2003年

2003年12月17日


 公明党の神崎武法代表と遠山清彦参議院議員がクウェートに出発しました。現地の状況を見て可能ならイラク国内にも入る予定のようです。


 出発に先立ち、神崎代表は「陸上自衛隊の派遣については、どの時点で派遣するかという判断が求められるので、私の目で直接、現地の治安状況やニーズなどを見ておきたい。党の最高責任者として自分の目でしっかり見ておくことが大事だと判断した」と語っています。

 これに対してマスコミの報道は「視察団は官邸の頭越し。事故が起これば派遣計画の見直しを迫られると首相周辺は不快感」「外務省が日本人の国外退去を求めているイラクに与党幹部が行くのは極めて異例」「自衛隊派遣に慎重論が根強い支持母体への配慮か」「素人が行って何がわかる。迷惑なだけ」などまことに次元が低い。

 私は神崎代表とは衆議院初当選の同期生として20年間いろいろなことを語り合い、行動してきましたから、彼の考えることそして行動する気持ちがよくわかります。

 イラクへの武力行使が始まる直前、国連に駆け込み「あなたがフセインを説得すべき」とアナン事務総長に直談判。最後の最後まで戦争回避への努力を国連に促したのも神崎代表でした。

 それは国連に行くべきだという私の意見を静かに聴いてくれた数日後のことでした。アメリカへの飛行機の中からまだアポは取れていないけど必ず会って来るよ。といつもの寅さん(これは神崎代表のあだ名です)らしいすばやい行動ぶりでした。

 今回のイラク行きも事前の根回しは無かったのでしょう。それはテロを避ける意味でも当然のことだったかも知れません。しかし私はこれこそ寅さんらしい決断と思います。

 国家の意思として自衛隊を派遣する重い決断をするのですから、派遣の前に与党の最高責任者として自分自身の目で現地の治安状況を見ておきたいと考えるのは当然過ぎるほど当然なことではないでしょうか。

2003年12月15日


 イラクを占領統治する連合軍暫定当局のブレマー行政官は米軍がイラクのサダム・フセイン元大統領を13日に出身地の北部ティクリット近郊で拘束したと昨日、記者発表しました。


 記者発表はブレマー行政官の「ウィー・ガット・ヒム(我々は彼を捕らえた)」で始まりました。拘束は4月9日の政権崩壊から249日目のことであり、会見場にはイラク人記者達の大きな歓声が上がりました。

 ブレマー行政官は「イラク人にとって歴史的な瞬間だ」とも語りましたが、私もそうなることを祈っています。イラク復興には新しいイラクを創るイラク人自身の団結が大切と考えるからです。

 フセイン元大統領が生存のままだ捕されたことはよかったと思います。なぜならイラク統治評議会が設置する旧政権の大量殺人や人道に対する罪を問う特別法廷にフセイン元大統領の身柄を引き渡すことができるからです。

 記者会見に同席したイラク駐留米軍のサンチェス司令官は、まだ引き渡すかどうかは決めていないと述べましたが、私は引き渡すべきと考えます。

 軍や治安機関による恐怖政治で24年間もイラクを支配し続けてきた独裁者をイラク人自身が裁く政治的意義はまことに大きいと考えるからです。それが実現すれば民主化への大きなスタートとなることは間違いないでしょう。

 もう一つ私が期待したいことは戦争開始の大義名分だった大量破壊兵器開発の実態解明です。大量破壊兵器があったとすれば、その開発の最高責任者を生け捕りにしたのですから、なんとしても実態解明を急ぐべきでしょう。

 イラクの各地で頻発しているテロがなくなり、治安が回復する日を世界中の人々は待っています。フセイン元大統領の拘束という「歴史的瞬間」をイラクの人々は民主化への大きな一歩にしてほしいと私も願わずにいられません。

2003年12月4日


 恐れていたことが起きてしまいました。イラク復興支援のために昼夜心血を注いでいた二人の日本人外交官とイラク人の運転手が何者かによって殺害されました。誠に痛恨の極 みであり強い怒りを覚えます。


 この事件が起きた現状から見て、今、自衛隊を派遣すべきかどうか。その是非が改めて問われています。確かにテロに屈することは許されません。国際社会もテロという無差別大量殺人の撲滅では意見の一致を見ています。

 私が思うことはイラクの復興支援は自衛隊のように自己完結的な組織でなければできないということ。これは自明の理ではあるけれども派遣の時期、場所、業務、部隊の規模は、慎重の上にも慎重に判断すべきということです。

 マスコミでは「日本は体面ばかりにこだわっている。アメリカのいいなりになっている」などとよく報道されていますが、日本政府はここではっきりした日本としての態度を決定すべきでしょう。

 その態度決定の基本は「年内」とか「アメリカ」にこだわらず、「憲法」の精神や「イラク復興支援法」の趣旨にこだわるものであってほしいと思います。

 戦闘地域には派遣しない。自衛隊は派兵ではなく派遣である。これが「イラク復興支援法」の趣旨なのです。したがって非戦闘地域の設定ができなければそもそもこの法律は適用できません。

 自衛隊が法を無視して行動するようなことがあっては断じてなりません。それゆえに国家の意思として自衛隊を出す政府は慎重の上にも慎重であるのはむしろ当然のことなのです。

2003年11月10日


 第43回総選挙が終わりました。公明党は3議席増の34議席を獲得。自公保連立政権は275議席を得、絶対安定多数である269議席を超えました。四国比例区では公明党の石田祝稔氏が当選し、私もバトンタッチすることができて喜んでいます。皆様のご支援に心から感謝いたします。


 今回の選挙結果を見て特に感じることは民主党が総選挙の直前に何の政策合意もなく自由党を丸呑みするかたちでできたにもかかわらず大きく躍進したことです。

 政権の枠組みも示さず、にわかづくりのマニフェストも国民の人気取りに終始する杜撰なものであったにもかかわらず、こうした結果が生まれたことは不思議な気もします。

 参議院の議席数を考えれば政権をとることはとても考えられないことであったはずです。にもかかわらず、国民は民主党のいう政権交代を本当に信じたのでしょうか。混乱が必至の政権に何を期待したのでしょうか。

 私は決してそうではないと考えます。にもかかわらずこうした結果になったのはなぜなのか。私はその秘密は選挙制度にあると思います。確かに小選挙区300比例代表180というこの選挙制度は大政党に有利であり、無理にでも2大政党を作り出す仕組みになっているのです。

 擬似2大政党でも2大政党となるのです。これがこの選挙制度といえるでしょう。共産党、社民党、保守党は選挙制度の犠牲になったといえるかもしれません。公明党がそうなるハンディを覆して議席増を勝ち取ったのは見事なものといえるでしょう。

 大きくなった民主党に私が期待したいのは政権をとるなら誰もが納得できる政権構想と安全保障や予算編成も含めた総合的なマニフェストをつくることです。

 次の参議院選挙は憲法問題も含めたこの国のかたちが争点になるのではないかと私は思っています。そうした骨太のマニフェストで政権を争ってほしいものです。

2003年10月27日


 第43回総選挙は明日28日に公示され、11月9日の投開票へ向けて選挙戦に入ります。私はすでに発表している通りこの選挙には立候補せず、政界を引退するのですが公示日には松山市で3人の公明党比例区候補とともに第一声を行い、有権者の皆様に公明党への更なるご支援をお願いしてこようと思っています。


 今回の選挙に立候補を予定しているのは300小選挙区と比例代表(定数180)単独を合わせ25日現在で約1060人。最終的には2000年6月の前回選挙から約200人減り、1200人程度の少数激戦となる見通しです。

 新聞では自民党と民主党の二大政党が対決とか、自民党の政権か民主党の政権かを選択する選挙であるなどの報道がされていますが、私は少し違うのではないかと思っています。

 確かに小選挙区と比例代表選挙区が並立する現在の選挙制度では特に小選挙区で民意の集約を期待していますから選挙制度を通して二大政党制を作ろうとしていることは確かだと思います。

 けれども現実の日本の政治を見ると国民の意識はいよいよ多様化し現に単独で衆議院と参議院の過半数を占める政党はありません。したがって連立政権の時代となっているのです。これは当分続く日本の政治形態であろうと私は思いますし、最近の世論調査でもそうあってほしいと願う国民が最大多数を占めています。

 したがって政権を選ぶということは日本においてはどんな連立政権を選ぶのかということであり自民党か、民主党かを選ぶのではないと私は思うのです。

 総選挙は政権を選ぶ選挙である。それは日本においては政権の枠組みを選ぶ選挙となる。であれば各党は連立政権の構想を示すことが現実的です。それをしないでわが党だけでというのはまさに空想の世界、虚構の上の政権構想といっていいのではないでしょうか。

 国会は衆議院だけではありません。解散のない参議院の勢力を見ればどの党が衆議院で単独過半数を獲得しても参議院では連立しなければ政権を維持することはできないのです。
こんな自明の理も知らない政党に政権を語る資格はありません。

 選挙戦では国民の受けを狙っていろんなことをマニフェストに載せるかもしれません。
よく言われることですが自分が自分がという人ほど信頼できないものです。選挙もたぶんそうだと思います。そんな気持ちで正邪を見破っていきたいものです。

2003年10月17日


 衆議院が解散し、私は政界を引退しました。東京の事務所と宿舎から、今日、引越荷物が徳島の自宅に届きました。20年間住んでいましたので荷物の整理は大変でした。引越しは私にとっては大仕事でした。


 でも東京の秘書の皆さんをはじめ家族や友人など12人もの人たちが手伝いに来てくださり、大雨にも逢いましたがお陰さまで作業はスムーズに進み、事務所も宿舎も綺麗に明け渡して徳島に帰ってくることができました。皆様に心からお礼を申し上げたいと思います。

 徳島での荷物の整理はこれからですがとりあえずは倉庫にそのまま入れておいてゆっくり荷解きしたいと思っています。「荷物を開けるのはお孫さんになるのではありませんか」と秘書の方に言われましたがそうなるかも知れません。

 ちなみに私にはまだ孫はいませんが、政治に興味を持つ孫が生まれておじいちゃんの時代の政治を研究する資料にでもしてくれればそれはそれで望外の喜びです。

 現役時代の私は「整理とは捨てることなり」と心得て実践してきたつもりなのですが、それでも20年経つと捨てられないものが溜まるものなんですね。あれもこれもに思い出がありましてね。

 最近はメールの時代だということを痛感します。今回の引退にも世界中の友人からいろいろな励ましのメールをいただきました。「まだゆっくりするのは早いですよ。総選挙に勝利して後輩にバトンタッチする大仕事がありますよ」とワシントンから今もメールをいただいたところです。

 明日は坂口厚生労働大臣が「ねんりんぴっく徳島2003」出席のため来県します。その後は高松市で医師会の皆さんと懇談したり公明党の時局講演会に出席します。私も同行して後継者として総選挙に出馬する予定の皆さんを全力で応援したいと思っています。

 また選挙戦では候補者とともに四国中を街頭演説して公明党の支持を皆様に訴え続けたいと思います。国民の目線から政治を考え日本の明日を確かなものにするのは公明党以外にない。そんな私の確信はいよいよ深まるばかりです。

2003年10月8日


 IPU(列国議会同盟)は1889年6月に発足。主権国家の議会代表が参加する国際組織で、様々な政治制度を持つ国家の立法機関による対話や議会外交が行われています。


 その第109回会議が2003年9月30日(火)から10月3日(金)までスイスのジュネーブにあるジュネーブ国際会議場(CICG)で開催されました。

 日本国会代表団は、団長を瓦力衆議院議員、副団長を有馬朗人参議院議員とし、衆議院から伊藤英成議員と私、参議院から勝木健司議員の計5人で構成されました。

 私にとっては衆議院議員として最後の国際会議への出張であり、国会開会中でしたが、日本の議会代表としてしっかりした議論を展開したいと決意して参加しました。

 わが国にとって大きな課題であったIPU執行委員選挙ではアジア・太平洋地域グループから3人を選出する選挙で瓦力団長が第一位で当選。第二位の中国、第三位のタイとともに執行委員を務めることになりました。

 会議では3年以上にわたって分担金を滞納している米国など7カ国に対して加盟資格停止が決定されたり、来年春の開催地と決定していたロンドンが、タイに変更されるなど途上国の強い意思が反映した局面が随所に見られました。今後の国際会議運営の難しさを痛感せざるを得ませんでした。

 今回の会議の主要な議題は①安全保障を確立し、平和のための国際協力を行う多国間機関を支援するための議会の役割②地球公共財・議会にとっての新たな課題③良き統治、議会制民主主義の発展及びグローバル化に対する新情報通信技術の貢献、の三つです。

 私は良き統治、議会制民主主義の発展及びグローバル化に対する新情報通信技術の貢献について意見を表明しました。

 とくに情報社会育成のための国家戦略の実施における先進国と途上国の相互協力の重要性、途上国において電力、通信、教育その他の基礎的インフラ整備を進める自助努力の必要性、また報道の自由や国民一人一人の情報アクセスの自由を訴えました。この私の意見は決議案に盛り込まれ、本会議で採決されました。

 今回の会議では、韓国、サウジアラビア、ドイツ、ロシア、アセアン諸国、ナイジェリア、南アフリカ、パナマなど数多くの国の代表とも積極的に意見交換する機会があり、日本の動向が世界の国々の注目を集めていることを実感しました。

2003年9月28日


 第157回臨時国会が始まりました。この国会では衆議院の解散・総選挙が予想されています。したがって今期で引退する私にとっては最後の国会になります。そこで国会開会日の公明党両院議員総会で市川雄一さん、青山二三さんとともに引退の挨拶をさせていただきました。

 私は初出馬以来23年、初当選以来20年の長きに渡ってご支援いただいた皆様に心から御礼申し上げるとともに同僚としてご協力いただいた国会議員の皆様にも心から感謝申し上げました。

 また私の決断によって党の世代交代に貢献できるのは大きな喜びであり、そのためにもこの総選挙では大勝利してバトンタッチしたいと話しました。さらに引退したあとも一生涯、公明党の熱烈な支援者であり続けたいとも語りました。

 その上で最近の日本の政治に少なからぬ不安を抱いていることも述べました。それは自民党の総裁選挙、第2次改造内閣の発足、民主党と自由党の合併などを通して感じることなのですがどうもこの国では政治の目的と手段が転倒しているのではないか?という懸念です。

 総裁選挙は「改革なくして成長なし」か「成長なくして改革なし」かの戦いだったという人がいますが、私は「改革のあとに何があるのか」をしっかり論じ合ってもらいたかったと思います。国民の皆さんは今、改革の痛みに耐えています。この痛みに耐えぬけばどんな未来が開けるのか。政治は責任を持ってメッセージを送るべきなのに何もしませんでした。

 国民一人一人にとってどんな未来を期待してよいのか。今の政治に問われているのは未来に対する構想力です。国のかたちを示すことです。公明党が「年金100年安心プラン」を提言していますが各党ともに国としてのトータルプランを競い合うべきなのです。

 選挙に勝って政権をとることは政治の目的ではありません。国民の幸せを実現することこそが政治の目的であり、政権をとることはその目的を達成するための手段に過ぎないのです。新しい民主党を作った唯一の目的は政権をとることなどという報道が堂々となされていますが私は違和感を持っています。国民のためにどんな国を作るのか安全保障をはじめ全ての分野で整合性のある政策を発表するのは当然のことでしょう。

 ・二十年昨日の如し虫時雨(和良)この国の政治に対する甲論乙駁は20年前と少しも変わりません。この国の政治は前進しているのか、停滞しているのか本当に心配です。必ずよくするのだという強い一念で国民のための改革に取り組みたいと思います。

2003年9月16日


 阪神タイガースが昨15日、1985年以来、18年ぶり4度目(1リーグ時代を含めると8度目)のリーグ優勝を決めました。地元甲子園で優勝が決定したのは1964年以来、39年ぶりのことでした。


 私もこの日はテレビにかじりついていました。甲子園球場を埋め尽くしたファンの前で行われた星野仙一監督の優勝インタビューにはとくに心を揺さぶられました。

 「選手がファンの夢をかなえてくれました」「やっぱりこの縦じまで、この甲子園で、みんなの前で胴上げされたかった」「終わってみればぶっちぎりなんですが、モタモタしまして、でも私の計算どおり、甲子園のファンの前で約束が果たせました」

 「6月ごろから長かったなぁ~、僕は、これをひっくり返されたら、このファンがどういう態度に出るかな、と思うと怖かったですね。まぁ、でも選手を信頼していたから、7月の危機を乗り越え、8月にちょっとつまずきましたけど、選手を信じました。本当に選手はよくやってくれました」

 「選手も私の罵声(ばせい)を浴びながら、これまでよく耐えて、相手にも耐えて、ファンの声援にも耐えて、ファンのヤジにも耐えて、ここまでやってくれました」

 「(ファンの皆さんに)皆さん、良かったね。選手も本当に18年間という苦しい時代を乗り越えて、皆さんの前で夢に日付を書けることがとうとうできました。寒い日から、この甲子園でも、必死になって、ファンのために、そして18年ぶりの夢をかなえてくれた選手にもう一度拍手をしてやってください」

 「いろいろな意味でシーズンはまだ終わっておりません。10月中旬から始まる日本シリーズ。またこうして皆さんの声援をバックに、選手は日本一を目指して戦い抜きます。ありがとう。本当にありがとう。ありがとう!」

 いいインタビューでした。1985年のリーグ優勝後17年間でAクラスはわずか2度。ここ10年間に限れば4年連続最下位を含めすべてBクラスと低迷した「ダメ虎」を見事に再生した星野仙一監督でした。

 「男仙一夢をありがとう」甲子園球場の横断幕が阪神ファンの気持ちを語っていました。監督は選手のおかげといい、選手はファンあればこそといい、ファンは夢をかなえてくれたのは監督だという。この美しい人間関係こそ阪神タイガースの強さなのだと私は思いました。

2003年9月7日


 私は超党派日露友好議連代表団の一員として、ロシア連邦を訪問。サンクトペテルブルグとモスクワで政治会談を行ってきました。


 会談した相手は、サンクトペテルブルグでは、プロパレンコ市副知事。モスクワでは、コサチョフ国家院議員、アファナシェフ第1アジア局長(外務省)、ザドルノフ国家院議員(対日グループ代表)、ヴォロビヨフ国家院議員、ボナス国家院副議長、シャローノフ第1次官(経済発展貿易省)などの方々です。

 会議の内容は多岐に渡りますが、主に領土問題、経済と投資の拡大、文化交流などでした。一方、北朝鮮問題、イラク問題をはじめ、ロシアが直面している京都議定書の批准やWTO加盟など当面する課題についても活発な意見の交換ができました。

 私は2001年12月、2002年6月に続いて3回目の訪露でしたが、今回は双方ともに下院の総選挙が行われる直前という大変に難しい時期になってしまいました。

 関係者の皆様はその点で大変に苦労されたようですが、そんな中にもかかわらず一つ一つの会談が実現したのは、両国ともに日露関係の重要性に対する認識が一致していたからだと私は思います。

 サンクトペテルブルグは建市300年でにぎわっていました。日本からの観光客も急増しており、貿易の拡大や日本企業の進出にも期待がもてるとのことでした。

 モスクワの国家院や外務省、経済発展貿易省での会談で特に印象に残ったことは、若い世代の率直な話しぶりでした。例えば、日露関係の経済交流が旧ソ連時代の水準にも達しないのは、という私達の質問に対して、責任は全てロシア側にあると回答するのです。

 固定観念やイデオロギーにとらわれないこうしたプラグマチズムが若い世代の考え方なのかも知れません。市場経済のルールを大切にし、WTOの加盟や京都議定書の批准を推進する。こうした動きが若い世代を中心に高まっていることにこの国のエネルギーを感じました。

 日本の投資が不良債権化したという私の指摘に対しても、二度とデフォルトを起こさない。そして二度と日本の経済投資に迷惑をかけない。そのために財政を再建し、外貨準備高を急増させたと語る若い世代の顔は自信にあふれていました。

2003年8月30日


 産業再生機構がようやく支援第一陣となる企業3社を決めました。この機構は、優れた商品や技術を持ちながら多額の借金に苦しんでいる企業を再生させるために、国や銀行が出資して今年4月設立。5月に業務を開始していたものです。


 私は設立当初から最初の取り組みに全てがかかっていると、衆議院の内閣委員会でも谷垣禎一担当大臣に申し上げてきました。それだけに今後の推移を注目したいと思います。

 機構設立の目的は、救済困難な企業を“延命”させることではなく、企業のなかで将来性や採算性を見込める部分を大胆に切り取って再生させることにあるといってよいでしょう。

 機構の取り組みが成功すれば、企業は借金の重圧から解放され、金融機関は不良債権を減らすことができます。

 そうすれば元気な企業が増え、銀行も身軽になって融資が増えれば景気も良くなることでしょう。こうした産業界全体の構造改革も視野に入れているのです。

 機構は、支援する企業の価値を洗い直します。そして銀行が持つこの企業への債権を「時価」で買い取るのです。再生にめどがつくと機構は債権を第3者に売却します。そのときの価格が買い取り価格を下回れば機構は損を出し、最終的には国民の負担となります。

 したがって国民の負担を回避するためには再生によって企業の価値が上がり、企業が収益性を高められるようにしなければなりません。

 繰り返しますが機構の目的は企業の“延命”ではなく“再生”にあります。それは最終的な国民の負担を回避するためにも断じて達成しなければならない目的なのです。

 支援第1陣の取り組みがこの目的を成就すれば国民も理解し、企業や銀行の期待もふくらむことでしょう。第2陣、第3陣と続き、日本の産業界全体の構造改革につながれば本当にうれしいことです

2003年8月18日


 私は日本・ルーマニア友好議員連盟の一員として9年ぶりにルーマニアを訪問してきました。8月4日には、チョントゥ・ルーマニア日本友好議員連盟会長、ドルネアーヌ下院議長、チアンバ外務次官と会見しました。

 8月5日には、ヴァカロイウ上院議長、ディジュマレスク通商担当大臣(前駐日大使)と意見を交換したあと、イリエスク大統領とお会いすることができました。イリエスク大統領とは9年前の初訪問の折、大統領官邸でお会いしました。初代大統領として激務のなか、しかも健康診断のための検査入院中の病院から駆けつけて下さったことが印象に残っています。

 昨年は日本ルーマニア友好100周年を記念して来日され、私も在日ルーマニア大使館で再会しました。このとき大統領から直接「次はいつルーマニアに来ますか」と声をかけていただき思わず「できるだけ早く実現できれば」とお答えしたものでした。

 今回は夏季休暇中のため、当初は大統領との会見は難しいかも知れないとのことでした。しかし大統領自身の判断で会見が実現しました。

 会見の会場となったのはブカレスト市郊外の大統領の別荘でした。会場に着くと大統領自身が出迎えて下さいました。私が「大統領との約束を実現できてうれしいです」と言うと「よくいらっしゃいました」と暖かい笑顔で歓迎してくれました。

 会談では、ルーマニアの経済発展と教育文化の振興などがテーマになりました。チャウシェスク独裁政権崩壊後14年、ルーマニアは4度目の自由選挙を経て民主化が定着。国内的には市場主義経済への移行、対外的にはEU及びNATOへの加盟が重要問題となっています。

 9年前に比べて町並みも人々もすっかり明るくなった印象を伝えると大統領はいつもの笑顔を見せながらも「まだまだ課題は多いのです」と非効率な国営企業の民営化が遅延していることや、新産業を担う人材の育成が課題であることなどを率直に語りました。

 現在、日本ルーマニアの両国関係は良好です。ルーマニアに滞在する日本人関係者との懇談でも大きな懸案は提示されませんでした。けれどもヨーロッパ全体から見れば日本から一番近いにもかかわらず相変わらず遠い国であることは変わりありません。私自身、ルーマニア滞在中一人の日本人観光客にも会いませんでした。

 今年は両国交流の新しい100周年への最初の年です。ルーマニアは中・東欧で唯一のラテン系民族国家で、人々は陽気で明るく、カルパチア山脈の南に位置するブカレストはかつて「バルカンのパリ」と呼ばれたこともあります。私はこの国の発展とこの町の人々の幸せを祈りながら日本に帰ってきました。

2003年7月28日


 第156回通常国会は190日間の会期を終え、今日閉幕しました。この国会では、有事関連三法やイラク復興支援特別措置法、個人情報保護関連五法など政府提出の126法案のうち122本が成立しました。


 このほか議員立法では、ヤミ金融への規制を強化する改正貸金業規制法・出資法や性同一性障害者性別特例法など16本も成立しています。

 法案の成立数は戦後3番目の多さと聞きます。野党は終盤国会で法案の成立を阻止するため派手なパフォーマンスを繰り広げましたが、実を結びませんでした。最初から阻止できないと知りながら行うパフォーマンスほど虚しいものはありません。

 衆議院本会議場では内閣不信任決議案が審議されました。野党提案者の提案理由説明や、野党各党の賛成討論を聞いていて私はこの国の政治があまりにも低俗化してしまったことに深い失望を感じざるを得ませんでした。

 内閣不信任決議案は与野党が真正面から激突し、国会が一歩も進まなくなったときに出されるものです。私も何回か経験してきましたが、国会中がピーンと張り詰めた空気の中で出されるものでした。

 ところが今回は、まるで会期末のセレモニーのように提案され、その中味も政策論争というより言葉尻をとらえた揚げ足取りの寄せ集めといった誠に空粗なものでした。こんなことをしていると国民の政治不信はいよいよ深まるばかりだと私は思いました。

 総選挙が近いと言われています。総選挙は政権を選ぶ選挙です。他党や対立候補の揚げ足取りではなく、正々堂々たる政策論争をぜひとも展開したいものです。

 この国のかたちをどう考え、どうしようとしているのか。任期中に何をどこまで実現するのか。政党そして候補者は国民にはっきり約束するべきでしょう。そうすれば国民はその政策やマニフェストを比較するとともに政策実行能力まで勘案して見事な選択をしてくれるに違いありません。

2003年7月9日


 18年ぶりの優勝へひた走る阪神に、昨8日マジック「49」が灯りました。まだオールスター戦の前、梅雨も明けていない時期での点灯はとても珍しいことです。


 2年前まで4年連続最下位だったチームにセ・リーグ史上最も早い「カウントダウン」が始まったのですから、阪神ファンの喜びはもう爆発寸前といってよいでしょう。

 優勝の瞬間をライブで見たい!と8月末から9月初めの入場券の争奮戦も一層の激しさを増しているようです。すでに10倍の値がついているものもあり、人気は高騰するばかりと聞きます。

 7月6日に大阪市で徳島県人会近畿連合会総会があり、私も出席しました。ここでびっくりしたのは、祝賀会のフィナーレを飾る阿波踊りがなんと「六甲おろし」で始まったことです。

 阿波踊りを「六甲おろし」のリズムで踊る。あまり考えたことのない組み合わせでしたが、それが見事に合っているのですね。まあ一言で言えば、みんなの喜びが爆発しているというのでしょうか。関西人の熱い思いがガーンと伝わってきました。

 7月8日の東京株式市場で日経平均株価が1万円台を回復しました。昨年の夏以来、約10ヶ月半ぶりです。今年4月28日にバブル後最安値の7603円76銭まで転落していた株価がようやく大台に戻ったことは嬉しい限りです。

 株価は景気の先行指標といわれています。まだまだ早合点はできませんが、長いデフレ不況を克服し、もう一度元気な日本を創り出すきっかけとしたいものです。

 連続最下位のチームに優勝へのカウントダウンが始まりました。長期不況の底で喘いでいた日本経済にも再生へのカウントダウンが始まったと私は受け止めています。

 「今季は、選手が伸び伸びとプレーしている。チームのムードの明るさが、強さの最大の要因だ」と50年間阪神を見続けてきたファンが語っていました。

 私は、官から民へ、国から地方へ、の改革を更に進め、それぞれが持てる力を存分に発揮できる社会を創造したい。今こそ構造改革、規制改革に邁進すべきだと訴えておきたい。

2003年6月24日


 私、今期で政界を引退し、次期総選挙には出馬しないことにいたしました。昨23日、地元徳島県庁で記者発表させていただきました。


 37歳で初出馬して以来23年、40歳で初当選して以来20年。誠に長い間、たくさんの皆様から常に暖かい御支援をいただいて参りました。

 なかんずく公明党の党員、支持者の皆様、創価学会の会員の皆様、母校の徳島市立加茂名小学校・中学校、徳島県立工業高校、国立静岡大学の同窓生の皆様、そして後援会の皆様をはじめ、各界各階層の皆様から深い御理解と力強い御支援をいただいてまいりましたことに心から感謝申し上げます。

 私は常々、政治家は選挙に出るときはみんなに決めてもらうが、辞める時は自分で決めるべきだと考えてきました。今もその考えは益々強まっています。

 今年5月、私は還暦を迎えました。世間では定年の年です。私と同期に入社した人達からも引退したとの知らせをたくさん頂きました。

 公明党には任期中に66歳を超えないという定年制があります。そこから言えば少々早いのですが、私自身、もともと政治家の定年は自分で決めるべきと考えてきましたので、世間の皆様とともに還暦をもって定年と区切りをつけさせていただきました。

 後援会の皆様からは、様々な御意見をいただいたのですが、最終的には本人が決めたことだからと快く同意して頂きました。

 引退後はどうするのですか。とよく聞かれますが、それは早過ぎる質問です。いつ解散になるかわかりませんが、任期中は全力で仕事をしたいと考えています。

 また次期総選挙は、四国の党選対本部長として頑張り、見事な世代交代を果たしたいと決意しています。

 “終わり良ければ全て良し”という言葉があります。どんな有終の美を飾ることができるか、一人の人間としてこれからも挑戦し続けたいと考えています。引き続いての皆様の御理解と御支援を心からお願い申し上げます。

2003年6月19日


 政府の経済財政諮問会議は18日の会合で、国と地方を通じた税・財政の「三位一体の改革」を小泉首相の判断で決定しました。主な内容は次の通りです。


 まず第一に、国庫補助負担金については「改革と展望」の期間である2006年度までに広範な検討をさらに進め、概ね4兆円程度を目途に廃止、縮減等の改革を行う。その際、公共事業関係の国庫補助負担金等についても改革する。

 第二に「改革と展望」の期間中に、廃止する国庫補助負担金の対象事業の中で引き続き地方が主体となって実施する必要のあるものについては、税源移譲する。その際、税源移譲は基幹説の充実を基本に行う。

 税源移譲に当たっては、個別事業の見直し・精査を行い、補助金の性格等を勘案しつつ8割程度を目安として移譲し、義務的な事業については徹底的な効率化を図った上でその所要の全額を移譲する。

 第三に地方交付税の改革については「改革と展望」の期間中に、交付税の財源保障機能全般を見直して縮小し、交付税総額を抑制する。

 こうした取組み等により、交付税への依存体質から脱却を目指す。また、不交付団体の人口の割合を大幅に高めていく。

 以上ですが、今後はこの原案をもとに与党と調整した上で6月下旬にも閣議決定される見通しです。私自身は「三位一体」の改革を行う第一歩としては、まあこのあたりかな、と理解しています。

 一部に具体策がなく、実質的に結論を先送りしたものではないか。という批判があることも承知しています。そうした批判を覆すためにも、来年度の予算編成が誠に重要であると私は思います。

2003年6月10日


 今年7月1日から本州四国連絡道路の料金が値下げされることになりました。新特別料金は現行特別料金よりさらに1割引き(基本料金より28%引き)となります。

 たとえば普通車の場合、神戸淡路鳴門自動車道では神戸西ー鳴門間5450円(現行6050円)、明石海峡大橋(垂水ー淡路)2300円(現行2600円)、大鳴門橋(淡路島南ー鳴門北)1150円(現行1300円)。

 瀬戸中央自動車道では早島ー坂出間4100円(現行4600円)、瀬戸大橋(児島ー坂出北)3500円(現行3900円)。

 西瀬戸自動車道では西瀬戸尾道ー今冶間4700円(現行5250円)、来島海峡大橋(大島南ー今冶北)1700円(現行1900円)などです。

 このほか、各種の割引制度も新特別料金と同様に7月1日から適用されます。たとえばETC特別割引では、ETC車使用の場合、1回の通行について新特別料金から5・5%割引(基本料金より32%引き)されます。

 またETC前払割引や別納割引を利用するとさらに格安料金となります。本四公団では、その債務処理に当たって関係自治体からの出資延長をお願いしてきました。今回の料金値下げはその見返りともいえるでしょう。

 関係自治体からの強い要望にこたえたものとして私も値下げを歓迎したいと思います。今になって四国に三つの架橋は無駄な投資だったなどという無責任な声を聞くことがありますが、そんな後向きの議論からは何の果実も生まれません。

 現にあるこの社会資本をどう未来に生かしていくか。どう活用していくか。という前向きの建設的な議論を今日の料金値下げをきっかけに起こしていきたいものです。

2003年5月29日


 衆議院憲法調査会に4小委員会があります。私は最近2つの小委員会に出席して参考人から意見を聞きました。

 まず国際機関と憲法をテーマにした安全保障及び国際協力等に関する調査小委員会では

①米国は、米国のみが力を持ち、世界の平和を守り、世界を導くという考え方の下、世界の国に「米国かそれ以外か」という選択を迫っている。実質的に米国が平和を保障する唯一の存在となった場合、米国と国連の関係についてどう考えるか。

②9.11の米国に対するテロにはどのようなメッセージが含まれていたと考えるか。武力によってテロリズムをなくすことはできない。具体的にどのような対応をすればテロリズムをなくすことができると思うか。

③テロリズムを生む土壌は何か。の3点についてお聞きしました。

 次に明治憲法と日本国憲法をテーマにした最高法規としての憲法のあり方に関する調査小委員会では

①明治憲法の骨格や思想の源泉は、坂本龍馬の「船中八策」にあるとは考えられないか。

②明治憲法はまず憲法が公布された後に議会が開設されているという経緯をたどっている。通常は制憲議会などで議論が行われてから憲法が制定されるという順番だと思うが順番が逆転している。どう思うか。

③明治憲法下において軍部が独走したことについては、憲法自体に問題があったのか憲法を運用した政治に問題があったのか。の3点について意見を伺いました。

 憲法調査会についてマスコミはほとんど取り上げませんが、大変に重要な議論を重ねていると私は自負しています。従来憲法といえば、まず護憲派と改憲派に色分けしてから論じられることが多かったように思います。憲法は不磨の大典として床の間に飾っておくのではなくこの国のかたちを示す国の最高法規として常に議論していくことは大切なことであると思います。それは立法府の使命であるといえるかも知れません。

 憲法調査会では地方公聴会も行っています。5月の金沢市に続いて6月には高松市で開催される予定であり、私も金沢市に引き続いて出席したいと思っています。現在、意見陳述者を公募していますが、どんな意見を聞かせていただけるか楽しみにしております。

2003年5月19日


 徳島県の出直し知事選挙は18日投開票され、飯泉嘉門氏(42)=無所属・新/自民、公明(徳島県本部)、保守新推薦=が大接戦の末、初当選しました。飯泉氏は全国最年少の知事となります。

 新知事に期待したいことは何といっても混迷と停滞の県政を正常化してほしいことです。徳島県ではわずか1年8ヶ月の間に3回も知事選挙を行うという全国でも稀に見る混乱を繰り返してきました。

 今回の選挙を通して県民は混乱の継続を望まず、安定を望んだことは間違いありません。新知事は自らに託されたそんな県民の思いをしっかり受けとめてもらいたいと心から思います。

 飯泉新知事の選挙公約は①都道府県の情報公開度ランキングで2年以内にべスト10入り②「汚職調査団」の答申尊重③産学官連携でベンチャー企業を育成し、4年間で起業数を3倍増に④温室効果ガス総排出量を2010年段階で1990年対比10%削減、などまことに具体的です。

 ⑤1、2年以内に厳密な地域防災計画を策定。知事直轄組織の構築など南海地震対策を拡充⑥延長保育、事業所内保育や病児保育の導入を推進⑦審議会や管理職で女性の比率が4割以上となるよう人材登用を配慮⑧IT講習の受講者を今後3年間で10万人に⑨四国初のJリーグチームの実現、なども見られます。

 「いずれも重い公約ですが、できるものからどんどん実現していく」と新知事は語りました。その肉声を私も確かに聞きました。公約は政治家の生命です。大事にしてもらいたいと思います。

 前知事は掲げた公約をほとんど果たせないまま失職せざるを得ませんでした。あいつぐ公約後退にいや気がさした支持者もいたようです。それが今回の厳しい選挙戦で競り負けた要因の一つとなったのでしょう。

 「徳島の有権者の政治感覚は鋭い」とよく言われますが、真実その通りだと私も思います。1年8ヶ月に及ぶ県政の混迷は県民にとってまことに迷惑な事でした。けれどもそこから徳島県民は新しい光を見つけ出したのです。

 長い混乱と混迷は全国で一番若い知事を産み出すための陣痛だったのかも知れません。

2003年5月15日


 有事法制関連三法案が本日、衆議院本会議で修正議決され、今国会で成立する見通しとなりました。

 国の安全保障に関る基本的な法律は、本来与野党の立場を超えて議論し結論を出すべきであり、今回野党の賛成も得て成立することは大変よかったと思います。

 修正案では、基本的人権の最大限の尊重を明記したほか①有事の際、政府が決定する対処措置を国会の議決で終了させる②武力攻撃事態法案の一部条文の施行を国民保護法制が整備するまで凍結するーなどを盛り込んでいます。

 修正案の中味もさることながら「戦後50年、有事というものを議論することさえタブー視されてきた。その問題で与党と野党第一党が合意したのは画期的なこと」という小泉首相の言葉には実感が込もっていました。

 一昨年の9・11同時多発テロ以来、世界は変わったと私も思います。日本では特に北朝鮮の動向がまことに気がかりです。そうした背景もあり、安全保障の問題が憲法論争から現実的で建設的な政策論争へと変わったのかも知れません。

 「備えあれば憂いなし」はこの法案の審議に入る時の小泉首相の発言でした。危機が起こった時のことを考えていない政治は政治でないとも言われています。

 しかしもっと重大な政治の役割はいうまでもなく、危機を起こさないことです。備えに頼るのではなく、有事としないための平時の真剣勝負の取り組みこそ政治家の仕事でなければならないと私は思います。

 平和とは何か。従来「戦争の不在」が平和ととらえられてきましたが、それでは十分でありません。それは消極的な平和といえるでしょう。

 ヨハン=ガルトゥングは平和を「暴力の不在」と定義しました。そして「暴力とはある人の潜在的な将来実現可能性の剥奪」といったのです。私はそんな積極的な平和を創造していきたいと決意しています。

2003年5月4日


 2日、ブッシュ米大統領がイラクの戦闘終結を宣言しました。3月20日の戦闘開始から約6週間、比較的短時日のうちにいわゆるイラク戦争が終結したことを心から歓迎したいと思います。

 戦闘終結後の焦点はイラクの本格的な復興であり、これが成功してこそ本当の終結と言えるでしょう。与党3党の幹事長がイラクを含む中東に飛び、その方途を探っています。現情では米国の復興人道支援局の支援体制が先行していますが、早い段階で国際協調を実現したい。

 小泉総理も訪欧して各国首脳と意見交換していますが今こそ国連がイニシアチブを取るべきであり、リーダーシップを発揮して国連自身の信頼を回復できるよう米英にも強く要請していくべきでしょう。

 暫定統治を経た本格的なイラクの民主化への移行に当たってはイラク人自身の意向を尊重しながら進めることを忘れてはなりません。それを国連がサポートする形がいいと思います。

 日本は水、食糧、医薬品などの緊急支援はもちろん、憲法の枠内でできるかぎりのことを独自の判断でやっていきたいものです。また、復興支援はイラクだけでなく周辺地域にも役立つようにすべきです。

 大量破壊兵器の完全破棄は、国連安保理が過去12年間に17本の決議を重ねてイラクに課してきた責務ですがその行方はいまだに解明されていません。

 今回のイラクへの武力行使の本来の目的が、大量破壊兵器の完全廃棄にあったことからも徹底的に捜索し完全廃棄を完遂することが米英の務めでもあるでしょう。

 国際社会が抱える難問としてイスラエルとパレスチナの衝突があります。イラク問題もこれと深くかかわっています。この問題は中東地域のみならず世界の平和と安定に直結する極めて大きな課題であることを忘れてはなりません。この機会に中東和平のためあらゆるチャンネルを生かした外交努力を日本政府に期待しておきたい。

2003年4月30日


 第15回統一地方選挙で公明党は前半戦(道府県・政令市議選)に続き、後半戦(一般市議選、東京特別区議選、町村議選)でも全員当選しました。

 統一選完勝は結党以来初の金字塔です。党員・支持者の皆様の温かく熱いご支援に心から感謝申し上げます。

 四国でも県議会議員選挙に9人、市議会議員選挙に45人、町村議会議員選挙に24人の計78人が全員当選しました。

 愛媛県新居浜市では定数4減にもかかわらず過去最高得票で3から4へ議席を回復しました。香川県高松市でも接戦を制して議席を5から6へ増加させています。高知県高知市では定数40に対して8議席をいずれも上位で獲得することができました。

 今回の統一地方選完勝で公明党の議員総数は4年前より223人増え合計3488人(衆院31.参院23.都議会22.道府県議会184.政令市議会157.東京特別区議会197.一般市議会1827.町村議会1047=28日現在)になりました。

 女性議員も増えました。道府県議17人.政令市議24人.一般市議305人.東京特別区議42人.町村議149人の計537人が当選し、総数で881人と過去最高になりました。

 この結果、公明党の議員は4人に一人が女性であるという画期的な時代に入りました。女性の世紀をリードする快挙といえるでしょう。

 全ての議員は一人の住民のために手をつなぐ。これは公明党ならではの伝統です。これからも生活に根差したアンテナを地域にはりめぐらせて生活与党・公明党の存在感をますます高めていきたいものです。

2003年4月25日


 構造改革特区の第一次分として全国で57の特区が誕生しました。地域のことは地域にまかせる。そんな考えのもとに各地域で知恵をしぼったアイデアがいよいよ具体化します。

 四国では徳島県海部町がふるさと教員制度特区に指定されました。海部町では従来より「ふるさと教員制度」として、地域社会と密接に結ばれた助教員を学校現場に配置し、特色のある教育を行ってきました。

 今回の特区指定により、現行制度では実施できない学級担任や教科担任もできることになり、喜ばれています。

 香川県では高松市と三木町の区域の一部が糖質バイオクラスター特区に指定されました。香川インテリジェントパーク、香川大学及び香川医科大学がある当地域では、糖質バイオ系分野で世界水準の研究開発が進められています。

 今回の特区指定は産学官の連携をより推進し、新規産業の創出・育成を図るものと期待されています。

 小豆島の内海町もオリーブ振興特区として指定されました。これは企業自らが町内の遊休農地でオリーブを栽培し、栽培から加工まで一体的に行う新しいビジネスを起こせるようにしたものです。

 5月には57に加え、新しい特区が追加認定される予定です。6月には3回目のアイデア募集を行い、10月には「どぶろく特区」などの申請受付が行われます。

 地方と地方の競争はいよいよアイデアを競争する時代になったようです。四国の各地でもそんな競争をしたいものです。そうすればこの国はきっと変るはずだと私は思います。

2003年4月14日


 統一地方選前半戦の道府県議選・政令市議選、知事選・政令市長選が終わりました。公明党は44道府県議選と12政令市議選に324人の候補を立てましたが全員が当選しました。

 四国の県議選でも松山市選挙区(定数14)で1位、2位。高知市選挙区(定数15)で1位、2位、4位。高松市・直島町選挙区(定数14)で5位、6位。徳島市・佐那河内村選挙区(定数13)で6位、7位という好成績でした。

 し烈な選挙戦にもかかわらず完全勝利させていただけましたのは支持者の皆様が岩にツメを立てるような思いで一票一票を積み上げて下さったおかげです。改めて心から感謝申し上げたいと思います。

 選挙戦はいよいよ後半戦に突入します。一般市議選、東京特別区議選は20日(日)、町村議選は22日(火)に告示され、ともに27日(日)が投票日です。

 前半戦と違い後半戦はより地域に密着したうえに短期決戦ですから、より激しい票の争奪戦となることでしょう。場合によっては一票を争う僅差で勝敗が決することになるかも知れません。

 勝ってかぶとの緒をしめよということわざがありますが、今一度心を引き締めていきましょう。後半戦も攻めの戦いで先手必勝の拡大を続けていきたいものです。

 前半戦に続いて後半戦も完全勝利が私達の目標です。この目標が達成されますと、公明党の議員総数は3,489人になります。

 しかもその4分の1強が女性です。女性の時代を先駆ける新しい公明党の誕生といえるかも知れません。

 しかし、もっと意義深いことは国会議員も地方議会議員も3,489人という全ての公明党議員が住民のために手をつなぐ。そんなネットワークが日本中の全ての地域に誕生することです。

 政治を国民の手に取り戻す。これは公明党の初心であり私の初心でもあります。その初心を貫くネットワークが今、具体的な形になって作られようとしています。まことにうれしいことです。

2003年4月1日


 徳島県議会に不信任された知事が失職し、5月中旬に知事選挙が行われることになりました。知事の失職で知事、副知事、出納長の三役が不在となったことは前代未聞の異常事態です。

 加えて2001年9月、2002年4月に続いて2003年5月とわずか1年8ヶ月の間に3回も知事選挙が行われること自体まことに異常なことと言わざるを得ません。何故こんなことになってしまったのか。いたずらな感情論に走るのではなく冷静に考えてみたいと思います。

 地方自治法17条(議員及び長の選挙)では「普通地方公共団体の議会の議員及び長は、別に法律の定めるところにより、選挙人が投票によりこれを選挙する」と定められています。つまり知事も県議会議員もともに直接選挙で選ばれるのですからともに民意を代表する存在であるわけです。

 本来民意を代表する両者は互いに尊敬しあい車の両輪として県民全体の福祉の向上に尽力すべきです。それが地方自治法の期待するところだと思います。

 ところが徳島県の場合、副知事や出納長すら決められないなど、その混迷と停滞はうんざりするばかりでこんなことがこれからも続くことを考えると県民があまりにも不幸です。議会が出直しの決意を込めて知事不信任案を可決したことは当然のことだと私は思います。

 この不信任案に対して「不信任されるような失政はない」と言っているのですから議会を解散するのが地方自治法に定められた本来のルールでしょう。まさか失職した知事が再出馬するなどということはありえないことであり、地方自治法は想定もしていません。

 何故失職した人が再出馬するのか私にはとうてい理解できないことであり、法の想定していない抜け道を選んだ枯息さを悲しむばかりです。

 議会は解散しませんでしたが、あらかじめ予定されていた統一地方選挙が行われるのですから、これを出直し選挙とすることができます。そして5月には文字通り出直しの知事選挙が行われます。

 この両選挙で徳島県が混迷と停滞から出直すことができるようひたすら祈っています。

2003年3月20日


 米英などによるイラクへの武力行使が本日開始されました。平和的解決を願い続けてきただけに武力行使という最後の手段に至ったことは誠に残念です。

 日本は軍事的行動に参加しませんが、こうなった以上、一刻も早く戦争が終結し、事態が解決されるよう祈るばかりです。

 心配される難民について公明党では小泉首相に即刻申し入れしました。首相も難民支援に全力を尽くすと即答しました。

 改めて確認しておきたいことは、そもそもこうした事態に至った責任はサダム・フセイン大統領にあり、イラク国民にはないということです。

 今、世界が直面する最大の脅威は、大量破壊兵器が拡散しテロリストの手に渡ることです、そうなれば世界中のどこにでもテロが起きることになります。

 テロが起きる可能性は日本も否定できません。大量破壊兵器拡散の危険性が最も高い国こそ独裁者、サダム・フセインが支配している「イラク」であることを考えますと、「イラク問題」はどこか遠い国の話ではないのです。日本自身の問題でもあるのです。

 イラクは1990年のクウェート侵攻以来、過去12年間17本の国連安保理決議を無視し続け、大量破壊兵器を完全廃棄する義務を怠ってきました。

 国連査察団によりますと、イラクにはスプーン一杯分で200万人を殺傷する炭疽菌を約1万リットルも保有しているなどが報告されています。実際に自国民に対してマスタードガスを使用した前歴もあります。

 「反戦・平和」を口で唱えているだけでは本当の「平和」はつくり出せません。今回の武力行使は独裁者の手にある大量破壊兵器を廃棄し、全世界の平和と安全を創造するための「やむなき決断」といえるでしょう。

 とはいえ、武力行使が一日も早く終結し、国連の枠組みを尊重した平和復興活動が力強く展開されることを祈らずにはいられません。

2003年3月18日


 フセイン・イラク大統領は48時間以内に亡命を。と、ブッシュ米国大統領が最後通告しました。事実上の開戦予告と言ってよいでしょう。

 ところでイラク問題の本質はイラクが17回にもわたる国連決議を踏みにじり、大量破壊兵器を廃棄しなかったことにあります。

 国連は昨年11月の第1441決議以降、米英等の軍事的圧力を背景にしてギリギリの努力をしてきました。けれどもイラクは未だに武装解除に応じていません。

 公明党も平和的解決めざして最後の最後まで独自の外交努力を重ねてきました。戦争回避のための行動にどこよりも真剣に取り組んできたと自負しています。

 ここにきて、米国は国連安保理の新しい決議を得られないままイラクへの最後通告を突きつけ48時間以内にフセイン大統領が国外に亡命しない限り、武力行使に踏み切ると宣言したのです。

 米国は一昨年の9.11無差別大量虐殺テロ以来、変わったとよく言われます。何事にもおおらかで開明的だった昔の姿は今はありません。いつ外国からテロ集団が襲ってくるかも知れないと真剣に考える普通の国になったように私には思われます。

 イラクの大量破壊兵器がテロ集団の手に渡ってしまったあとのことを考えるともはやこれ以上待てないと思うブッシュ米国大統領の気持ちも理解できないわけではありません。

 けれども国際社会が一致してイラク問題に対応することできなかったことは遺憾と言わざるを得ません。安保理が一致して対応できなかったことは結果として国連の機能を低下させたことは間違いないからです。

 小泉総理は今回の米国のイラクへの対応を支持すると政府見解を発表しました。これはイラクの武装解除を目指してきた米国等の努力を評価するとともに北朝鮮問題を視野に入れて日米関係を重視したいわば苦渋の選択をしたものと理解します。政府の立場としてはやむを得ないものと言えるでしょう。

 私は、戦争回避のため、残された48時間にフセイン・イラク大統領自身が平和的解決のために直ちに行動をとることを要求します。そして日本国政府に対しても政府の立場を国民に明確に説明するとともにギリギリまで外交努力するよう働きかけたい。

 また、国連においても国連の枠組みの中で平和的解決ができるようあらゆる努力を重ねていただきたいと心から期待したいのです。

2003年3月13日

 

 公明党では浜四津敏子代表代行らを本日から19日までの日程でイランなどに派遣しました。

 イランの政府高官らと会い、大量破壊兵器廃棄を求めた国連安保理決議をイラクが完全履行するよう周辺国にイラク説得への努力を要請するためです。

 浜四津代行はスイス・ジュネーブの国連難民高等弁務官事務所も訪問する予定です。

 イラクの大量破壊兵器の武装解除問題を扱う国連安保理では新決議案をめぐる討議の行方が混沌としてきました。

 仏ロは拒否権行使を示唆しています。米国は新決議案の強行採決を示唆し、できるだけ賛成票を増やそうと修正案を主張する英国との温度差が浮き彫りになってきました。中間派は妥協案を模索して右往左往しているように見えます。

 「もし戦争になればイラクでは1000万人が食料不足に直面し、200万人が国内で行き場を失う避難民となります。さらに120万人が難民となって周辺国に流出します。また500万人は水不足と衛生状態の悪化に見舞われ、100万人の子ども達が恒常的な栄養失調に陥ります」とアナン事務総長は公明党の神崎代表に伝えています。

 戦争が経済に与える影響も深刻です。12年前の湾岸戦争も原油価格の高騰、株価の下落、巨額の戦争負担と重圧が日本経済にかかりました。

 当時はそれを乗り越える体力が日本にはありました。けれども今はどうでしょう。デフレに痛めつけられ、今や湾岸戦争時の23446円の株価が8000円を割ってしまっているのが現状です。重圧を乗り越える体力はないといってもよいでしょう。

 すでに全国のガソリンスタンドで値上げが始まっています。厳しい価格競争を強いられてきたこの業界では、原油価格の高騰を今までなんとか社内の努力で耐えしのんできたものの、もはや価格に転嫁せずには生き残れないところに至ったということでしょう。

 イラク問題の平和的解決めざして最後の最後まで外交努力を重ねる公明党に心から期待したいと思います。

2003年3月6日


 公明党の神崎代表が訪米しました。ワシントンの米国務省内でアーミテージ国務副長官と会談し、イラク問題について米国が最後まで平和的解決に努力するよう求めました。

  ニューヨークの国連本部ではアナン事務総長と会談し、「国連を中心に国際社会が連携して平和的に解決するため最大限の努力を図って欲しい」とする要請書を手渡し、事務総長自身がイラクを訪問し直接フセイン大統領を説得するよう求めました。

  アーミテージ国務副長官は「連立政権の中で重要な役割を果たしている公明党の神崎代表が意見交換のために国務省を訪問されたことを歓迎する」と述べました。

  また「イラクのサダム・フセイン大統領はこれまで国連決議の義務を果たさず、米国を含む国際社会を騙してきたが、米国は今も国連の中で話し合いを続けている。安保理で新決議をとるために100%の努力をすることを約束する」と言明もしました。

  アナン事務総長は「安保理の結束維持の大切さを強調し努力しているが亀裂は深い」とした上で「イラクへ行くには成果が必要だ。今、そのような条件が整っているとは言えない」と答えたようです。

  現在の安保理の状況を見るとき、事務総長の発言はよく理解できます。けれどもこのまま推移すれば国連の存在そのものが問われかねない事態になることを私は憂慮するのです。

  戦後の国際社会にあって国連こそが平和の象徴でした。けれども国連の歴史を見るとき、ある意味でそれは挫折との戦いだったといえるかもしれません。

  何度も何度もその存在が問われる事態が発生しました。けれども人々は最後の最後の局面に至ったとき世界平和のための機関はやはり国連しかないことに気付き、ここでの合意形式に務めてきたのだと私は思います。

  イラク問題そして北朝鮮問題と今、国際社会は解決しなければならない課題に直面しています。この人類の危機を救うことができるのは国連しかないと私は信じたいのです。

 明日7日には国連査察団の報告があります。世界が国連の一挙手一投足に注目しています。21世紀の初頭が戦争でなく平和で始まることを祈念せずにはいられません。

2002年2月26日


 米国は24日、英国、スペインとともに国連安全保障理事会にイラクに対する新たな決議案を提出しました。

 新たな決議案では、イラクは昨年11月採択された国連安保理決議1441で武装解除への最後の機会を与えられたにもかかわらず、その機会を逃がしてしまったとしています。事実上の武力行使容認決議であり、開戦決議といってよいでしょう。

 これに対して直ちに武力行使することに慎重な仏独はロシアとともに対案としてさらに4ヶ月の期限を与えてイラクに武装解除を図らせるとした覚書を提出しました。査察の具体的な道筋も示しています。

 国連安全保障理事会ではこの両案をめぐって緊迫した議論が展開されることになります。一瞬も目が離せない日々が続きそうです。

 新たな決議案の早期の採択を期待する米国は国連査察団が報告する来月7日の直後にも採決に持ち込もうとしています。しかも新たな決議案が採択されなくても武力行使に踏み切る構えを崩していません。

 決議案をめぐる米英と仏独ロ陣営のせめぎ合いはマスコミを通して全世界に伝えられることでしょう。けれどもそれはイラク問題の全てではありません。この問題の本質は米英と仏独ロの対立にあるのではなく、イラクと国際社会の対立にあることを改めて銘記すべきでしょう。

 その意味で国際社会を代表する国連の役割りはまことに大きいものがあり、国連そのものの権威が問われている問題といってよいと私は思います。

 私が期待したいことは、国連のアナン事務総長が直接フセイン大統領に会い、即時かつ完全な武装解除こそ国際社会の総意であることを伝え、説得してほしいことです。

 アナン事務総長は1998年にもフセイン大統領と直談判して戦争を回避した実績があります。平和的解決への唯一の道はイラク自身にあることを訴え、最後の最後まで戦争を回避する努力をお願いしたいのです。

2003年2月14日


 イラク情勢が緊迫しています。本日(日本時間では明15日)国連査察団から国連安全保障理事会に追加報告が行われますが、この報告を受けて米、英がイラク非難を一段と強めるのは必至でしょう。

 けれども早期開戦に反対して国連による査察の継続を求める仏、独、露などの方針転換を引き出すほど明快な報告となるかどうかは不透明です。

 世界は固唾を飲んで追加報告に注目しています。そしてイラク問題が今後どう展開していくのか。そして日本はどう対処すべきなのか。まことに緊迫した日々が続きそうです。

 この問題を考えるにあたり、もう一度なぜ、今、イラクを巡る緊張が高まっているのか。その本質を考えてみたいと思います。

 イラクには大量破壊兵器とその運搬手段である弾道ミサイルを開発、保有している強い疑いが存在します。また化学兵器を使用した実例もあるとされています。

 これらの兵器は無差別でかつ高度な殺傷能力を持っています。こうした兵器をイラクが保有・使用することは国際の平和と安全に対する大きな脅威であり、これらの兵器が国際テロリストの手に渡れば、同時多発テロのような大規模無差別テロが再発する恐れがあります。

 イラクによる国連査察の無条件受け入れ、大量破壊兵器の廃棄は湾岸戦争の際の国連安保理決議によってイラクに義務づけられたものであり、イラク自身も同意したことなのです。けれども今日に至るまで完全に実行されるには至っておりません。

 今、イラク自身が行う事は査察を無条件に受け入れるとともに進んで大量破壊兵器を破棄することです。その事実によって国際社会からの理解を得るしか平和解決への道はないのではないでしょうか。

 一方、米国には平和的解決に最後の最後まで努力する忍耐強さを要望したい。とともに万策尽きて武力行使に踏み切る場合にあっても国際社会全体の一致した合意が前提であり、新たな安保理決議が不可欠であることを私は強く主張しておきたい。

2003年2月6日


 1月31日の施政方針演説で小泉総理は地域が持つ潜在力や魅力を引き出し、日本を再構築したいと述べました。2月3日の代表質問で公明党の神崎代表は日本再発見行動プランを提案しました。

 両者に共通する視点として観光の振興が考えられるのではないかと私は思います。わが国は本来「山紫水明」の自然に恵まれた観光大国ですが、その持ち味がいまだに十分発揮されていないのではないでしょうか。

 今年の年末年始に海外に旅行した日本人は約67万人。年間にすると日本人の海外旅行者数は1600万人を数えるまでになりました。けれども日本を訪れる外国人はわずかに500万人です。その収支は約3兆5000億円の赤字となっているのが実情なのです。

 政府も今年を「訪日観光元年」として個性のある観光地づくりに全力をあげたいといっています。日本の伝統文化や四季に富んだ自然景観は世界各地の観光地の魅力を凌駕するものと私も確信しています。

 内閣府と国土交通省が「観光カリスマ100選」として認定した方々のなかに私も直接お会いしてお話を聞いた方がいます。人口わずか12000人の小さな温泉町ですが、若い女性を中心に年間400万人近い観光客が訪れる大分県由布院の溝口薫平さんです。

 由布院は別府温泉の陰に隠れて、全く注目されることのなかった山間のひなびた温泉地でした。しかもダムの底に沈む計画さえありました。

 溝口さんは町の有志の方々とともに観光地の理想像を求めてヨーロッパへの旅に出ます。そこで学んだこと。それは滞在型の温泉リゾートに必要なのは歓楽街やレジャー施設でなく心なごむ自然環境であることでした。帰国した溝口さんたちは美しい山並みと豊かな水に恵まれた由布院の自然を乱開発から守ることから取り込むのです。

 私は今、由布院を訪問し、溝口さんからそんな思い出を語っていただいたことを思い出しています。その部屋に野の花がさり気なく飾られていたことを今も鮮やかに思い出します。人工のものでなく自然そのものを大切にしていきたい。そんな溝口さんの気概を感じたものでした。

 自然は人間にとって活力の源泉です。溝口さんに由布院を訪れた方々の芳名録を見せていただきましたが、世界中の人々がこの町の自然を愛されていることを痛感したものです。

2003年1月30日


 北朝鮮を脱出した日本人妻が44年ぶりに日本に帰ってきました。これまでに数十名が帰国したと言われていますが、公然と故郷に戻ったのはこの女性が初めてです。中国政府そして日本政府のとった人道的措置に心から拍手を送りたいと思います。

 この日本人妻の女性(64)は川口順子外相宛てに嘆願書を提出していました。この嘆願書によるとこの女性は1959年在日朝鮮人の夫とともに北朝鮮帰還事業の第1次帰国船で北朝鮮に渡りました。けれども69年に夫が突然、政治犯として連行され、辛い生活が始まったようです。

 この女性は小さな子供2人とともに中朝国境に近い寒村に追放されたといいます。裸電球1個、水道もなく、洗濯は川で行い、秋から冬にかけては山で木を伐採し、薪にして町で売り、生計を立てたそうです。

 60歳を越え、木を伐採する重労働に耐えられず、自分の足で歩けるうちに、そして死ぬ前に日本の土を踏み、死に目に会えなかった両親の墓参りをしたいと昨年11月下旬、中朝国境の豆満江を渡ったというのです。

 女性は「今、中国にいますが、お金がなく、いつ捕まるか分かりません。どうか一日も早く助けて下さい」と日本政府に嘆願した13日後の今年1月15日、中国公安当局に拘束され、今回の帰国に至りました。

 北朝鮮帰還事業ではこの女性が渡った1959年以降84年までに93340人の在日朝鮮人とその家族らが新潟港から北朝鮮に帰還しています。この中にはこの女性のような日本人妻1800人が含まれ、日本人の夫やその子供達を含めると日本人は6800人にもなります。

 この人達は自分の意思で帰還したのですから直ちに今日の拉致被害者と同様に考える事はできないかも知れません。けれども当時「北朝鮮は地上の楽園」などと極端なデマ宣伝を大々的に展開し、帰国熱を煽って同事業を「陰で主導」(産経新聞02年10月21日付)し、結果として93340人の人生を滅茶苦茶に狂わせてしまったのは一体どこの政党なのか。今こそはっきりさせるべきです。

 他党に対して“針小棒大”な言い掛かりをするのではなく、自らが犯した過ちに対してまず真しに謝罪と反省をするのが公党の取るべき態度ではないでしょうか。

2003年1月20日


 第156回通常国会が本日、召集されました。会期は6月18日までの150日間です。この国会では、まず2002年度の補正予算案から審議が始まり、2003年度の予算案や税制改正をめぐって熱い論戦が展開されます。

 国会論戦の前半は経済問題や外交・安全保障問題が焦点となるでしょう。我が国を取り巻く環境はまさに‘外憂内患,の非常事態にあります。デフレ脱却へ政策を総動員し、スピード感に溢れた政治決定をしていくことが何より大切です。

 公明党の神崎代表はデフレ脱却にむけて①両予算案の早期成立、雇用創出・景気浮揚効果の高い公共投資などの前倒し執行②予算関連法案、税制改正法案の早期成立③金融危機回避への速やかな金融対応措置④新産業の育成、雇用創出⑤政府・日銀の連携、緩やかな物価安定目標の積極的な検討、の5点を強調しています。これらを矢継ぎばやに実行していきたいものです。

 また朝鮮半島情勢については周辺諸国とも連携をとり、平和的な解決に向けた最大限の外交努力を訴えています。首脳による直接対話も考慮すべきでしょう。

 国会論戦の後半は、個人情報保護関連法案や有事法制関連法案、政治倫理の確立などが焦点となるでしょう。個人情報保護関連法案についてはすでに公明党案をもとにした修正案が与党内でまとめられており、2月下旬にも閣法として再提出される予定です。

 有事法制関連法案は衆議院ですでに72時間審議し、与党としてテロや不審船への対策を入れた修正案を国会に提出しています。いまだに対案を出さない民主党は安全保障問題に対して無責任と言われても仕方がないでしょう。

 政治倫理の確立については具体的な政治腐敗防止策として公共工事受注者からの政治献金の制限や公共工事などへの入札行為に国会議員や秘書が一切関与しないための法的措置が必要です。

 改革すべき課題は山積みしています、年内の解散・総選挙も予想され、野党は政府・与党との対決色を強めており、激しい攻防が予想されますが、党利党略にとらわれるのでなく、真に国民のための改革に挑戦していくことが国会議員の務めであることを忘れず、論戦に臨みたいと決意しています。

2003年1月1日


 ・去年の月のこせる空のくらさかな(万太郎)新しい年になりましたが、明るい話題が少なく、先行きの不透明感が漂っている年明けです。

 ワシントンの友人からは「こちらは、いつイラク攻撃が始まっても不思議はない。そんな緊迫した空気です」とのメールをいただきました。

 北朝鮮では昨年末、IAEAの査察官を国外退去させてしまいました。これで核開発を凍結した米朝枠組み合意は完全に崩壊したといえるでしょう。

 日本に帰国した5人の拉致被害者の方々も北朝鮮に残した家族との再会がかなわぬまま新年を迎えました。再会への展望は今も開けておりません。

 デフレ不況も深刻です。このデフレ現象は日本だけでなく、東アジアの国々に共通しているとの指摘も気になります。経済成長率が8%に達する中国でも物価が下がるというデフレ経済にあるというのは驚きです。

 政府はデフレ克服のため様々な手を打ってきましたが、いまも有効な効果をあげていません。国内問題として対処するだけでなく、国際問題として対処する視点も大切ではないでしょうか。

 不透明感にいらだちはつのるばかりですが一つだけはっきりしていることがあります。それはこの4月に全国で統一地方選挙が実施されること。そして衆議院総選挙も日時は確定していませんが、実施されるであろうということです。

 来年の参議院選挙で比例区1000万票を目指す公明党では、統一地方選挙を緒戦に全ての選挙で完勝をめざしています。

 最大の敵は自分自身の中にある。この有名な言葉を徳島県出身の書道家・井上蒼雨さんが私に書いて贈ってくれました。今、東京の私の事務所に飾らせていただいております。

 まず自らに勝つ。このことを肝に銘じて、この1年、全ての戦いに勝利していきたいと決意いたしました。先行きの見えない時代であればあるほど、足元を固め、身近なところから確実に勝利していく。そんな年頭の抱負を固めましたうえで、皆様あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。