2017年

2017年5月23日

 

 藍住町に徳島県下一を誇る薔薇園があります。町の真ん中を流れる正法寺川の沿岸にあり、町役場にも近く交通の便もよいので皆さんから親しまれています。

 

 この薔薇園の開園は昭和54年5月ですが、1980平方メートルの畑に300種、1100株の薔薇が植えられています。

 

 年中無休、入園料無料、駐車料無料です。毎年5月と10月には薔薇祭が盛大に行われます。この時季には薔薇の即売会や薔薇の育て方のセミナーも行われていて人気を呼んでいます。

 

 薔薇祭には私も毎年参加しています。今年5月の薔薇祭には2回参りました。1回目に行ったときに「一週間後にもう一度来てください」と言われましたのでその通りにしたら、本当に見頃の薔薇を堪能できました。

 

 その時にこんな句ができました。

 

もう一度見頃の薔薇を見に来よと

見頃待ち来たる薔薇園香り濃し

薔薇園に今が見頃と案内され

薔薇が好きマリアカラスの赤が好き

イングリッドバーグマンなる薔薇も赤

マーガレットメリルなる薔薇白眩し

インカなる黄色い薔薇の秘密めく

クイーンエリザベスなるは一際高き薔薇

ヨハンシュトラウスなる薔薇さ揺れをり

クイーンスウェーデンなる薔薇小振りかな

アメジストなるはピンクの美しき薔薇

深紅なる薔薇は一目でカルメンと

ブルームーンなる薔薇昼も青かりき

ミケランジェロなるは黄色き八重の薔薇

キューガーデンなる懐かしき名の白い薔薇

リンカーンレーガンなるも赤い薔薇

シャルルドゴールなるは青薔薇凛として

甘き香にむせぶほどなる薔薇祭

一巡りして薔薇園の高台に立つ

2017年4月26日

 

 政府は25日、今村雅弘復興相を事実上更迭しました。今村氏は同日の自民党二階派のパーティで東日本大震災の被害に関して「東北の方で良かった」と被災者の心を傷つける発言をしたのです。

 

 今村氏は去る4日にも東京電力福島第一原発事故に伴う自主避難者の帰還について「本人の責任」と述べて顰蹙を買ったばかりでした。

 

 公明党の大口善徳国対委員長は25日の今村氏の発言を耳にした直後、自民党の竹下亘国対院長と萩生田光一官房副長官に電話を入れ「言語道断の由々しき発言だ」と抗議。竹下氏らは「重く受け止め対応を検討したい」と応じたそうです。

 

 今村氏が所属する自民党二階派を率いる二階俊博自民党幹事長は「深く反省し、国民にお詫びしたい心境だ」と東京都内で記者団に述べました。

 

 25日の今村氏の発言の後、二階派のパーティに出席した安倍晋三首相は冒頭「東北の方々を傷つける極めて不適切な発言があった。首相としてお詫びさせていただきたい」と陳謝しています。

 

 東日本大震災の復興のために誠心誠意尽くさなければならない立場の今村氏の発言はまことに言語道断であり、更迭は当然のことと私も思います。

 

 記憶に新しいところでは務台俊介内閣府・復興政務官が被災地視察の折、長靴を持参せず、職員に背負われて水溜りを渡ったばかりでなく、その後「長靴業界は大分儲かったんじゃないか」と発言し辞任。国民の皆様から「あまりにもひどすぎる。与党にはこんな人物しかいないのか」と糾弾されたばかりでした。

 

 こんな状態では「政権与党は安定多数の上に胡坐をかいている。弛み切っている」と国民の皆様から指摘されて当然でしょう。

 

 政権を担う内閣はもちろん与党もしっかりと箍を締め直して、国民のための政権運営に真剣に取り組んでもらいたいと私は心から念願します。

 

 世界を見回すと日本を取り巻く環境は一瞬の猶予もないほど緊迫した状況にあります。ことに北朝鮮の動向には目が離せません。この非常時に政権の箍が緩みっぱなしではどうしようもないのです。国の命運を預かる政治家ことに与党の責任を自覚してもらいたいのです。

2017年3月29日

 

 大相撲の新横綱、稀勢の里が春場所で13勝2敗の逆転優勝をしました。2場所連続2度目の制覇です。新横綱での優勝は1995年初場所の貴乃花以来、22年ぶりの快挙となりました。

 

 今場所は17年ぶりに4横綱となり、全15日間で入場券が完売となる盛況ぶりでした。新横綱の稀勢の里は連日白星を重ねる快進撃で土俵を沸かせてきました。

 

 ところが13日目、左肩を負傷し1敗となった稀勢の里は出場さえ危ぶまれるほどの状態になってしまいました。そのけがを押して出場した稀勢の里は14日目には2敗となり、誰もがもう優勝は無理だと諦めていました。

 

 2敗で迎えた千秋楽。そんな心配をよそに1敗で単独トップだった大関・照ノ富士を稀勢の里は本割と優勝決定戦で連続して下し、劇的な逆転優勝を成し遂げたのです。

 

 日本相撲協会の八角理事長(元横綱・北勝海)は「今後、語り継がれる逆転優勝だ。最後まであきらめないことの大切さを示した」と感嘆していましたが、私もその通りだと思い拍手を送りました。

 

 優勝を決めた稀勢の里は、館内での優勝インタビューで「自分の力以上のものが出た。今までの15年間の相撲人生で、まったく違う場所だった」を実感を込めて語っていました。

 

 周囲を驚かせた逆転優勝の背景には)、驚異的な回復力と土俵に向かう真剣な姿勢があると指摘されています。

 

 13日目、負傷した稀勢の里の激痛にゆがむ姿をテレビで見た私は、一瞬、休場すると思いました。ところが激痛に苦しみながら救急車で病院に運ばれた稀勢の里はかかりつけの柔道整復師らを呼び寄せて治療してもらった後、その夜のうちに迷うことなく出場を決断したそうです。

 

 治療を施した柔道整復師は「普通の力士なら休場でしょう。でも稀勢の里の選択肢には休場は全くなかった。横綱としての責任感と気持ちの大きさだと思う」と感嘆しています。

 

 稀勢の里の魅力は頑強な肉体を支える回復力と愚直に歩み続ける根性。幼稚園から中学校を卒業するまで一度も欠席がなかっただけに休むことは考えられなかったのかも知れません。

 

 新横綱として大きな試練を突破してきた稀勢の里の今後の土俵がますます楽しみになってきました。待望久しかった日本人横綱がその本領を発揮し続けることを私は心から期待しています。大相撲の人気は横綱・稀勢の里の活躍で一段と高まっていくことでしょう。

2017年2月20日

 

 私のただ一人の弟・遠藤芳邦が17日朝5時過ぎ、逝去しました。18日に徳島市の沖の浜玉鳳院で通夜、19日に同式場で告別式が行われました。

 

 弟・芳邦は子供の頃、雷が大嫌いで大雨の中をびしょぬれになって家に帰ってきたことがあります。病気などしたことがない健康優良児でした。人の喜んでくれることが好きで、世話好きな男でもありました。

 

 鳥井啓子さんと結婚してからは鳥井家一族の方々から可愛がられ、伸彦、早智子の心優しい2人の子供に恵まれ、3人の孫達にも囲まれた幸せな家庭生活を送ってきました。

 

 徳島防災株式会社の専務取締役だった弟・芳邦は創業者である先代の鶴田社長以来、鶴田家一族の皆様をはじめ、社員の皆様にこの上なく大事にしていただき、取引先の会社の皆様からも親しくしていただきました。

 

 阿波踊りが大好きで津田町の皆さんが作られた「六右ェ門連」で踊るのを何よりの楽しみにしていました。踊り仲間の「六右ェ門連」の皆さんが告別式では阿波踊りの鳴り物で霊柩車を見送ってくださり、本人も喜んでいることと思います。。

 

 ゴルフも好きでたくさんのゴルフ仲間の皆様も見送りに来てくれました。徳島防災株式会社の皆様をはじめ関係会社の皆様、阿波踊りの皆様も大勢駆けつけて見送ってくださいました。参列くださいました皆様は300人を超えたと式場の係の方が感動していました。

 

 いつも元気一杯で病院に行ったことがなかった弟・芳邦が体調を崩して徳島県立中央病院に入院したのは昨年6月でした。幸い8月には退院することができ、また元気に仕事ができると喜んでいたのです。

 

 ところが毎週1回通院して検査を続けてきた結果、血小板だけでなく、白血球もヘモグロビンも減少していることがわかり再生不良性貧血という難しい病気になっていることが判明し、再入院したのでした。

 

 以来、懸命の治療を行っていただくとともに厚生労働省からのご紹介もいただき、松山市にある日本赤十字病院でセカンドオピニオンを受け、徳島県立中央病院のお医者様とも相談のうえ、骨髄移植の手続きをしたのでした。骨髄バンクへの登録も済ませました。

 

 骨髄移植が受け入れられる体調になるよう徳島県立中央病院では二人のお医者様や看護師様をはじめ医療スタッフの皆様が懸命の治療に取り組んでくれました。

 

 家族も毎日24時間付きっ切りで看病に当たりました。けれども病気の進行は早く、残念ながら17日、眠るように息を引き取ったのでございます。

 

 享年66歳。平均寿命から見ても、あまりにも若すぎる逝去でした。余生を楽しむことなく逝ってしまった弟・芳邦が不憫でなりませんが、生命は永遠であり、また瑞々しい生命でこの世に生を受けてくることを私たちは信じたいと思っています。

 

 大勢の皆様にご多忙の中、通夜並びに告別式にご出席いただき、見送りまでしていただきましたことに親族一同感謝の気持ちで一杯です。皆様、本当にありがとうございました。

2017年1月6日

 

 新年あけましておめでとうございます。今年は酉年。変化の激しい年になりそうですが、激流に足元をすくわれないようにしたいと思います。

 

 我が家では今年も15人の家族全員が我が家に揃って年末年始を過ごしました。3人の息子、3人の嫁、7人の孫が全員健康で揃い合えたことは嬉しい限りです。

 

 正月の三が日をともに過ごした後、子供たちは東京、愛知、兵庫、徳島に帰り、我が家は元の2人になりました。忙しかったけれども楽しいお正月でした。

 

 年末年始を子や嫁や孫たちとともに過ごした私にこんな句ができました。

 

寄り合ひて牛鍋つつく年の暮

御節にと身欠き鰊を持ち来し子

黒門の市の河豚持ち来たる子も

いただきし猪肉持ちて来たる子も

搗き立ての餅のお隣より届く

年の瀬の市の大鰤贈りくれ

生牡蠣と鰻も添へて鰤届く

年越の蕎麦より河豚のてっちりと

子の作る鰭酒に酔ひ年を越す

十五人分の雑煮の餅を焼く

十五人家族総出の初詣

三台の車を連ね初詣

頑なに新札揃へお年玉

仏前に揃ひし孫にお年玉

子の親となりたる子にもお年玉

お年玉なる散財の嬉しさよ

生きてゐること確かめる年賀状

出せど来ぬ人の気になる年賀状

初夢に出てくる人の皆若く

初夢は白黒映画なる世界

初夢の覚めてしまへばそれっきり

孫とする百人一首お正月

爺の読む歌留多を孫ら競ひ取る

歌留多取り取れずに泣く子励ます子

独楽廻す手本見せてとせがまれて

子も孫も独楽の廻せぬ世代とは

元日の夜は今年も牛鍋と

正月の妻の助っ人なるや嫁

数の子の薄皮剥ぐを教えもし

正月を嫁三人の分業で

初めての猪肉鍋の二日かな

薬喰せし猪肉の淡白さ

薬喰せし猪肉に舌鼓

初めての猪肉嫁も完食す

三ケ日三食付きの帰省かな

ワイワイとガヤガヤガヤで三ケ日

三日過ぎがらんどうなる冷蔵庫

帰省子の去りたる家のがらんどう