由して修善寺温泉に入り、伊豆半島の付け根に位置する沼津まで走りました。

 

 沼津の魚市場で名物の鯵や金目鯛の一夜干しを土産に買って伊豆半島一周の旅を終えることにしました。歩くことの多かった旅でしたが昨年11月に半月板を損傷した私の足慣らしの旅は無事終了することができました。

2013年4月17日

 

 衆議院議員に昭和58年初当選の同期生4人が夫人同伴で箱根に一泊旅行してきました。今は4人とも後進にバトンタッチして議員を引退しているのですが、誰もが現役時代に帰ったかのように意気軒高でした。

 

 神崎武法さんは奥様とともに東京から、森本晃司さんは奥様とともに奈良から、日笠勝之さんは奥様とともに岡山から、私は徳島から家内とともに駆けつけました。

 

 箱根の宿は湯本富士屋ホテル。ホテルにチェックインした後、一台のレンタカーに乗り込んで「箱根ガラスの森美術館」を見学。仙石原や芦ノ湖の湖畔をドライブしてカフェ「サロン・ロザージュ」で評判の林檎パイをいただきました。

 

 この後、宿に帰ったのですが、帰路に車中から見た雨の箱根の山桜は日本画のように綺麗でした。温泉を楽しんだ後、食卓を囲んで懇親会をしたのですが、話が弾んで即席の句会となりました。

 

 ・花煙る雨の箱根に落ち合ひて

 ・花散れど我ら散らじと酌み交はす

 ・桜蕊あと二十年は生きようよ

 ・露天湯に若葉の映ゆる箱根かな

 ・集ひ来て話は尽きず花の宴

 ・山迫り霞たなびく箱根かな

 ・春の宵昔話に花の咲き

 ・落ち合ひし友皆元気葱坊主

 

 8人の作った句ですが、それぞれに情緒があり、思い出深い句会となりました。これからも機会があれば句会を続けようとお互いに約束しました。

 

 翌日は風雨が激しくなったため芦ノ湖の遊覧船や早雲山からのロープウエイの計画は中止して、箱根小涌園の茶寮「椿山荘」を訪問して、山本岳人、三岸節子、小磯良平などの名画を鑑賞したあと、蕎麦をいただきました。

 

 この「椿山荘」は箱根小涌園貴賓館として国登録有形文化財に指定されています。大正7年に男爵・藤田平太郎別邸として「名字帯刀」を許された宮大工によって建立されました。

 

 建物の床下には箱根特有の湿気による腐食を防ぐため、一尺近い厚さの炭が敷き詰められており、窓ガラスには職人が丹精込めて作った手漉き硝子が使用されています。

 

 太平洋戦争の後、一部特権階級の持ち物であったこの建物を一般に開放して「憩いの場」にしたいとの発想から旅館業を始めたのがこの小涌園であり、椿山荘グループ発祥の地とも伝えられています。

 

 来年はまたこのグループで一泊旅行をしたいね。お互いに健康に気をつけて、また元気に集いましょう。お互いにそんな言葉を交わして箱根の旅を終えました。 

2013年3月27日

 

 最高裁が違憲状態とした「一票の格差」がさらに拡大したままに実施された昨年12月の衆議院選挙に対して広島高裁に続いて同高裁岡山支部も選挙無効の判決を下しました。

 

 「一票の格差」を巡る訴訟は過去にも数多く出されましたが、選挙無効の判決は今回が初めてです。国会の怠慢があらためて浮き彫りになりました。

 

 国民の信頼を取り戻すためにも立法府は一刻も早く「一票の格差」を生じないような抜本的な選挙制度改革を成し遂げなければなりません。

 

 選挙制度はとかく党利党略が絡むものですが、そこを乗り越えてどう活路を開いていくのか、各党の度量が問われています。

 

 私は現行の選挙制度を続けていく以上、常に「一票の格差」が生じる仕組みになっていることを考えると、この際思い切って選挙制度そのものを見直すべきだと思っています。

 

 当面の違憲状態を回避するだけでは立法府の対応としてあまりにも情けないと私は思います。今こそ立法府の権威を取り戻すために勇気を持って抜本的な選挙制度の改革に挑戦すべきです。

 

 「一票の格差」が生じない全国比例代表制から始まって比例代表併用制、比例代表連用制、中選挙区制と「一票の格差」が生じにくい選挙制度はたくさん考えられます。

 

 この中から採用するとすればやはり中選挙区制ではないでしょうか。なぜならその他の選挙制度は日本では過去に採用されたことがないだけに選挙制度の及ぼす影響が予測しがたいからです。

 

 私自身は中選挙区制で5回、現在の小選挙区比例代表並立制で2回、衆議院選挙に出馬した経験がありますが、中選挙区制が日本の国の政治風土には一番あっているような気持ちがします。

 

 中選挙区制を支持する人たちは多いと私は思います。政党への人気投票で当選者が決まるのではなく、候補者そのものが評価されて当選者が決まる選挙にすべきだと多くの人が思っているからです。

 

 現行の選挙制度が施行された結果、過去数年にわたって所属政党への追い風が吹けばそれだけで当選し、向かい風が吹けばそれだけで落選する候補者が多く出ました。

 

 名前も知られないままに志半ばで姿を消した一年生議員の何と多いことでしょうか。現行の選挙制度は候補者を使い捨てにする選挙制度だと断言する人さえいます。

 

 選挙制度にこれでなくてはならないというものはありません。けれども中選挙区制度は過去の経験に照らしてもそうした弊害を生じない選挙制度であると私は思います。 

2013年2月27日

 

 熊野古道のある和歌山県田辺市中辺路町から嬉しい手作りの句集が今日、私の自宅に送られてきました。

 

 「熊野を歩く詠む入選句集」と題する、この句集はNPO法人漂探古道が出版されたものです。編集されたのは投句箱係の小西茂代さんです。

 

 小西さんは編集後記で「去年9月、句集発行のゴーサインが電話にて知らされました。その折、内心ほっと致しました。何と言っても言い出しべえの私でしたから」と述べられています。

 

 さらに「思い起こせばこの7年、大好きな古道に毎月通うという責務を頂き、充実の年月を過ごすことができました」とも書いておられます。

 

 投句箱を設置して7年。総投句数1060句の中から161句を俳人協会評議員の中瀬喜陽さんに入選句として選んでいただいたとのことです。

 

 この161句で入選句集を出版されたのですが、その中に光栄にも私の句が入っており、送ってくださったとのことでした。

 

 投句箱が設置された平成18年4月からの入選句を読みあげていきますと世界遺産となった熊野古道に思いを寄せる人々のお姿が目に浮かんでまいります。

 

 それぞれの句にお一人お一人の思いが込められていて、それぞれの句が熊野古道の四季を多種多様に詠い上げています。

 

 「中辺路は風通る里若楓」。入選句集に掲載された私の句です。平成23年5月20日、熊野古道の「野中のとがの木茶屋」の投句箱に投句したものです。

 

 この日、熊野古道の中辺路に私は妻とともに岡山県の日笠勝之さんご夫妻と行ったのですが、今でも明るい若楓と「とがの木茶屋」の風景は忘れることはできません。

 

 投句箱があるので投句しただけなのにこんなに立派な句集にしていただいて嬉しいです。よい旅の思い出になります。本当にありがとうございました。 

2013年2月14日

 

 ローマ法王ぺネディクト16世が高齢を理由に2月28日に退位すると表明しました。ローマ法王庁(バチカン)報道官によりますと実質的に終身制の法王が存命中に退位するのは実に約600年ぶりとのことです。

 

 法王は枢密卿会議で声明を読み上げ「高齢のために体力が職務にそぐわなくなった」と理由を説明しました。

 

 また「身体と精神の力が数ヶ月前から減退し、急速に変化する今日の社会で法王の職務を十分に果たせなくなった」とも述べたようです。

 

 また自らの意思で法王職を辞すことを宣言し、2月28日午後8時(日本時間3月1日午前4時)に法王職が空席となることから、コンクラーベ開催も要請しました。

 

 法王は現在85歳。関節痛や循環器系の持病があるようですが、自ら出版した本の中でも「法王は体力的、心理的、精神的に職務が果たせなくなった場合は辞任する権利と責任がある」と述べており、引退の時期を考えていたようにも思われます。

 

 コンクラーベの行われるバチカンのシスティーナ礼拝堂はミケランジェロの壁画「最後の審判」と天井画「創世記」で有名です。私も一昨年のイタリア旅行でゆっくりと見学してきました。

 

 バチカン宮殿の庭園には徳島から運び込まれた蜂須賀桜が植えられていて、毎年花を咲かせているとの話も聞きました。

 

 人間は誰も歳を取ります。歳を取れば体力も精神力も減退するものです。サラリーマンの社会に定年制があるように、どんな仕事にも後進に道を譲る時期があるものと私は思います。

 

 権力を持てば持つほどこの引退の時期を逸して、いつまでも老残の身を晒してしまうことが多いものです。

 

 実質的に終身制だった法王が自らの意思で引退を表明し、若い人に道を譲ろうとしたことに私はカトリックの信者ではありませんが、一人の人間として心から拍手を送りたいと思います。

2013年1月15日

 

 今日は小正月。今年も忙しい年明けでした。ようやく一息ついて、静かな日常生活に戻った感じがします。

 

 今年、私は古希を迎えます。現役を卒業して年金生活に入ったのですが、今年も年賀状を400枚余りいただきました。

 

 今、いただいた年賀状を一枚一枚ゆっくりと読み返しています。一枚一枚からその人の近況がうかがえます。

 

 船で世界一周の旅を5回して今は近所の友人とともに山登りを楽しんでいるという高校時代の同級生もいました。

 

 経営しているグループホームが7箇所、住宅型有料老人ホームが3箇所になったという国会議員時代の同期生もいました。

 

 6月にリスボンで開かれるロータリークラブの世界大会に夫婦揃って参加したいというお元気な銀行の元頭取もいらっしゃいました。

 

 格安のパックツアーを探し出して海外旅行するのを楽しみにしていますという元知事もいました。ますますお元気なご様子に嬉しくなりました。

 

 小学校時代の恩師からは「健康は最大の宝であり、最高の幸せである。人を愛する人は人からも愛される。人を育てる努力は自分自身を育てる」と書かれた毛筆の賀状をいただきました。

 

 一枚一枚の賀状からこの一年を明るくたくましく生きていこうとするお一人お一人のお姿が目に浮かんできました。

 

 読み進むにつれ、私自身もまた元気にこの一年を過ごしていきたいと思いました。とともに年賀状の持つ不思議な力を感じる私でもありました。

 

 一年に一回、それも年の始めの1月1日、正月元旦に近況を語り、新年の決意を伝え合うこの年賀状という日本独特の伝統を今後も大切にしていきたいと心から思いました。