2017年

2017年9月15日

 

 日本伝統俳句協会の全国大会が9月9日、10日の両日にわたって群馬県の伊香保温泉でありました。徳島県からは俳句結社「祖谷」から主宰の岩田公次さんをはじめ7人が出席。私も参加させていただきました。

 

 9日、朝一番の飛行機で徳島を立った私たちは新幹線の高崎駅から全国から参加した人たちとともに4台の観光バスを連ねて榛名神社、榛名湖と吟行しました。榛名湖の湖畔にはホトトギス三代句碑があり、それぞれ2句を前日投句しました。その後、会場となった伊香保温泉の「ホテル天坊」で前夜祭があり、尺八演奏なども楽しみました。

 

 10日は午前中に榛名湖の花野を吟行しました。榛名湖の麓に広がる広大な花野には松虫草や吾亦紅などが群生していました。女郎花や男郎花、烏瓜、釣舟草、花芒もあり、夕菅も咲き残っていました。榛名山からは邯鄲の高い鳴き声が聞こえてきました。

 

 花野の吟行の後、会場に戻った私たちはそれぞれ3句を当日投句しました。昼食を済ませて全国俳句大会が始まるまでの時間を利用して私は伊香保温泉を象徴する石段街を散策してきました。この石段は365段もあり、上り下りするのは大変ですがたくさんの観光客が来ていました。

 

 伊香保での全国俳句大会で優秀な成績を残した私たちは10日夜には小諸まで足を伸ばして島崎藤村ゆかりの宿として知られる「中棚荘」に宿泊しました。鈴虫の声に迎えられた私たちは心のこもった料理と素晴らしい温泉を堪能しました。

 

 翌日の11日は高浜虚子記念館、虚子の旧宅である「虚子庵」を訪問した後、虚子の散歩道を辿って虚子の句碑巡りをしました。虚子が歩いたであろう道をゆっくりと歩いていますと虚子の句の一つ一つへの実感が深まる思いがしました。

 

 11日には北国街道の海野宿や懐古園も散策しました。昔のままの風情が残る風景の中に秋の花々が咲き競っており、句材には事欠かない吟行となりました。夜は東京に宿泊してスカイツリーと東京タワーがともに展望できる38階のホテルのレストランで江戸前の鮨をいただきながら旅の疲れをいやしました。

 

 12日には根岸の「子規庵」を見学しました。故郷の松山から母と妹を呼び寄せた子規の旧居であり、当時のままに再現され保存されていました。子規は糸瓜の句3句を絶筆として生涯を終えましたが、子規が病臥しながら眺めた庭の糸瓜棚にはこの日も糸瓜が垂れ下がっていました。私も糸瓜の句を作って投句してきました。

 

 この旅行でこんな句ができました。

 

黒き富士抱く秋雲の白さかな

どこもかも岩ばかりなる宮の秋

大岩の隙間抜け来し風は秋

のしかかる岩背の本社肌寒し

たっぷりと出湯に浸かりて来し花野

松虫草より榛名山始まれる

吾亦紅松虫草と火山灰の道

群れ咲ける松虫草に淋しさも

群れ咲いてゐても淋しき吾亦紅

松虫草だらけと云ふも淋しくて

日陰りて夕菅らしき色となる

邯鄲の榛名山より聞こえ来る

三代の句碑にやさしき秋日かな

榛名湖は水底までも水澄みて

邯鄲も松虫草もたっぷりと

石段を上り抜け来し風は秋

石段に休んでをりし秋日傘

鈴虫に迎えられたる山の宿

静かなる文学の宿虫すだく

さながらに虫の宿なる山の宿

ベランダに火鉢小諸の山の宿

薪くべて下さいとある暖炉かな

小諸なる虚子の旧居の紫苑咲く

虚子の文字ゆったりとして爽やかに

紫苑咲く紫苑の句碑でありにけり

新涼の小諸に虚子の句碑巡る

笠石の句碑は木槿の散る辻に

虚子の道浅間も見えて蕎麦の花

海鼠壁続く街道女郎花

萩茂る海野宿なる街道に

格子戸になほ朝顔の咲き続く

用水の水清らかに赤のまま

桔梗咲く島崎藤村記念館

懐古園なるは城跡芙蓉咲く

子規と云ふ巨人をしのぶ糸瓜かな

雨の日の糸瓜の花の盛りかな

降る雨に糸瓜の花の立ち上がる

絶筆の糸瓜三句の糸瓜見る

子規庵の糸瓜の花の天へ咲き

糸瓜咲き満つ子規庵に来合はせて

子規庵に子規せしやうに糸瓜見る

秋夕焼真っ赤に富士を染め上げて

2017年8月11日

 

 私は家内とともに7月27日から8月7日にかけてバルト3国とポーランドを旅行してきました。どの地も初めての訪問地でしたので心に残る旅となりました。

 

 徳島から羽田、フランクフルトを経由してエストニアのタリンまでトランジットの時間を含めると24時間の旅でした。地球は狭くなったとはいえ日本から見るとバルト3国はまだまだはるかに遠い国であることを実感しました。

 

 エストニアでは世界遺産であるタリンの歴史地区を中心に観光しました。一日中徒歩での観光でしたので疲れましたが、800年の時を刻む城壁に囲まれた歴史地区の観光は見所の多いものとなりました。

 

 ラトビアではやはり世界遺産であるリガの歴史地区を観光しました。夜の歴史地区にもトラムに乗って出かけました。ビールとソーセージでリガの人たちとともに短い夏を楽しみました。リガからリトアニアのヴィリニュウスへの途中ではルンダーレ宮殿や十字架の丘にも立ち寄りました。

 

 ヴィリニュウスでは世界遺産の歴史地区を観光し、杉原千畝記念碑がある桜公園を散策した後、湖に浮かぶトラカイ城にも立ち寄りました。

 

 リトアニアでは「命のビザ」で知られる杉原千畝が勤務していた旧日本領事館を訪問するためカウナスにも足を伸ばしました。カウナスはリトアニア第2の都市ですが展望台から眺めたカウナスの街は美しく落ち着いたたたずまいをしていました。

 

 旧日本領事館には当時の日本政府の反対にもかかわらず、人道的な判断からユダヤ人のために日本への通過ビザを発給し続け、6000人の命を救った杉原千畝さんの執務室が当時のままに展示されていました。旧日本領事館は杉原記念館として改装工事が進められており、私も心ばかりの寄付をさせていただきました。

 

 ポーランドでは世界遺産であるワルシャワの歴史地区を観光しました。ショパンの像がある公園やノーベル賞に輝いたキューリー夫人の生家も訪問しました。ショパンの生家にも足を伸ばしました。

 

 ワルシャワから冷房のよく効いた国内列車に乗って14世紀から16世紀にかけてポーランド王国の首都だったクラクフに参りました。ここでも世界遺産であるクラクフ歴史地区を観光しました。

 

 翌日は負の世界遺産として知られるアウシュビッツ強制収容所とビルケナウ強制収容所を訪問。ユダヤ人に拷問を加えた部屋や殺人工場と化したガス室などが保存されており、人類は二度とこうした悲惨な歴史を繰り返してはならないと強く感じました。世界遺産であるヴィエリチカ岩塩抗も見学しました。

 

 翌々日はともに世界遺産である巡礼の地カルヴァリア・ゼブジトフスカとマウォボルスカ南部の木造教会を観光した後、クラクフ市内に帰って中世から残存する広場としてはヨーロッパ最大と言われる中央市場広場や織物会館内の美術館で展示作品を鑑賞するなど心ゆくまで最後の一日を楽しみました。

 

 この旅行でこんな句ができました。

 

乗り継ぎて白夜の街に降り立ちぬ

教会の空高々と夏燕

海よりの風の涼しきタリンかな

バルト海指呼の城跡鷗来る

真青なる空より夕立来るタリン

クルーズ船より降りてくるパナマ帽

しっかりと雨降る街の大夏木

夏が好き太陽が好き日向好き

国境といふもののなき花野かな

月見草少しまぶしき白夜かな

バス停も丸太づくりや蕎麦の花

北国の秋は駆け足ななかまど

バイソンの駆けゐしといふ花野かな

煙突の農家はやばや年木積む

「百万本の薔薇」生まれし国の夏短か

鷗飛ぶリガはバルトの港町

三国を流れ来し川涼やかに

擬宝珠のリガの運河の岸辺にも

北国の夏は百花の競ひ咲く

炎昼に弾む乙女の会話かな

旅人の我に笑顔を爽やかに

街に出て短き夏を楽しまん

夜の更けることを楽しむ白夜かな

ラトビアは視野の果てまで麦実る

宮殿のこふのとりの巣大きかり

宮殿を我が物顔の夏燕

宮殿の広場彼方此方に蟻地獄

宮殿の花壇ひろびろ夏の雲

噴水の上がりて夏の宮殿と

麦実る黄金の海でありにけり

夏草の野に十字架の十万本

炎昼に追悼の列途切れなく

リトアニアなるはひろびろ豊の秋

「人間の鎖」此処より夕立来る

街さっと洗ひ夕立の去りにけり

城跡は涼しき風の吹くばかり

城址へと登りしあとのビールかな

湖に浮かぶ古城へ船遊び

船遊乗り放題と言はれても

開け放つ命のビザの夏館

六千人救ひし部屋の涼しさよ

茂り立つ夏木の下の涼しさよ

旧庁舎今も現役緑濃し

水涸れし古城の濠の夏の草

緑陰に明るき子らの話声

国境といふも夏草茂る野辺

ポーランドなる麦秋の国を行く

ワルシャワは人多き街蒸し暑し

薔薇園の柳の下のショパン像

ショパン像ありし公園四葩咲く

爽やかやショパンの曲の大通り

擬宝珠の花咲くショパン記念館

紫陽花の花のショパンの生家かな

冷房の効きたる列車揺れもなく

ポーランドなる大平原に牛昼寝

夏の旅その地で買ひしTシャツで

中世の城の花壇の百合の花

一服し花壇の百合の花を見る

秋明菊群れ咲く城の中庭に

秋明菊見てより日本しのばるる

コスモスよクラクフはなほ秋暑し

真青なる空にコスモスよく映えて

監獄は花野の中にありにけり

炎昼をイスラエルから来し子らも

ホロコーストありしはこの地ななかまど

アンネゐし監獄の跡をみなへし

岩塩を掘りし地底の涼しさよ

教会の中庭静かカンナ咲く

ななかまど赤く民家の屋根赤く

木造の教会囲む夏木立

木造の教会の中涼しかり

中世の馬車に乗り込むサングラス

緑陰でバカンス過ごす家族かな

「シンドラーリスト」の街の酷暑かな

夏帽も日傘も嫌ひサングラス

ビール飲み交し長旅終りけり 

2017年7月6日

 

 7月2日に行われた東京都議会議員選挙では小池都知事が代表を務めた都民ファーストが55議席を獲得して圧勝。自民党は過去最低の23議席で惨敗。公明党は立候補者全員が当選して23議席となりました。

 

 想定以上に都民ファーストが議席を伸ばし、自民党が議席を減らしました。この原因の多くは自民党自身にあると私は思います。

 

 安倍総理自身も反省の弁を述べていますが、長期政権の驕りや緩みが都議選の最中にも吹き出し都民の信頼を一挙に失うことになったのではないでしょうか。都民は都議選を通じて自民党にお灸を据えようとしたのではないかと思うのです。

 

 都民ファーストの候補者自身はよくわからないけれども、小池都知事が「古い議会を変えよう」と訴える姿を評価して投票した方が多かったのではないでしょうか。そういう意味では小池さんの小池新党である都民ファーストに大きな期待の風が吹いたと言えるでしょう。

 

 都議会議員の選挙は終わりました。小池さんは知事と議会の二元代表制を明確にするため、都民ファーストの代表を辞任して知事の職務に専念することを発表し、即日実行しました。

 

 今後の小池都政は都議会が小池都知事と対等の立場で意見を述べ、より良い方向に導いていけるかどうかにかかっています。

 

 都民ファーストの多くは政治経験も都政での経験もありません。未知数です。大丈夫でしょうか。心配です。中央大学の佐々木信夫教授は「この先は経験豊富な公明党の役割が重要になる」と述べています。

 

 さらに安定した都政を作るために公明党の重みが増すと指摘して「公明党は、都議会で中軸政党の役割を期待されることになる。つまり、単なるキャスチングボード(政策の決定権)ではなく、責任政党として真ん中に座る主軸の役割だ」とも述べています。

 

 また「安定した都政を作っていくのは、公明党と都民ファースト、そして自民党だ」とも述べ「公明党が都民ファーストと自民党のいいところをうまく引き出しコーディネートできるなら、小池都政はよい仕事ができよう。知事主導の感が強いが、むしろ議会制民主主義の趣旨からすると議会サイドが小池知事をリードする必要がある」とまで期待を寄せています。

 

 議会が駆け引きの場ではなく、都民のためになるかどうかの目線で議員同士が政策を競う。そんな都議会に変ること。それが本当の意味での「古い議会から新しい議会」に変わることであると私も思います。 

2017年6月26日

 

 東京都が東京と地方を結ぶ観光ルートをインターネット上で紹介する取り組みを本格化させています。すでに徳島を含む17県とのルートを設定しているようです。

 

 2016年の訪日客は過去最高の2403万9千人ですが、東京都の集計ではこのうち1310万2千人が東京を訪れています。東京以外では大阪や京都、北海道、沖縄などに偏っているとのことです。

 

 東京都では2015年度から復興支援として東北6県と、2016年度からは被災した熊本・大分両県に加え訪日客が少ない中国・四国の9県とそれぞれ連携。ネット上で交通手段や観光スポットを紹介しています。

 

 徳島県への観光ルートでは「フェスティバル・モーメント」と名付けて体験型の観光地巡りを紹介しています。

 

 1日目は都内で浅草花やしきや小石川後楽園を訪問し、2日目に羽田空港から徳島空港へ。徳島では観光遊歩道「渦の道」や大塚国際美術館を見学し、3日目に阿波十郎兵衛屋敷と徳島市の阿波踊(8月12日から15日)を楽しむコースを推奨しています。

 

 旅のメイン行事と位置付ける阿波踊については「400年の歴史を持つ日本の代表的な踊り」と紹介したうえで「他の場所とは違った体験をして、あなたの人生の夏の思い出を作ります」などと阿波路の旅の魅力をアピールしています。

 

 海外からの訪日客を東京から地方へという取り組みには私も賛成です。日本の良さは東京よりも地方にあると言っても過言ではないとさえ私は思うからです。東京は確かに便利な都会ですが、より深く日本を理解していただくには地方に来てもらうのが一番だと強く思います。

 

 私たちが外国に行っても大都会ではなく地方にある小さな町の方がそこに住む人々の温かさを感じます。それと同じように外国から日本に来た人々も地方に来た方が日本人の暖かさをより感じるのではないでしょうか。

 

 最近では徳島の各地でも外国からの観光客が多くなっています。都会から地方へ。そんな流れが観光する人々の意識の中に芽生えているのかも知れません。

 

 本当の旅は名所や珍しい景色を見ることではなく、そこに住む人々との心の交流ができる旅ではないでしょうか。そんな心の旅を期待する外国の人々を満足させてあげられる徳島でありたいと私は強く思います。 

2017年5月23日

 

 藍住町に徳島県下一を誇る薔薇園があります。町の真ん中を流れる正法寺川の沿岸にあり、町役場にも近く交通の便もよいので皆さんから親しまれています。

 

 この薔薇園の開園は昭和54年5月ですが、1980平方メートルの畑に300種、1100株の薔薇が植えられています。

 

 年中無休、入園料無料、駐車料無料です。毎年5月と10月には薔薇祭が盛大に行われます。この時季には薔薇の即売会や薔薇の育て方のセミナーも行われていて人気を呼んでいます。

 

 薔薇祭には私も毎年参加しています。今年5月の薔薇祭には2回参りました。1回目に行ったときに「一週間後にもう一度来てください」と言われましたのでその通りにしたら、本当に見頃の薔薇を堪能できました。

 

 その時にこんな句ができました。

 

もう一度見頃の薔薇を見に来よと

見頃待ち来たる薔薇園香り濃し

薔薇園に今が見頃と案内され

薔薇が好きマリアカラスの赤が好き

赤が好き真っ赤な薔薇の赤が好き

イングリッドバーグマンなる薔薇も赤

マーガレットメリルなる薔薇白眩し

インカなる黄色い薔薇の秘密めく

クイーンエリザベスなるは一際高き薔薇

ヨハンシュトラウスなる薔薇さ揺れをり

クイーンスウェーデンなる薔薇小振りかな

アメジストなるはピンクの美しき薔薇

深紅なる薔薇は一目でカルメンと

ブルームーンなる薔薇昼も青かりき

ミケランジェロなるは黄色き八重の薔薇

キューガーデンなる懐かしき名の白い薔薇

リンカーンレーガンなるも赤い薔薇

シャルルドゴールなるは青薔薇凛として

甘き香にむせぶほどなる薔薇祭

一巡りして薔薇園の高台に立つ

2017年4月26日

 

 政府は25日、今村雅弘復興相を事実上更迭しました。今村氏は同日の自民党二階派のパーティで東日本大震災の被害に関して「東北の方で良かった」と被災者の心を傷つける発言をしたのです。

 

 今村氏は去る4日にも東京電力福島第一原発事故に伴う自主避難者の帰還について「本人の責任」と述べて顰蹙を買ったばかりでした。

 

 公明党の大口善徳国対委員長は25日の今村氏の発言を耳にした直後、自民党の竹下亘国対院長と萩生田光一官房副長官に電話を入れ「言語道断の由々しき発言だ」と抗議。竹下氏らは「重く受け止め対応を検討したい」と応じたそうです。

 

 今村氏が所属する自民党二階派を率いる二階俊博自民党幹事長は「深く反省し、国民にお詫びしたい心境だ」と東京都内で記者団に述べました。

 

 25日の今村氏の発言の後、二階派のパーティに出席した安倍晋三首相は冒頭「東北の方々を傷つける極めて不適切な発言があった。首相としてお詫びさせていただきたい」と陳謝しています。

 

 東日本大震災の復興のために誠心誠意尽くさなければならない立場の今村氏の発言はまことに言語道断であり、更迭は当然のことと私も思います。

 

 記憶に新しいところでは務台俊介内閣府・復興政務官が被災地視察の折、長靴を持参せず、職員に背負われて水溜りを渡ったばかりでなく、その後「長靴業界は大分儲かったんじゃないか」と発言し辞任。国民の皆様から「あまりにもひどすぎる。与党にはこんな人物しかいないのか」と糾弾されたばかりでした。

 

 こんな状態では「政権与党は安定多数の上に胡坐をかいている。弛み切っている」と国民の皆様から指摘されて当然でしょう。

 

 政権を担う内閣はもちろん与党もしっかりと箍を締め直して、国民のための政権運営に真剣に取り組んでもらいたいと私は心から念願します。

 

 世界を見回すと日本を取り巻く環境は一瞬の猶予もないほど緊迫した状況にあります。ことに北朝鮮の動向には目が離せません。この非常時に政権の箍が緩みっぱなしではどうしようもないのです。国の命運を預かる政治家ことに与党の責任を自覚してもらいたいのです。

2017年3月29日

 

 大相撲の新横綱、稀勢の里が春場所で13勝2敗の逆転優勝をしました。2場所連続2度目の制覇です。新横綱での優勝は1995年初場所の貴乃花以来、22年ぶりの快挙となりました。

 

 今場所は17年ぶりに4横綱となり、全15日間で入場券が完売となる盛況ぶりでした。新横綱の稀勢の里は連日白星を重ねる快進撃で土俵を沸かせてきました。

 

 ところが13日目、左肩を負傷し1敗となった稀勢の里は出場さえ危ぶまれるほどの状態になってしまいました。そのけがを押して出場した稀勢の里は14日目には2敗となり、誰もがもう優勝は無理だと諦めていました。

 

 2敗で迎えた千秋楽。そんな心配をよそに1敗で単独トップだった大関・照ノ富士を稀勢の里は本割と優勝決定戦で連続して下し、劇的な逆転優勝を成し遂げたのです。

 

 日本相撲協会の八角理事長(元横綱・北勝海)は「今後、語り継がれる逆転優勝だ。最後まであきらめないことの大切さを示した」と感嘆していましたが、私もその通りだと思い拍手を送りました。

 

 優勝を決めた稀勢の里は、館内での優勝インタビューで「自分の力以上のものが出た。今までの15年間の相撲人生で、まったく違う場所だった」を実感を込めて語っていました。

 

 周囲を驚かせた逆転優勝の背景には)、驚異的な回復力と土俵に向かう真剣な姿勢があると指摘されています。

 

 13日目、負傷した稀勢の里の激痛にゆがむ姿をテレビで見た私は、一瞬、休場すると思いました。ところが激痛に苦しみながら救急車で病院に運ばれた稀勢の里はかかりつけの柔道整復師らを呼び寄せて治療してもらった後、その夜のうちに迷うことなく出場を決断したそうです。

 

 治療を施した柔道整復師は「普通の力士なら休場でしょう。でも稀勢の里の選択肢には休場は全くなかった。横綱としての責任感と気持ちの大きさだと思う」と感嘆しています。

 

 稀勢の里の魅力は頑強な肉体を支える回復力と愚直に歩み続ける根性。幼稚園から中学校を卒業するまで一度も欠席がなかっただけに休むことは考えられなかったのかも知れません。

 

 新横綱として大きな試練を突破してきた稀勢の里の今後の土俵がますます楽しみになってきました。待望久しかった日本人横綱がその本領を発揮し続けることを私は心から期待しています。大相撲の人気は横綱・稀勢の里の活躍で一段と高まっていくことでしょう。

2017年2月20日

 

 私のただ一人の弟・遠藤芳邦が17日朝5時過ぎ、逝去しました。18日に徳島市の沖の浜玉鳳院で通夜、19日に同式場で告別式が行われました。

 

 弟・芳邦は子供の頃、雷が大嫌いで大雨の中をびしょぬれになって家に帰ってきたことがあります。病気などしたことがない健康優良児でした。人の喜んでくれることが好きで、世話好きな男でもありました。

 

 鳥井啓子さんと結婚してからは鳥井家一族の方々から可愛がられ、伸彦、早智子の心優しい2人の子供に恵まれ、3人の孫達にも囲まれた幸せな家庭生活を送ってきました。

 

 徳島防災株式会社の専務取締役だった弟・芳邦は創業者である先代の鶴田社長以来、鶴田家一族の皆様をはじめ、社員の皆様にこの上なく大事にしていただき、取引先の会社の皆様からも親しくしていただきました。

 

 阿波踊りが大好きで津田町の皆さんが作られた「六右ェ門連」で踊るのを何よりの楽しみにしていました。踊り仲間の「六右ェ門連」の皆さんが告別式では阿波踊りの鳴り物で霊柩車を見送ってくださり、本人も喜んでいることと思います。。

 

 ゴルフも好きでたくさんのゴルフ仲間の皆様も見送りに来てくれました。徳島防災株式会社の皆様をはじめ関係会社の皆様、阿波踊りの皆様も大勢駆けつけて見送ってくださいました。参列くださいました皆様は300人を超えたと式場の係の方が感動していました。

 

 いつも元気一杯で病院に行ったことがなかった弟・芳邦が体調を崩して徳島県立中央病院に入院したのは昨年6月でした。幸い8月には退院することができ、また元気に仕事ができると喜んでいたのです。

 

 ところが毎週1回通院して検査を続けてきた結果、血小板だけでなく、白血球もヘモグロビンも減少していることがわかり再生不良性貧血という難しい病気になっていることが判明し、再入院したのでした。

 

 以来、懸命の治療を行っていただくとともに厚生労働省からのご紹介もいただき、松山市にある日本赤十字病院でセカンドオピニオンを受け、徳島県立中央病院のお医者様とも相談のうえ、骨髄移植の手続きをしたのでした。骨髄バンクへの登録も済ませました。

 

 骨髄移植が受け入れられる体調になるよう徳島県立中央病院では二人のお医者様や看護師様をはじめ医療スタッフの皆様が懸命の治療に取り組んでくれました。

 

 家族も毎日24時間付きっ切りで看病に当たりました。けれども病気の進行は早く、残念ながら17日、眠るように息を引き取ったのでございます。

 

 享年66歳。平均寿命から見ても、あまりにも若すぎる逝去でした。余生を楽しむことなく逝ってしまった弟・芳邦が不憫でなりませんが、生命は永遠であり、また瑞々しい生命でこの世に生を受けてくることを私たちは信じたいと思っています。

 

 大勢の皆様にご多忙の中、通夜並びに告別式にご出席いただき、見送りまでしていただきましたことに親族一同感謝の気持ちで一杯です。皆様、本当にありがとうございました。

2017年1月6日

 

 新年あけましておめでとうございます。今年は酉年。変化の激しい年になりそうですが、激流に足元をすくわれないようにしたいと思います。

 

 我が家では今年も15人の家族全員が我が家に揃って年末年始を過ごしました。3人の息子、3人の嫁、7人の孫が全員健康で揃い合えたことは嬉しい限りです。

 

 正月の三が日をともに過ごした後、子供たちは東京、愛知、兵庫、徳島に帰り、我が家は元の2人になりました。忙しかったけれども楽しいお正月でした。

 

 年末年始を子や嫁や孫たちとともに過ごした私にこんな句ができました。

 

寄り合ひて牛鍋つつく年の暮

御節にと身欠き鰊を持ち来し子

黒門の市の河豚持ち来たる子も

いただきし猪肉持ちて来たる子も

搗き立ての餅のお隣より届く

年の瀬の市の大鰤贈りくれ

生牡蠣と鰻も添へて鰤届く

年越の蕎麦より河豚のてっちりと

子の作る鰭酒に酔ひ年を越す

十五人分の雑煮の餅を焼く

十五人家族総出の初詣

三台の車を連ね初詣

頑なに新札揃へお年玉

仏前に揃ひし孫にお年玉

子の親となりたる子にもお年玉

お年玉なる散財の嬉しさよ

生きてゐること確かめる年賀状

出せど来ぬ人の気になる年賀状

初夢に出てくる人の皆若く

初夢は白黒映画なる世界

初夢の覚めてしまへばそれっきり

孫とする百人一首お正月

爺の読む歌留多を孫ら競ひ取る

歌留多取り取れずに泣く子励ます子

独楽廻す手本見せてとせがまれて

子も孫も独楽の廻せぬ世代とは

元日の夜は今年も牛鍋と

正月の妻の助っ人なるや嫁

数の子の薄皮剥ぐを教えもし

正月を嫁三人の分業で

初めての猪肉鍋の二日かな

薬喰せし猪肉の淡白さ

薬喰せし猪肉に舌鼓

初めての猪肉嫁も完食す

三ケ日三食付きの帰省かな

ワイワイとガヤガヤガヤで三ケ日

三日過ぎがらんどうなる冷蔵庫

帰省子の去りたる家のがらんどう