2005年

2005年12月20日


 徳島市で特定非営利法人「オペラ徳島」の第8回公演がありました。徳島県で観られるオペラは珍しく、私も年1回のこの公演を楽しみにしている一人ですが客席は立錐の余地のないほどの満席でした。


 今年はプッチーニ作曲の『ラ・ボエーム』全4幕でした。指揮・演出は神尾昇さん。香川県小豆島生まれで東京藝術大学音楽学部指揮科を首席で卒業しています。

 神尾さんは2005年5月から6月にかけてヨーロッパで行われた国際オペラ指揮者コンクールで「審査員特別賞」を受賞。受賞者によるガラコンサートでは『カルメン』の第4幕を指揮し、ルーマニア国営放送で放送されたそうです。

 神尾さんは幕の始まる前に軽妙な語り口でその幕の見所や練習のときのエピソードを皆さんに紹介してくれました。オペラを格式ばったものでなく誰もが気楽に楽しめるものにしたいと思っているのでしょう。

 この日の歌は全部イタリア語でしたが、日本語の字幕が出るようにも演出されていました。手作りのオペラという感じがにじみ出ていました。

 「オペラ徳島」はこれまでオペレッタ『こうもり』全幕、オペラ『カルメン』全幕、オペレッタ『メリー・ウィドウ』全幕、オペラ『椿姫』全幕、オペラ『リゴレット』全幕などを上演してきました。

 毎年4月にオーデションで配役を決め、月に1回程度土曜日曜に指揮者、演出家が来県して練習。オーケストラや合唱団、舞台装置制作などは全て市民や地元の方々の手作りと聞きます。

 それだけに年に1回しかない公演の舞台はこの日のために積み上げてきた全てを出し尽くそうとする迫力にあふれていました。

 来年はモーツアルト生誕250年を記念してオペラ『魔笛』を全幕上演すると発表しています。徳島の地で芸術性の高い「生のオペラ」を提供しようと取り組まれる皆さんに心から拍手を送りたいと思います。

 今年の公演は12月17日でした。この日南国・徳島には珍しい大雪となりました。オペラ「ラ・ボエーム」第3幕そのままの雪景色でした。・オペラ観て我も雪降る街帰る(和良)

2005年11月25日


 自民、公明、民主各党の国会議員でつくる「国立追悼施設を考える会」の勉強会が24日、国会内で開かれました。


 講師として招かれた読売新聞グループ本社の渡辺恒雄会長・主筆は「極東軍事裁判が絶対的な正義だとは思わないが、現在の靖国神社のあり方は疑問。総理も天皇陛下も諸外国の元首も行ける施設を作るのは当たり前ではないか」と述べたそうです。

 私は20日、中国駐大阪総領事館で開かれた関西日中平和友好会に出席して、邱国洪総領事の講演を聞き、懇談してきました。

 邱国洪総領事も話していましたが、現在の日中関係は政冷経熱といわれているように経済は友好関係にありますが政治は国交正常化以来最も冷え切った関係になっています。

 その原因は小泉首相の靖国参拝にあり、問題の焦点はA級戦犯を祭った靖国神社に繰り返し参拝を続けていることといえるでしょう。

 「戦争責任は少数の軍国主義者が負うべきであり、日本の国民も被害者です。だから中国は日本への賠償請求を放棄し、日本との国交正常化を実現しました」繰り返し伝えられるこの中国の立場に小泉首相も具体的に対応すべきではないでしょうか。

 靖国神社がA級戦犯の合祀をやめることはありえないといっている以上、この問題を解決するためには新たな追悼施設をつくって首相が戦没者を心ゆくまで追悼するのが一番賢明な解決策と私は思います。

 そもそも独立国として宗教に関係なく誰でも自由に戦没者を追悼し、二度と戦争を起こさない不戦の誓いをする国立の施設がないこと自体おかしいのではないでしょうか。

 新たな国立追悼施設は新宿御苑など広々とした都心の公園の中に作ってはどうかという案も出されているようです。

 20年ほど前になりますが、ベトナム戦争の戦没者の名前を刻んだ石碑が並んでいるワシントンの公園を訪問したことがあります。花束を持った遺族がたくさん来ていました。

 日本でも国が戦死者を祭る無宗教の追悼施設を作ることに63%の人が賛成(毎日新聞全国世論調査)しています。小泉首相は12月の2006年度予算編成で建設調査費の計上を決断すべきです。

2005年11月14日


 大化の改新(645年)は中大兄皇子と中臣鎌足らが蘇我入鹿を暗殺し大豪族の手から天皇家が権威を取り戻して律令体制を固める契機となった古代国家最大の政争です。


 13日、その蘇我入鹿の邸宅の一部と見られる建物跡が見つかったと奈良文化財研究所が発表しました。

 日本書紀によると皇極3年(644年)11月に「蘇我大臣蝦夷と子の入鹿は家を甘樫丘に並べ建てる。大臣の家は上の宮門、入鹿の家は谷の宮門という」という記述があります。さらに翌645年6月に入鹿が暗殺された翌日、蝦夷が自邸と入鹿邸に火を放って自害したとしています。

 今回の発見はこの日本書紀の記述と一致するものと見られており、大化の改新の実態を物語る貴重な発見になりそうです。

 ところで私は飛鳥京観光のボランティアガイドをしている森本晃司さんの案内で11日、12日にご当地に伺ったばかりです。森本さんから何か発表がありそうですよと聞かされていましたが、こんなビッグニュースは想像できませんでした。

 森本さんは衆議院議員、参議院議員をし建設大臣も勤められた方ですが1年ほど前に政界から引退し、子供のころからあこがれていた明日香の語り部をしています。

 2日間森本さんの名ガイドで甘樫丘、水落遺跡、飛鳥寺、酒船石、石舞台古墳、高松塚古墳、キトラ古墳、鬼の厠、鬼の俎、天武・持統陵、飛鳥資料館などを見学してきたのですが古代のロマンを語る生き生きした姿に感動しました。

 「この明日香の地下には今も古代がそのまま眠っているのですよ」「わかっていることはまだほんの少しだけ。1400年前のことをあれこれ想像することもロマンですよ」と、いい語り口でした。

 衆議院初当選が私と同じ日であった森本さんの新しい人生に乾杯。そんな気持ちで私は明日香をあとにしました。

・蘇我入鹿思ふ一夜の初時雨(和良)

2005年11月1日


 第3次小泉改造内閣が31日夜発足しました。官房長官には安倍晋三さん、外務大臣には麻生太郎さん、財務大臣は谷垣禎一さん、総務大臣は竹中平蔵さんという顔ぶれです。


 北側一雄さんは国土交通大臣に留任。法務大臣に杉浦正健さん、文部科学大臣に小坂憲次さん、厚生労働大臣に川崎二郎さん、農林水産大臣に中川昭一さん、経済産業大臣には二階俊博さんが就任しました。

 小池百合子さんは環境沖縄北方担当大臣に留任し、国家公安委員長防災担当大臣は沓掛哲男さん、防衛庁長官は額賀福志郎さんです。

 金融経済財政政策担当大臣は与謝野馨さん、規制改革行政改革担当大臣は中馬弘毅さん、科学技術政策食品安全担当大臣は松田岩夫さん、少子化男女共同参画担当大臣は猪口邦子さんが就きました。皆さん私もよく知っている人たちですが全体として実行力、行動力、パワーのある人たちが揃っている印象を受けます。

 小泉首相は自ら「改革続行内閣」といっていますが持続させるだけでなく、加速させていただきたいものです。小泉首相は自民党総裁としての任期が切れる来年9月での退陣を明言していますから、今回の改造内閣はまさに改革の総仕上げに取り組む布陣といえるでしょう。

 改革を進めるとともに改革の先に見えてくる日本の姿を国民の目の前にはっきりと示していくのもこの内閣の使命であると私は思います。

 日本は今、内外に課題が山積しています。不透明感が漂っています。この深い闇を払って元気で明るい希望にあふれた未来を私達の日々の生活の中に創り出していただきたいのです。

2005年10月21日


 岐阜県高山市で高校の同窓会が開かれ、私も参加してきました。1泊2日の短い滞在でしたが思う存分旧交を温めてきました。


 同窓会には茨城、千葉、埼玉、神奈川、愛知、滋賀、兵庫、岡山、徳島県から18人が集いました。80歳になる恩師もはるばる徳島から元気に参加されました。

 飛騨の高山は小京都といわれますが、秋の高山祭が終わって1週間というのにたくさんの観光客でにぎわっていました。外国人の姿もよく見ました。私たちは古い町並みが残る上三之町界隈を散策したり、宮川沿いの朝市を楽しんだりしました。

 郊外にある飛騨の里にも足を伸ばしました。ここにはダムの底に沈む予定だった合掌造りの民家が移築されていました。今年の紅葉は少し遅れているようですが、景観を大切にする高山の人たちの心配りを感じる旅でもありました。

 高山滞在中の私の句日記です。

・家毎に菊を咲かせて飛騨の古都
・高山の古き町並み菊明かり
・外つ国の朝顔花を咲かす路地
・高山の上三之町菊薫る
・紅葉の前線間近飛騨の里
・大藁屋すっぽり桜紅葉かな
・次の鐘待つ静寂あり藤袴
・朝市に並ぶ赤蕪すぐ売れる
・飛騨の国高山陣屋秋珊瑚
・木の実落つ道の果てなる樵の家
・一刀彫見て帰る道時鳥草
・動かざる時は束の間花薄
・朝市の赤い大根と赤い蕪
・朴葉味噌焼きて奥飛騨夜の秋
・合掌の大屋根の上高き空

 

2005年10月11日


 大前研一さんが「東欧チャンス」という本を出版され、好評を博しています。東欧は日本から一番近い欧州ですが、今でもはるかに遠い地域の感じがします。


 2004年に新たにチェコ、ポーランド、ハンガリーなど10カ国が加盟し、25カ国になったEUは4億5000万人の人口となりました。これは日本と米国の合計を上回っています。

 GDPも12.5兆ドルと米国の11.8兆ドルをしのぐ勢いです。東欧ではルーマニアなど多くの国でEU参加への準備が進められており、さらに拡大することは間違いないでしょう。

 大前さんは中・東欧諸国への投資メリットを3点挙げています。①西欧やロシア、中東などへのアクセスがよい。②EU加盟国間では関税がかからない。③割安で、質の高い労働力を確保できる。の3点です。

 新規EU加盟国の次の課題は通貨統合ですが、2010年前後にはすべての国がユーロに参加するだろうと言われています。そうなればEU域内の為替リスクがなくなりますから投資活動は一層活発化するでしょう。

 私はユーロが誕生する前にフランス、ベルギーなどを訪問して通貨当局の幹部の方々や経済学者と意見を交換したことがありますが、ユーロがドルを越えるレートとなることを自信満々に予言していた彼らの顔を懐かしく思い出します。

 東欧のルーマニアには2度訪問して2度とも大統領にお会いして親善を結んできました。大統領が戦後の日本の発展に学びたいと猛勉強して論文にまとめたとの話をうれしそうに語っていたことを思い出します。

 私も大前さんと同じように東欧が注目される日は近いのではないかと思っています。私がルーマニアを訪問したときはほとんど日本人を見ませんでした。

 経済の面でも観光の面からも、日本とルーマニアをはじめとする東欧の国々ははるかに遠い存在だったのです。

 しかしこれからはもっと近い国になるのではないかと私は思っています。愛知万博でも東欧の国々が大変な人気でした。経済だけでなく、文化や芸術を含めた交流が力強く進むことを心から期待しています。

2005年10月2日


 小泉純一郎首相の靖国神社参拝をめぐる訴訟で、大阪高裁は9月30日「参拝は憲法の禁止する宗教的活動に当たる」として「違憲」と認定しました。


 小泉首相の靖国参拝を違憲としたのは、昨年4月の福岡地裁に続いて2例目ですが高裁では初めてであり、重い意義を持つ判決であると私は思います。

 大阪高裁の判決が出た前日には、同様の訴訟で東京高裁が「参拝は私的行為」と全く逆の判断を示していました。

 しかし、公用車を使い秘書官を伴って参拝し「内閣総理大臣 小泉純一郎」と記帳する参拝の仕方はどう考えても「私的」とは思えません。

 東京高裁の判断は国民の感覚からは少しずれているのではと思っていただけに今回の大阪高裁の判断に私は拍手を送りたいと思います。

 現時点では違憲か合憲か司法の判断は分かれています。しかしながら小泉首相の靖国参拝に「違憲の疑いがある」ことははっきりしました。

 この事実を小泉首相は厳しく謙虚に受け止めるべきです。そしてこうした憲法判断の生じない無宗教の追悼施設を早く作るべきであると私は思います。

 無宗教の追悼施設についてはすでに福田官房長官時代に有識者の意見が纏められています。その線に沿ってまずは調査検討の予算を計上すべきです。その決意を小泉首相と与党に促したいと思います。

 沖縄にはすでに無宗教の追悼施設があります。私はここを3度訪問したことがありますが、国籍や軍歴に関係なく沖縄でなくなったすべての人の名前が刻印されていました。

 小泉首相は今こそ過去からのしがらみを断ち切って平和国家・日本にふさわしい国立のメモリアルパーク(追悼施設)を作る決意をすべきです。

2005年9月12日


 11日に投開票された総選挙の結果、自民党は選挙前の212議席から296議席へ、 公明党は34議席から31議席になりました。自民・公明の連立与党で過半数という当初の目標をはるかに超えて327議席を獲得しました。


 小泉純一郎首相は21日にも特別国会を召集し、現閣僚を再任して、まず懸案の郵政民営化法案の成立を図ることになるでしょう。

 そこで注目されるのは、前の国会で郵政民営化法案を否決した参議院の動向です。今回の総選挙で示された国民の意思を一人一人の参議院議員がどう判断するのか見守りたいと思います。

 とともに私が心配するのは衆議院で327議席という重みです。衆議院の総定数は480議席ですから3分の2は320議席。327議席はそれを超えているのです。

 憲法第59条には「衆議院で可決し、参議院でこれと異なった議決をした法律案は、衆議院で出席議員の3分の2以上の多数で再び可決したときは、法律となる」とあります。

 もしこの条文が郵政民営化法案の採決で使われることになれば、参議院無用論にまで発展しかねないことになるのではないかと私は憂慮しているのです。

 また、この条文を振りかざして参議院に圧力をかけたり、無視するようなことは断じてあってはなりません。

 「驕れる平家は久しからず」といいます。今回の選挙で地滑り的な圧勝を収めた自民党の皆さんが、冷静で良識豊かな国会運営を心がけるよう釘をさしておきたいと私は思います。

2005年8月25日


 「目からうろこの地震・防災対策」と題する山村武彦防災システム研究所所長の講演を徳島で聞きました。


 山村氏は1964年、新潟地震でのボランティア活動を契機に防災システム研究所を設立。1995年の阪神・淡路大震災では2時間後に現地入りしています。

 世界各地の地震被災現場での活動は現在までに100箇所を超えています。こうした活動経験を基に「防災とは大切なものを守り抜くこと」と「戦う防災」の重要性を訴えました。

 印象に残った話の一つは緊急時の優先順位。例えば飛行機内で酸素マスクが降りてきたら先に大人が付けてその後、子供が付ける。これが世界共通のルールですが日本では子供から先にと考える人が多い。

 大人が意識不明になったら子供を守れない。共倒れを防ぐにはこの優先順位になるのですが、日本の航空会社は理由まで説明しませんから理解されていないのではないかと思います。

 阪神・淡路大震災ではあるビール会社がビール瓶に飲料水を詰めて即座に緊急物資として送ったそうです。これが毎日薬を飲まなければならない老人や赤ちゃんのミルクを作らなければならないお母さんにどんなに喜ばれたことか。緊急物資は間に合わなければ何の役にも立ちません。

 神戸市役所の職員が「スーパーもコンビニも商品があるところはすべて開店してください」とマスコミを通してお願いしたところ、その日のうちに協力が得られたとの話も聞きました。

 もしそうしていなかったら飲食品をめぐって暴動が起こったかもしれません。神戸市職員の危機に対処する的確で迅速な対応に感銘しました。

 阪神・淡路大震災の現場には私も2日後と7日後に参りました。元町商店街のアーケードに「負けたらあかん」と大書された横断幕が張られていたことを覚えています。

 この大震災では自力で脱出できなかった人の77%が近隣の人たちに助けられています。隣人同士が助け合い災害と戦っていく。「逃げる防災」から「戦う防災」への意識転換の大切さを私は再確認しました。

2005年8月11日


 小泉首相らしい「衆議院解散」の荒業でしたが、今のところ国民の支持を受けているようです。各紙の世論調査でも解散を支持する人が多数を占めています。


 また、内閣支持率も増えています。今後の政権のあり方としても現在の自公連立を支持する人が一番多いようです。

 小泉首相は総選挙で郵政民営化に賛成か反対かを直接国民に問いたいと言っています。「郵政民営化賛成は自民党と公明党しかない。あとは全部反対なんだから」とも語っています。

 首相の論法はまことに明快です。今回の総選挙は郵政民営化への国民投票だから賛成の人は自民党か公明党に投票してください。もし自民党と公明党で過半数取れなかったら私は即ちに退陣しますと断言しているのです。

 国民投票であれば小泉首相は郵政民営化賛成の人が投票できるように全国300の小選挙区に民営化賛成の候補者を用意し、公認する責任があります。

 郵政民営化に反対した人を公認しないだけでなく、その選挙区に賛成の候補を擁立するよう小泉首相が自民党に指示しているのはそのためといえるでしょう。

 総選挙は8月30日公示され9月11日投開票されます。真夏の選挙は52年ぶりとも言われますがまさに短期決戦の夏の陣です。

 選挙戦が今後どのように展開されるのか興味深いところですが、各党には郵政民営化をテーマにこの国のあり方を徹底して議論してもらいたいものです。

2005年8月4日


 2日午前11時半すぎ、羽田空港の管制塔の管制関係の電源がダウンし、管制システムのほとんどが使えなくなりました。このため同空港は航空機の離着陸をすべて見合わせました。


 私はちょうどそのとき徳島から羽田への日本航空便に乗っていました。羽田へは正午到着の予定でした。そろそろ着陸かなと思っていたところ機長から「原因は分かりませんが停電で空港が閉鎖されました。この飛行機はしばらく羽田上空を旋回して待機します」と機内放送がありました。

 それっきり何の放送もありません。時間ばかり経っていきます。窓の外を見ると私たちと同じように旋回している飛行機がありました。

 30分ほど経ってから「復旧の見込みがありませんので徳島に帰ることに決定しました。これから帰ります。午後1時到着の予定です」と機長から機内放送がありました。

 静岡あたりまで帰ったころでしょうか。機長からまた「羽田空港が正常化しました。これから羽田に向かいます。羽田着は午後1時の予定です」と機内放送がありました。

 私たちは約1時間遅れで到着しましたが、この事故の影響で22便が目的地を変更し、50便が欠航。338便が遅れ、約8万3000人が影響を受けたそうです。

 それにしても国土交通省は航空局長が謝罪するだけではまったく危機意識が低いと言わざるを得ません。徹底的に原因を究明し、二度と起こさないよう万全の対策を立ててもらいたいものです。

 首都の玄関ともいえる空港でこんな事故が起こったことは前代未聞でしょう。日本の安全神話が完全に崩れ始めていることは政府の責任です。政府は危機意識を持って対応してもらいたいと強く要望します。

2005年7月27日


 ホトトギス8月号に私の句が7月号に続いて入選しました。稲畑廣太郎選の雑詠では「ホトトギス百八歳の虚子忌かな」が入選していました。


 稲畑汀子選の天地有情では「虚子の墓訪ねし道の著我の花」と「歩み来し道はるかなり夕桜」の2句が選ばれていました。

 この3句は今年4月8日虚子の菩提寺である鎌倉市扇ヶ谷の寿福寺で行われた虚子忌法要に参加したときのものです。

 寿福寺は初めて参りましたが、よく手入れの行き届いた寺域には牡丹や芍薬など季節の花々が咲き始めていました。桜は満開で春というより薄暑といったお天気でした。

 全国からたくさんの俳人が集まっていました。私も皆さんに連れられて本堂の裏側にある子規の墓を訪ねてお参りをしてきました。

 鶯のよく囀る日でした。綺麗に整備された山道を登って行くと著我の花が咲いていました。その先に虚子の墓がありました。

 墓の周りは大勢の人でした。線香の煙が目に沁みるほどでした。参加した人たちが、今も子規を俳句の師と慕っている様子がよくわかりました。

 「ホトトギスに2句入選すると昔はお赤飯を炊いてお祝いをしたものです」と徳島の俳句の仲間も私の入選を心から喜んでくれました。

 ホトトギスの誌友になったのは今年3月からですから、私は文字通りの初心者です。これからも初心を忘れず、俳句の道をひたすら探求して行きたいと思っています。皆さんよろしくお願いいたします。

2005年7月21日


 参議院で郵政民営化法案が否決されれば衆議院を解散すると小泉純一郎首相が示唆しています。徳島県でも関係者の間で総選挙をにらんだ動きが激しくなって いるようです。


 参議院で否決されたからといって衆議院を解散するのはまったく筋が通らないのですが、解散は総理の特権だからできないことではないでしょう。でも、ちょっと待てよと言いたくなります。

 そもそも解散には大義名分が必要ですが、今回の場合はどんな大義名分を付けるのでしょうか。国民の視点から見ると郵政民営化問題が国論を二分しているとはとても思えません。

 今の日本には袋小路に入ってしまったかのような外交問題をはじめ、一向に好転しない景気対策など、もっと優先すべき課題が内外に山積しています。それらの問題に真正面から対処しない政府の無責任さに国民はむしろ腹を立てているのです。

 私は最近の政治は国民から遠いところに行ってしまったのではないかと心配しています。こんな状態でもし解散になれば「あなた方の身勝手にはもう付き合えません。どうぞご勝手に」と突き放されてしまうのではないでしょうか。

 「郵政民営化は総理の初恋」と言った人がいます。その人は「その初恋に国会中がつき合わされている」とも言っています。うまいことを言うものだなと私は感心ました。

 自分の意志どおりにならなかったら何が何でも解散するというのでは困ったものです。国会だけでなく国民まで巻き添えにするのは御免蒙りたいものです。

2005年7月4日


 徳島日本ポルトガル協会と俳誌「祖谷」共催の第5回モラエス忌句会が、昨3日徳島市の阿波おどり会館で開かれ、私も出席しました。


 ウェンセスラウ・デ・モラエス(1854-1929)はポルトガル・リスボンに生まれ、海軍士官として世界各地を航海し、マカオ港務副指令に就いたあと、神戸・大阪総領事を務めました。

 神戸で徳島の女・おヨネにめぐりあい、愛し合い、愛する者のふるさとに惹かれて1913(大正2)年7月徳島に移り住みました。

 おヨネの死後、姪のコハルを愛して、コハルにも先立たれますが一人徳島に住み続けました。モラエスは日本を紹介したエッセイを数多く書いて祖国ポルトガルに送り続けています。「徳島の盆踊」「日本精神」など多数の著作を残しています。

 昨年はモラエス生誕150年を記念して眉山山頂に銅像が建てられたのをはじめ展覧会や多彩な関連イベントが繰り広げられました。

 モラエス忌句会は文人・モラエスの命日「モラエス忌」(7月1日)が季語として認知されることを目指して2001年7月1日以来、毎年開催してきました。

 今年は28人の俳人が集まりました。俳誌「祖谷」主宰・上崎暮潮先生が選んだ特選句は次の通りでした。

 

・阿波の野に喜雨ゆき渡りモラエス忌
・リスボンは西日の彼方モラエス忌
・モラエスも声をかけしか金魚売
・アパートの名もモラエスと薔薇咲かせ
・一銭の昔は遠しモラエス忌
・ほととぎす鳴きて忌ごころモラエス忌
・モラエスに桎梏なりしこの暑さ
・モラエスのたましひかとも梅雨の蝶
・梅雨空へ望郷の像モラエス忌
・喜雨ありしことがとむらひモラエス忌
・銅像も空梅雨に耐えモラエス忌
・モラエス像淋しからずや梅雨霧らふ


 ちなみに私の句は入選でした。・ポルトガルワインはいかがモラエス忌(和良)です。皆さんのすばらしい句に感動しました。ありがとうございました。

2005年6月21日


 ホトトギス第108巻第7号(平成17年7月1日発行)が今日手元に届きました。ホトトギスは明治31年10月10日に第3種郵便物の認可を受けています。毎月1回1日に発行し、この7月号で通算1303号となりました。


 私は今年の3月号(1299号)から誌友となり、投句をしてきました。その努力が実ったのでしょうか。7月号で初入選していました。

 まず稲畑廣太郎選の雑詠では「三椏の花は照れ屋でありにけり」の句が入選しました。この句は今年3月東京の皇居東御苑で見た三椏の花を詠んだものです。

 三椏の花は少しうつむき加減に咲いていました。黄色い可憐な花でした。私にはそれが照れ屋の少女のように見えたのです。

 次に稲畑汀子選の天地有情では「手造りの小川なれども柳鮠」の句が入選しました。この句は青色ダイオードで有名な徳島県阿南市の日亜化学工業株式会社を見学したとき感動した風景を思い出して今年3月に作ったものです。

 日亜化学工業株式会社では社員が自然保護に自発的に取り組んでいます。例えば蛍の養殖をしてもう一度蛍の飛ぶ自然を取り戻したいとさまざまな挑戦をしているのです。

 本社の前の空き地に社員の有志が蛍の養殖場を作りました。その前には餌となるカワニナが生息できるように手造りの小川まで作られていました。

 綺麗な水が流れるその小川にはよく見るとカワニナはもちろん柳鮠までいました。手造りの川ですが自然の川から水を引いているので鮠も登ってきたのでしょう。

 手造りの人工の川にも自然の営みが生まれている。春はここまで来ている。私は目の前で群れている柳鮠を思わず見つめていました。

 社員の方々の試みが確かに自然を回復しているのです。そんな感動を私はこの句に詠みました。ともあれホトトギス初入選よかったです。これからも頑張ります。

2005年6月10日


 久しぶりに霞ヶ関の厚生労働省と永田町の国会議事堂や議員会館に行ってきました。 今年は「クールビズ」とかで皆さんノーネクタイ、ノー上着の涼しい服装でした。


 厚生労働省では西博義副大臣にお会いし、専門の職員の方々から「医療保険制度改革のポイント」「いわゆる混合診療問題の基本的考え方」「現行の薬価基準制度」などをお聞きしました。

 医療保険制度改革では、経済財政諮問会議の民間議員などから医療費の伸びを経済成長率に連動させようという意見がありますが私は反対です。

 そもそも医療費の伸びは経済成長率とは何の因果関係もないし、もし連動させると現に行われている医療に不必要な混乱をもたらすでしょう。

 医療費は都道府県ごとに大きな差異があります。したがって医療保険制度を都道府県単位で運営するものに改め、医療費の伸びそのものを計画的に抑制することが大切だと私は思います。

 国会では四国の石田祝稔代議士や沖縄の白保台一代議士と懇談しました。白保代議士は沖縄県の官公庁や企業などで夏の仕事着として着られている「かりゆしウエア」がよく似合っていました。

 神崎武法代表も多忙な中時間をとってくださり、時の経つのも忘れて内政、外交を語り合うなど、旧交を温めることができました。神崎代表の「かりゆしウエア」姿もさわやかでした。

 そろそろ入梅のようです。私も今年の夏はノーネクタイ、ノー上着でさわやかに頑張りたいと思います。皆さんもどうぞ。・更衣今年流行とクールビズ(和良)

2005年5月23日


 鎌倉の大島清京都大学名誉教授からお手紙を頂きました。今年5月9日に発行されたばかりの近著が添えられていました。本のタイトルは「歩く人はなぜ『脳年齢』が若いか?」です。


 とても面白い本で「そうか。そうなんだ。なーるほど」と相槌を打っている内に読み終えていました。歩くことによって眠っていた脳が活発に活動を始める。脳が生き生きと活動を始めると気分がよくなってさらに歩きたくなる。これを大脳生理学では「脳の報酬行動」と呼ぶそうです。

 大島先生は1927年広島県生まれ。東京大学医学部卒業後、ワシントン州立大学に留学。京都大学を定年退官後、サロン・ド・ゴリラを主宰。ビジネスマン、主婦、若者、子供の諸活動と脳の関係を中心に執筆、講演などでエネルギッシュに活躍されています。

 先日も徳島までお越しくださり、若い研究者に自身の体験を交えて感動的な講演をしてくれました。講演の結びは「一緒に長生きの競争をしましょう。私のほうがきっと勝つでしょう」でした。まことに元気な78歳です。

 私への手紙にも「62歳。まだガキですよ。これからの嬉しい人生、待望できます」と激励の言葉を綴ってくれました。私は早速感謝の葉書を出しました。

 大島先生の著書は「定年後に若がえる生き方」「55歳から駄目になる脳、伸びる脳」「好かれる老人 嫌われる老人」「『生きる力』の強い人弱い人」「なぜか『肝っ玉が太い人』の共通点」「温泉と駄ジャレと手料理が脳に効く」など多数あります。

 私はまだ3冊ほどしか読んでいませんが、脳科学者としての専門的な知識を根拠にしながらも平易な文章で書かれているので疲れることなく読むことができます。

 本も面白いですがご本人はもっと面白いことを私はお会いして知りました。まず服装。「このごろはどこへ行くのもこれですよ」と講演も会食も作務衣姿で通されました。そして若い人の話に耳をそばだてる。好奇心がまことに旺盛なのです。

 ちなみに5月9日は私の誕生日でした。この日に出版された本を宝としてこれからも大いに歩き続け、大島先生のようにいつまでも若々しい人生でありたいと思っています。

2005年5月16日


 第35回四国ホトトギス俳句大会が昨15日、高松市の香川県県民ホールで開催され私も参加しました。


 この俳句大会にはホトトギス主宰の稲畑汀子さんも出席され、四国を中心に289人の誌友が一堂に会しました。

 徳島県から出席した私達は会場に入る前に高松港サンポート広場のバラ園や高松城(玉藻公園)などで吟行しました。

 高松港サンポート広場では瀬戸の海を行き来する船が目の当たりに見えました。30階という高いビルが立ち並び、広大な広場は整備が進み、すばらしい景観になっていました。

 広場の一隅にはバラ園も誕生して赤、白、黄の薔薇が今を盛りに咲いていました。 手入れをする人の姿も見られました。

 「讃州さぬきの高松さまの城が見えます波の上」と歌われている高松城は全国でも稀な水城(海城)です。

 堀の水は瀬戸内海の海水で、潮の干満に合わせて堰が開閉する仕組みになっています。私達が行ったときは引き潮のときでしたが、黒鯛が群れを成していました。

 当日は一人3句投句し、全員で選句しました。稲畑汀子選の特選句は次の通りでした。

・万緑につつまれてゐる句会場
・麦秋の国道32号線
・朝の日の渡り始めし樟若葉
・細胞を一新させし日の新樹
・夏潮の海に快晴ありにけり
・薔薇を見る寡黙の後ろ通りけり
・潮の香の残る日傘をたたみけり
・晴天に疲れることも五月かな
・風の薔薇より太陽の薔薇となる
・ものすべて夏潮の香にふれてをり

 レベルの高い作品ばかりでいい勉強になりました。皆さんありがとうございました。

2005年5月9日


 JR西日本の車掌や運転士39人が福知山線の脱線事故当日の夜地元出身の民主党代議士と宴会を開いていたことが昨8日分かりました。


 出席者の多くが事故現場を管轄する大阪支社の社員で全員が事故を知りながら飲酒やカラオケを楽しんでいたようです。また出席者の大半は当日の早朝からゴルフをしていたことも判明しました。

 JR西日本では、事故当日に社員がボウリング大会を開催したほか、4月30日までの間に延べ189人の社員が事故を知りながらゴルフなどをしていたことが分かり、幹部が謝罪したばかりでした。

 107人もの命を奪ったJR福知山線の事故はなぜ起こったのか、直接の原因解明は捜査当局が行いますが、この無責任な企業風土の改革こそ焦眉の急ではないかと私は思います。

 安全性より効率性や経済性を重視することはなかったのか、部分は見えるが全体が見えない社風になっていたのではないのか、もう一度人の命を預かるという交通機関の重い責任を再確認して会社を作り直してもらいたいものです。

 ところで私が心配するのはこうした風土はJR西日本だけではなく、日本全体にあるのではないかということです。

 最近の日本は社会そのものが何かおかしくなっているという人が多くなっています。私もそう思います。もう一度何が一番大切な事かしっかり考えなければなりません。

 愚直であっても人間にとって一番大切なことを徹底的に大事にしていく。そんな日本になるように思い切って舵を切り替えていきたいものです。

2005年5月1日


 今日から5月です。野に山に新緑がまぶしい季節になりました。4月29日から始まったゴールデンウイーク皆さんはどうお過ごしでしょうか。


 私は4月30日、鳴門市で行われたサッカー・Jリーグ2部(J2)の徳島ヴォルティスと札幌コンサドーレの試合を観戦しました。

 徳島ヴォルティスは徳島県民の大きな期待の中で今年J2入りしました。私も県民の一人として進んでプラチナ会員に登録させていただいています。

 30日の試合は後半35分に先制点を許しましたが、試合終了間際に同点ゴールを決めて1対1で引き分けました。

 試合終了寸前の同点劇にはまことに感動しました。何事も最後の最後まで諦めないことの大切さを教えられました。

 徳島ヴォルティスの通算成績はこれで2勝5分け2敗。順位は12チーム中7位になりました。ホームである鳴門市では5試合をしましたがまだ白星を取れていません。

 私の見た感じでも何かちぐはぐで攻撃に迫力とスピードがありませんでした。徳島ヴォルティスの前身である大塚製薬チームの時代にセリアAのレッジーナを3対1で降したあの迫力は何処へ行ってしまったのでしょうか。

 それにしても徳島でこうした試合を毎月観戦できるのはすばらしいことです。ファンも増えてきています。家族で参加している人たちも多く見られました。女性や子供さんがたくさん観戦し声援を送っていました。

 徳島ヴォルティスが徳島県民の中に定着してきたことを嬉しく思います。皆さんの期待が大きいほど選手の方々も大変だと思いますが、全力で勝ち抜いて欲しいと思います。私も心から声援を送ります。

2005年4月26日


 兵庫県尼崎市のJR福知山線で昨25日朝、快速電車が脱線、衝突しました。この事故による死亡者は26日午後1時現在73人となりました。


 42人が亡くなった1991年の信楽高原鉄道事故を上回る事故で、JR発足以来、最悪の大惨事となってしまいました。

 電車には580人の通勤・通学客らが乗っていたようですが負傷者も441人に上り、電車に乗っていたほとんどの人が一瞬にして地獄さながらの奈落に突き落とされたのです。

 事故の原因はまだわかりませんが、「23歳の若い運転手は乗客が『怖い』と感じるほどのスピードで事故現場のやや急なカーブに突っ込んだ」などと報道されています。

 「手前の駅でオーバーランするミスを犯し、出発が1分半ほど遅れていた。だから、焦っていたのかもしれない。スピードが出すぎていたためにカーブを曲がり切れなかったのではないか」とも伝えられています。

 また、現場近くに石が砕けた跡(粉砕痕)があったことから、置石が原因ではないかとも推測されています。

 原因究明は確かに重要です。けれども、今はなんといっても負傷者の救出に全力を挙げてもらいたい。とともにご遺族やご家族の方々に誠心誠意対応していただきたいと思います。

 このところ事故が続いているJALといい、今回のJRといい、こんなありさまでは本当に心配です。交通機関はかけがえのない人の命を預かっていることを今一度肝に銘じてもらいたいものです。

 それにしても最近の日本は政治も経済も社会もどこかおかしくなってしまったようです。人の世はマネーゲームではありません。何か忘れています。

 大事なものを大事にする当たり前の日本、文化や人の温かみの感じられるゆとりのある日本はもう過去のものでしかないのでしょうか。まことに残念でなりません。

2005年4月20日


 私は俳誌「祖谷」の誌友の皆さんとともに4月16日(土)17日(日)と松山市道後に春の一泊吟行をしてきました。


 「祖谷」は昭和21年6月21日に第3種郵便物の認可を受け、5月号で通巻第700号を迎えます。ホトトギスの花鳥諷詠を厳格に継承する伝統のある俳誌です。

 現在の主宰は上崎暮潮先生です。暮潮先生は名古屋大学の学生のころから高浜虚子に師事し、高浜年尾、稲畑汀子と歴代のホトトギス主宰と親しく徳島県では名の知られた俳人です。

 その暮潮先生が私の高校の恩師であることから私も先生の紹介をいただき昨年4月から「祖谷」の誌友になって俳句を学んでいます。

 今回吟行した松山は子規や虚子を生んだ土地であり、俳人にとってはふるさとに帰る思いがする俳句の里でもあります。

 私達はまず道後公園の湯築城跡で吟行したあと、子規記念博物館を見学しました。子規は俳句ばかりでなく絵も上手であったことを知りました。

 石手寺界隈の句碑めぐりをしたあと第1回の句会をしました。翌日は朝早くから石手川の土手などで吟行したあと第2回の句会をしました。

 参加された皆さんは89歳のご婦人をはじめ年配の方が多かったのですが作られた句にあふれるみずみずしい感性にはまことに感動しました。

 この2日間で私は次のような句を作りました。

・台風の爪痕無残竹の秋
・五月鯉泳ぐ里山萌黄色
・阿波の山重なり合ひて草朧
・道後への一泊吟行山笑ふ
・木洩れ日に透き通りをり藪躑躅
・燕来る道後の奥の旅の宿
・箒の目入りたる庭に落ちし花
・三重の塔を越へかし樟若葉
・石手川菜の花の中流れけり
・キューイの芽蔓の先ほど開きをり
・囀や雑事忘るる子規の里
・鯉群れし淵の青さや花筏
・踊子草陰に控へてをりにけり
・真白なる家に赤と黄チューリップ
・里人と朝の挨拶豆の花
・樟落葉ありてこの樟若葉かな

 吟行のお世話をしてくださった湯浅苔巌さんまことにありがとうございました。

2005年4月13日


 私は4月8日に鎌倉の寿福寺で行われた虚子忌法要と翌9日東京新高輪プリンスホテルで開催されたホトトギス1300号記念大会に出席しました。


 鎌倉は約500人、東京は約1000人の俳人が全国から集まりました。虚子は四国の松山の生まれですが、客観写生を基本とした花鳥諷詠を生涯貫きました。その精神は虚子、年尾、汀子、廣太郎と親子4代に継承され今に続いています。

 そして1897年1月子規の門弟柳原極堂が松山で発行、1898年10月には虚子が発行人となった俳句雑誌ホトトギスはこの4月号で1300号となっています。

 鎌倉は薄暑ともいえる気候でした。満開の桜をはじめ、花々が咲き乱れていました。また、鶯をはじめ小鳥たちが一日中囀っていました。

 東京も桜花爛漫。記念大会に徳島から参加した私たちは祝賀会の後、千鳥ヶ淵の夜桜を見に行きましたが、まさに「咲き満ちてこぼるる花もなかりけり」(虚子)の句のとおりでした。

 この2日間で私はこんな句を作りました。

・ 虚子の忌の鎌倉の花盛りなり
・ 鶯に導かれゐし墓参かな
・ 虚子の墓訪ねてをリぬ著我の花
・ 虚子の初志4代つづき山桜
・ 一筋に花鳥諷詠けふ虚子忌
・ ホトトギス百八齢の虚子忌かな
・ 歩み来し道はるかなり夕桜
・ 夜桜の宴に浮かびて遠桜
・ 余すなく咲き満ちてこの桜かな
・ 花一片斜交ひに舞ひゆきにけり
・ 風なくて花こぼれをりこぼれゐし
・ 水に映え花花花と咲きにけり
・ 句作りも忘れ桜に見とれをり

 昨日の雨で大方の桜が散ってしまったようですが、今年はいいお花見ができました。

2005年3月28日


 私は12日から23日まで欧州に出張し、ロンドン、ストックホルム、フランクフルト、 パリ、バルセロナの各都市を訪問してきました。


 土、日曜日が二度ありましたのでこの休日を利用して、ロンドンとパリで美術館や博物館などを見学してきました。

 ロンドンでは、ギルドホール・アート・ギャラリー、コートールド美術研究所、テートギャラリー、大英博物館、ナショナルギャラリーに行きました。

 ここで驚いたことは、特別展示は別としてどこも入場が無料であったことです。おかげさまで入り口の混雑もなく、ゆっくりと鑑賞することができました。

 ミレイ・ジョン・エヴァレットの「オフィーリア」の繊細な筆遣いは流石でした。ゴッホの「ひまわり」には圧倒されました。古代エジプトの象形文字解読の手がかりになったという「ロゼッタ・ストーン」も見てきました。

 パリでは、オルセー美術館、マルモッタン美術館、ピカソ美術館、ビクトル・ユゴー記念館を見学し、晩年のゴッホが過ごしたオーベール・シュル・オワーズ村も訪問してきました。

 パリの北西約27キロにあるこの村では「オーベール・シュル・オワーズの教会」や「カラスのいる麦畑」など、ゴッホの迫力ある作品に描かれた風景を現在もそのままに見ることができました。

 ちょうどお彼岸の日でもありましたので、私はゴッホと弟・テオが並んで眠る墓にも詣でてきました。墓に行く農道に犬ふぐりの花が咲きこぼれていました。

・お彼岸にゴッホの墓に詣でけり

・訪ね来しゴッホの墓や犬ふぐり(和良)

 

2005年3月10日


 年金改革への与野党協議がようやく動き出すことになりました。入り口であれこれと細かい話をするのではなく、骨太の議論をして欲しいものです。

 いまさら言うまでもありませんが、年金問題はこの国の社会のあり方そのものであり、社会保障制度の基本です。この国のあり方、この国の将来をどうするのかを踏まえた真剣な議論をしてもらいたいと思います。

 党利党略でなく、国民一人一人の立場に立った高い次元からの議論をお願いしたいと思います。最近の国会論戦を聞いていますと枝葉末節にとらわれたことがあまりにも多くまことに残念です。

 年金にまつわる課題は山ほどありますが、そういう意味で年金制度の一元化から議論を始めるというのも大いに結構でしょう。

 それも厚生年金と共済年金の一元化などというのではなく、国民年金を含めた年金制度のそのものの一元化であるべきです。そうでなければ骨太の議論にならないのではないかと思うからです。

 この議論を始めると所得把握の問題にぶつかります。納税者番号制度の問題といってもいいでしょう。私はこれも大いに議論して、前に進めるべきと考えます。

 そしてもう一つの問題は財源です。無駄を排しつつ年金に必要な財源をどう確保するのか、説得力のある議論を展開して欲しいと思います。

 国会が真剣な議論をするのであれば国民も聞く耳を持つに違いありません。国民の心に響くような真剣な議論を私は心から期待しています。

2005年2月24日


 徳島県阿南市に青色発光ダイオードで世界的に有名になった会社があります。私は昨年のちょうど今頃、会社見学をさせていただいたことがあります。


 石灰を採取していた創業の時代から始まって現在に至る苦労談をお聞きしました。新製品の開発にかける意欲あふれるお話でした。

 特に印象に残ったのは、会社見学の最後に案内された「蛍の人工孵化試験場」です。青色だから蛍といっていましたが、この遊び心がうれしかったです。

 会社の前には孵化試験場とともに人工の小川まで作られていて近くの川から水が引かれていました。この小川には蚕の餌になるという「カワニナ」がたくさんいました。水芭蕉などもあり、まさに天然の川のように細かな配慮がされていました。

 「自然を復元して守っていくことは会社の社会的な責任でもありますから」「会社の従業員の方たちもこの川作りをしていると気分転換になると喜んでいます」との説明もありました。

・人工の小川なれども柳鮠

・蜷の道九十九折でもありにけり(和良)

 「春の小川」という童謡があります。童謡のままの風景が「人工の小川」にあったことを今私は懐かしく思い出しています。

 あの「人工の小川」は今年も「蜷」や「柳鮠」のいる「春の小川」になっていることでしょう。機会があれば訪れてみたいと思っています。

2005年2月10日


 徳島県鳴門市大麻町の「板東俘虜収容所」を舞台にした映画が作られるそうです。映画のタイトルは「歓喜(仮題)」。東映が制作し、徳島県と鳴門市が1億円を支援するとのことです。


 映画では第1次世界大戦中にドイツ兵たちが中国・青島で投降し、板東俘虜収容所に移送されてから、ベートーベンの交響曲第9番「歓喜の歌」を国内で初めて演奏するまでが描かれるようです。

 「板東俘虜収容所」のことは1994年の直木賞受賞作品となった「二つの山河」(中村彰彦著)に詳しく書かかれています。

 「第9」が日本で最初に演奏されたのは大正7年(1918年)6月1日ですが、この本では大正6年(1917年)6月から大正9年(1920年)2月までの2年8ヶ月間模範的な俘虜収容所としてこの地上に存在した“バンドー”を舞台にした感動的な人間ドラマが綴られています。

 「板東俘虜収容所」の所長は会津人の松江豊寿。彼の口癖は「彼らも祖国のために戦ったのだから」でした。ドイツ人俘虜に対していつも礼儀正しく接しています。

 その姿を見ていた土地の人たちもドイツ人俘虜たちを「ドイツさん」と親しみを込めて呼び、何の分け隔てもなく歓待したと私は伝え聞いています。

 ドイツ人俘虜を教師としてパンや菓子の作り方、西洋野菜の栽培法、ハムやベーコンの作り方に始まり、家具の製造や楽器の修理と演奏、製本や印刷技術、橋を架ける土木技術などを教わったとも伝えられています。

 外国人に対して狭い先入観を持たず、よいものはよいと素直に受け入れていくこの解明さこそ世界に開かれた精神と言えるのではないでしょうか。今回の映画がそうした徳島県人のありのままの姿を描き出してくれることを私は密かに期待しています。

2005年2月3日


 全島避難から4年5ヶ月。ようやく避難指示が解除されました。東京都三宅村(三宅島)の皆さんの喜びの表情をテレビで拝見し、私もうれしくなりました。


 帰島第一陣は2日朝、三宅島に定期船で到着しました。まだ火山ガスは出ており、これからはガスマスクを常時携帯しての生活再建となるようです。

 私は全島避難して誰もいなくなった三宅島に自衛隊のヘリコプターで視察に行ったことがあります。何処へ行っても強い硫黄の臭いが立ち込めていました。

 火山灰に埋もってしまったのは畑だけではありません。民家や自家用車も厚い火山灰に埋もっていました。トタン屋根は錆びてボロボロになっていました。

 牛を放牧していた山麓の酪農園には、白骨になった牛の死骸がありました。草一本生えていない殺伐とした風景でした。

 いつになったら帰ることができるのか、いつになったら火山活動が人間との共存を許す状態に戻るのか。その日が一日も早いことを祈らないではいられませんでした。

 それだけに今回のニュースはうれしかったです。これからの生活は大変だと思いますが、村民の皆さんのご奮闘と政府や東京都をはじめ関係者の支援を期待してやみません。

 「これから一生懸命頑張って、お世話になった全国の皆さんに来ていただけるような三宅島にしたい」と健気に語る島の方々。私は心から声援を送りたいと思いました。

2005年1月27日


 徳島市で開かれた四国日中平和友好会の新年会で中華人民共和国駐大阪総領事・邱国洪さんの講演を聞きました。


 「中国と日本の関係」と題する講演は流暢な日本語で行われ、随所に外交官らしい冷静な分析が見られました。

 講演の後、質疑応答もあり、丁寧に答えていました。また、講演の後の新年祝賀会でも最後まで笑顔を絶やさず、出席者と懇談を重ねる誠実な姿が印象に残りました。

 現在の日中関係は一般に「政冷」「経熱」と表現されています。邱総領事もその認識を示しましたが、かなり楽観的でした。私も楽観的なほうがいいと思いました。

 両国間には確かに解決しなければならない政治的な課題があることは事実です。けれども解決できないほど深刻な課題ではないと私も考えます。

 邱総領事も話していましたが、日本と中国という地理的な隣国関係は永久に変えることはできません。であれば両国ともにどう付き合っていくか、を考える以外にないのです。

 何かあればすぐ感情的になることは両国にとってともによくありません。単純かも知れませんが絡み合った糸を解きほぐすのは、やはり粘り強い対話以外にないでしょう。

 私は両国関係が[政冷経熱]から[政熱経熱]になるようにと祈っています。邱総領事と私は三度目の再会を誓い合い、固い握手を交わしました。

2005年1月17日


 阪神淡路大震災から今日で10年が経ちました。新聞やテレビでは特集の紙面や番組を組み大きく報道しています。 一瞬のうちに家族や住宅を失い、今なお失意の中にある方々のことを思うと心が痛みます。

 

 日本人はよく喉元過ぎれば熱さを忘れると言われますが、私たちはこの体験を風化させるのではなく、真の復興を願って心を新たにしていきたいものです。


 私は大震災の翌日、海部元総理とともに淡路島の被災地に参りました。救援物資を直接、当時の貝原兵庫県知事に手渡したことを覚えています。

 貝原さんは県議会で「知事は県民の命について無過失無限大の責任を持たなければならないと考えています。私の命を投げ出すことによって、亡くなられた方々の命がよみがえるものならば、その決意も辞さないほどの責任を感じています」と語った人ですが、不眠不休で働いていた作業着姿を思い出します。

 神戸には、淡路島から船で参りました。船着場から、三宮、県庁、南京街、元町と歩きましたが建物という建物は崩壊し、惨憺たる状態でした。

 それでも元町商店街のアーケードには「負けたらあかん」という手作りの横断幕が張り出されていました。飲食店ではペットポトルの水とプロパンガスでラーメンを作り、無償で提供していました。

 阪神淡路大震災では一年間に約138万人がボランティア活動に参加したそうですが、人々が忘れかけていた共生と連帯の精神を再認識する契機になったことは嬉しいことでした。

 東海、南海、東南海の三つの巨大地震が近い将来起こると推定されています。備えあれば憂い無しといいますが、どんな備えをしておくべきなのか、足元の地域から考えてみたいものです。

2005年1月10日


 インドネシア・スマトラ沖の大地震から2週間が経ちました。その被害の大きさと深刻さは日の経つにつれ拡大しています。


 新しい映像も次々に届き、世界中に報道されています。平和な南海のリゾート地を一瞬のうちに飲み込み、泥の海にしてしまった津波の破壊力には、ただ茫然とするばかりです。

 報道では死者・行方不明者は総数で15万人を超えたといいます。世界中から救援の手が差し伸べられているようですが、最前線の要求には充分にこたえられていないようです。

 医療関係者の話では今後の感染病が心配だとのことです。被害をこれ以上拡大させないよう迅速で的確な対応が求められています。

 私が社外監査役をしている会社では、オーナーの陣頭指揮で大地震が起きた当日から、現地の子会社を通して現地の政府と連携をとり医薬品や飲料水などの救援物資を送ってきました。

 担当の大臣や大統領からも直接連絡があり、現在までは適切に対応できたとのことでした。今後もさらに支援を拡大したいといっていました。

 被害を受けた地域が世界的な観光地であったことから世界中の人々が被害に遭っています。私達は当然のこととして日本人のことも気になりますが、何百万人という被害者のことをまず考えなければなりません。

 「困っている人があれば、世界のどこであれ飛んで行きたい。世の人々のために尽くす会社でありたいからです」と語る社員の顔が私にはとても頼もしく見えました。

 東京で行われた会社の四半期報告会ではオーナーや社長をはじめ大勢の幹部社員の皆さんとともにインドネシア・スマトラ沖大地震でなくなった方々を思い、黙祷をささげました。被害がこれ以上拡大しないよう祈るばかりです。

2005年1月1日


 新年明けましておめでとうございます。昨年はまことに災害の多い年でした。ことに年末のインドネシア・スマトラ沖地震では各国の死者総数が12万人を超えたと伝えられています。


 日本でも地震に見舞われた新潟の皆さんをはじめ台風の被害に遭った各地の皆さんも不安の中で年を越されたことと思います。

 私は今年もワシントン、ロンドン、ミャンマーをはじめ世界中の皆さんから年賀状やメールをいただきましたが、文面には平和と安穏を願う気持ちがあふれていました。

 今年は戦後60年。節目の年ですが未来への展望が開けない閉塞感が漂っています。国内では日本人の精神的荒廃を物語るかのような凶悪事件が相次ぎ、日本の安全神話は完全に崩壊してしまいました。

 イラクでは主権移譲後も反米武装勢力による抵抗や自爆テロがやまず、泥沼化の様相を呈しています。

 北朝鮮による日本人拉致問題は、解決の糸口さえ見えないまま年を越してしまいました。日本政府は経済制裁をするのかしないのか、決断を求められています。

 パレスチナ解放運動のシンボルだったアラファト議長が死去し、中東和平も一層先が見えなくなってしまいました。

 国政でも郵政民営化や国と地方との関係についての三位一体改革はいったいどうなるのか、見通しは依然立たないままです。

 世間を見渡しますとまことに明るいことの少ないことに愕然とします。・目出度さもちう位なりおらが春(一茶)でしょうか。

 ・元日の新しい顔で友ら来る(日野草城)という句もあります。私も新しい気持、新しい顔になって新しい年を新しい希望に向かって頑張りたいと思います。